77 彼氏の勉強
最終章です。
鈴宮と晴れて彼氏彼女になれた日の夜、俺は剛に電話で延々と文句を言われた。俺が逃げ回ったせいで彼女が悲しい思いや危ないことをしたことはもちろん、颯介が彼女に精神的な負担をかけたことや、マネージャーが彼女を責めたことも全部ひっくるめて。
マネージャー二人がしたことは何も知らなかったので驚いた。あの帰り道、彼女は俺にはそのことを話さなかったのだ。汰白から注意はされていたけれど、まさか実際にそんなことになるとは思っていなかったから、本当にびっくりした。あの二人のことを事前に解決できなかったことも失敗だったし、あの場から俺が逃げ出さなければ二人が彼女を責めることもなかったはずだ。それを思うと激しく落ち込んでしまった。
翌日は代休で、昼にクラスの打ち上げがあった。
その会場まで鈴宮と一緒に行く約束をしていたので、俺は彼女に謝ろうと思っていた。ところが、自転車で待ち合わせの場所に着いてみると、空野が一緒にいた。そこでやっと、空野には何も報告していなかったことを思い出した。空野が森梨と付き合うことになったとき、俺は知らされなかったことでふて腐れたというのに。でも、空野はすでに剛から話を聞いていて、穏やかな笑顔で「良かったな」と言って終わりにしてくれた。ここのところ空野があれこれ協力してくれていたことも思い出して、ガラにも無くじーんとしてしまった。
打ち上げの集合場所では、汰白に隅に呼ばれて叱られた。でも、鈴宮がマネージャーたちに責められたときに助けに入ってくれた汰白には、俺は本当に感謝している。その一方で、汰白が鈴宮に、俺と付き合うのはやめろと言うのではないかと密かにドキドキした。でも、それは勘弁してくれたようだった。「みゃー子が『気にしてない』って言ってるから」と言っていたから、すでに彼女がとりなしておいてくれたのだろう。
颯介のことと言い、マネージャーのことと言い、鈴宮には本当に申し訳ないことをしたと思っている。けれど、彼女はそのことで俺を責めようとは思っていないらしい。ただ俺を信頼してくれて、目が合うと恥ずかしそうに微笑んでくれる。そんな彼女のことが本当に愛おしい。大切にすることを真心をこめて誓う。
そして、マネージャーにもひと言注意をしておこうと決心した。剛と汰白の話を聞くと、どうみてもマネージャーの方が言い過ぎだし、俺たちのことは部活とは関係ない。あの二人が個人的に俺をどう思っていようと、事情も知らずに鈴宮を責める必要は無かったのだから。
打ち上げのときは男同士でテーブルを囲んでいた。そこで何人にも、鈴宮とどうなったのかと質問された。文化祭の途中で俺が消え、後夜祭の途中で彼女も姿を消したので、みんな気になっていたらしい。俺は照れながら、でも誇らしい気分で「まとまった」と答えた。
近衛が「直樹は始めから狙ってたもんなあ。」などと言い出し、球技大会の練習の話を持ち出したので慌ててしまった。あのころはまだ空野たちに協力しているつもりだったのだけど……本心ではたぶん、すでに彼女に惹かれていたのだと今では認めるしかない。
打ち上げのあと、空野が森梨と鈴宮と一緒にパフェを食べに行こうと誘いに来た。どうやら森梨が鈴宮と話をしたいところに、森梨と一緒にいたい空野が参加したいらしい。俺としては鈴宮と一緒ならどこにでも行くつもりだったから、二つ返事でOKした。
「利恵りんはどれにする?」
ファミレスのボックス席で向かい側に座った空野がメニューを隣の森梨との間で開いた。森梨が「んー?」と言いながら、そのメニュー帳をのぞき込んだ。
(おお……。)
肩を寄せ合う状況をさり気なくつくり出した空野を感嘆の思いで見てしまった。
(一か月ちょっとでこんなに慣れてくるものなのか…。)
空野の<彼氏>としての手際に俺は目からうろこが落ちる思いだ。
席に案内されたとき、俺はてっきり女子同士、男子同士で座って向かい合うのかと思っていた。そこまで歩く間だって、俺と空野、森梨と鈴宮という組み合わせで来たのだから。
ところが、席まで来ると空野がつと立ち止まり、後ろから来た森梨に手で「どうぞ」と示した。森梨は慣れた様子でうなずいてボックス席の奥に滑り込み、すかさず空野が続いた。そのいかにも「当然」と言うような成り行きに、俺はすっかり驚いてしまった。戸惑いながら、残された鈴宮を無言で見ると、俺と同じような状態だったらしい彼女があわてて俺にうなずいて、森梨の向かい側に座った。その後ろから俺も腰を落ち着けた。こうして俺たちはちゃんと、自分の好きな相手と隣り合うことができたのだ。
そして、今度はこのメニュー選びだ。
メニュー帳はテーブルの森梨側にあったのだ。それを空野は森梨よりも先に取り、森梨には渡さずに、ふたりで仲良くのぞき込める状況をつくり出している。もしかしたら無意識なのかも知れないけれど、俺には空野の下心からくる計算のうえの行動だとしか思えない。だとしても、イケメンの空野がやるとスマートで文句のつけようがない。それを当たり前のように受け入れている森梨の態度も、このふたりの関係が誰にも何も言わせないと示しているように見える。
「佐矢原くんはどうする?」
すぐ近くで聞こえた遠慮がちな声にハッとした。隣に顔を向けると間近に目が合って、彼女が驚いたようにぱちりとまばたきをした。
(やっべえ! 超カワイイ!)
と思っている間に、彼女は机に広げたメニューへとすっと視線をそらした。そんな彼女の髪をかけた耳も可愛い。引っ張ってみたくてそわそわしてしまう。
こっそり前を見ると、まだふたりで仲良く相談中だ。俺が彼女にちょっと何かしても気付かれないかも知れない。
(でも…。)
通路の反対側にも人がいる。店員だって通る。やっぱり恥ずかしい。
「猫は何にするんだ?」
無理な行動はあきらめた。今の状態だって、今までに比べたらかなり近いのだ。
「うーん、これとこれのどっちかなんだけど…。」
そう言って指差したのは<和栗フェア>の期間限定の二品、パフェとクリームあんみつだった。写真と説明を見ても、馴染みが無い俺には助言のしようが無い。
「利恵ちゃんは?」
無言でメニューを見ている俺の隣から、鈴宮が森梨に声をかけた。
「うーん、栗パフェかチョコパフェかで迷ってる。」
「じゃあ、俺が片方頼むよ。」
(おおっ!?)
空野の素早い反応にまた驚いた。
「いいの?」
「いいよ、俺も甘いもの好きだし。途中で取り換えてもいいし、利恵りんが気に入ったら両方食べちゃってもいいよ。」
「あはは、いくら何でも両方は食べられないよ。でも、味見させてね?」
「もちろん。」
極上の笑顔の空野と無邪気に喜ぶ森梨のやり取りを見ながら、森梨に「あーん」とスプーンを差し出している空野の姿が頭に浮かんだ。
(あ、そ、そうか!)
自分の彼女が迷っていたら、ああ言えばいいのだ!
「ええと、」
隣を向くと、鈴宮がまたぱちりとまばたきをして、我に返ったように俺を見た。彼女も俺と同じく、目の前のやり取りに驚いていたらしい。
「俺たち…も、そうしよう、か?」
口にした「俺たち」という言葉が恥ずかしくて、声が小さくなってしまった。
「いいの? 佐矢原くん、甘いもの平気?」
「うん、大丈夫。」
さっきの打ち上げでかなり腹はいっぱいだが、甘いものは嫌いじゃないし、別腹という言葉もあるのだからきっと大丈夫だ。
「本当? じゃあ、そうする。ありがとう。」
(よし、絶対に食う。)
嬉しそうな笑顔を目の前に見せられて、さらなる決意に燃えた。
そのあとも、森梨の冷やかしや鋭いツッコミにあわてながら、目の前で交わされる空野と森梨の親しげなやり取りに、何度も心の中で驚いたり感心したりした。とにかく空野がチャンスを見逃さない――というか、自分でチャンスを作り出すのが上手いのだ。ポーカーフェイスでさり気なく距離を詰めている。しかも、何をやってもサマになる。鈴宮のことではあんなに恥ずかしがり屋でいてくれて本当に良かった。
恋人同士の行動についてはなんとなく知っていたつもりだった。けれど、実際にそれを友人がやっているのを見るとびっくりしてしまう。しかも、なんだかドキドキする。そして……うらやましい。
初心者の俺と鈴宮は恥ずかしくて、味見で「あーん」などはとてもできなかった。でも、途中で取り換えっこはしたし、ドリンクバーで一緒に選ぶのも楽しかった。座るときに椅子に突いた手が重なってあわてたことも、胸の甘い疼きとなって残った。
彼女を送って行き……というよりも、俺が彼女と離れ難くて家までついて行ったというのが真実だけど、家の前で一緒に夕焼けを見た。オレンジにピンクが混じったような夕焼けをこれほど綺麗だと思ったのは初めてのことだった。
ふたりで話しているときに、彼女がこんなことを言った。
「空野くんって、利恵ちゃんのこと、本当に大事にしてるんだね。」
少し微笑みながら、真面目な顔で。
俺が「そうか?」と尋ねると、
「いつも利恵ちゃんの一歩先を見て動いてあげてるもん。」
と答えた。
その言葉の意味を、一人で帰りながら考えた。
そんなことを言うということは、今日の空野と森梨の様子は、彼女から見ても、普段とは違っていたのだ。そして、真面目な顔をしていたということは、その違いは感心すべき変化だったということだろう。
(ということは、やっぱり……。)
俺も空野を見習わなくちゃならない。彼女を大切にしていることを態度で示す必要があるのだ。彼女の一歩先を見て、彼女が快適に過ごせるように行動する必要が。
とは言っても、俺から見ると、空野の行動は単純に森梨と近付きたい気持ちの表れに過ぎないような気もする。でも、それを相手が喜んでくれるなら一石二鳥というものだ。
(うーん、勉強になったなあ。)
俺は鈴宮を大事にすると誓ったのだ。そのためには努力を惜しまないつもりだ。