73 真相?
(何時だ…?)
気付いたら窓の外が薄暗い。いつの間にか眠っていたらしい。
(俺…、何やってるんだろうなあ……。)
見慣れた狭い天井。四角い部屋。ごろりと横向きになると、ベッドがギシッと軋んだ。
(探されてるかなあ…。)
追いかけて来た颯介を振り切ったあと、まず最初にしたのは着替えることだった。クラスのポロシャツを脱いで普段の制服に着替えてしまえば見つかりにくいと思ったから。颯介が追いかけてきたということは、鈴宮も俺を探している可能性が高いと思って。
そのあと、人混みに紛れようと体育館に行った。すると、入り口の横にある体育教官室に顧問の姿を見付けた。うちの顧問は数学教師だけど、今日はそこでのんびりしていたらしい。窓をたたいてあいさつをしたら、無理矢理買わされた甘いものを食べきれないから入って食え、と言われた。隠れ場所を探していた俺にはラッキーな命令だったので、さっさと入って外から見えない場所に座り、食べたり話したりして時間をつぶした。
文化祭が終了するころにそこを出て、帰って行く客に紛れて俺も学校を出た。自由登校の3年生もいたから、制服で自転車に乗っていても目立たなかった。
そのままどこにも寄らず、まっすぐ家に帰った。日曜日で両親が家にいたけれど、部屋に入ってしまえばプライバシーは保たれる。
(颯介はまだなんだな…。)
帰って来れば、ここに来ないはずがない。鈴宮とどこかに寄っているのだろうか。
(違うか。)
今日は後夜祭がある。彼女が学校行事を放り出して彼氏と遊ぶなんてことはないだろう。
(猫の「彼氏」か……。)
その言葉が心に沁みこんでいった。
(俺、失恋したんだなあ……。)
眠ったことで気持ちが正常に戻ったらしい。やっと現実を見つめることができた。午後中、ずっと逃げ回っていた現実を。
(何時だ…?)
帰ってきたときに、スマホはカーペットに放り投げた。一人の時間を邪魔されたくなくて。
起き上がり、薄暗い中に沈黙しているスマホを見付けた。手に取る前にディスプレイが光って電話の着信を知らせる。時間は6時5分。表示された名前は剛だった。
(ふん。)
微かな罪悪感とともにベッドに投げ出す。出るつもりは無い。誰とも話したくない。
そのままぼんやりと床に座っていたら、バッターン! と、いつもより数段派手な玄関のドアの音がした。「颯介!」という母親の怒鳴り声よりもさらに大きな声で「兄貴! いるのか!」と颯介が怒鳴る。
(来たか。)
今は話を聞く覚悟はできている。ふと、本当はこのときを待っていたのかも知れない……と思った。入ってくる颯介を迎えるために、窓を背にしてベッドに腰掛けた。
「兄貴! 兄ちゃん!」
ドスドスと近付く足音と声。「兄ちゃん」という言葉に思わず笑ってしまった。あれが出るってことは、颯介はだいぶ慌てているらしい。
「兄ちゃん!」
ドアが開くのと同時に大きな声と体が現れる。
「兄貴?」
颯介が立ち止まった。電気をつけていなかったので、俺が見えなかったらしい。
「電気、つけるぞ。」
カチッと音がして、部屋が明るくなった。眩しさに一瞬、目がくらむ。
「兄貴……。やっと見つけた……。」
颯介がつぶやいた。
「自転車が……、ずっと家にいたのか?」
「ああ。悪かったな。」
颯介が唇をかんだ。それから足を踏み出した。その後ろでドアが閉まる。
(ああ、殴るのか。)
話をちゃんと聞かなかったせいで鈴宮を泣かせちゃったかな……と思いながら、歯を食いしばった。
「兄ちゃん、ごめん!」
目の前で颯介の姿が消えた。気付いたときには、足元に土下座していた。
「全部俺が悪いんだ。由良ちゃんは何にも悪くないんだよ。俺が無理矢理頼んだんだ。由良ちゃんは、俺が兄貴の弟だから、断れなかったんだよ。」
(颯介…?)
颯介がこんなに懸命に謝るのはいつ以来だろう? いや、それよりも颯介は何を言ってるんだ?
「お前……、無理矢理って…何を?」
「今日のことだよ。文化祭で案内してくれって頼んだんだ。」
「案内? だけどお前、『デートだ』って自慢してたじゃないか。」
「あれは…、半分ウソなんだ……。」
「うそ……?」
颯介はうなだれたまま続けた。
「俺、とっくにフラれてるんだよ……。」
「え?」
急に頭がはっきりした。
「今日のこと、由良ちゃんは兄貴に話してもいいかって言ったんだ。だけど、俺が兄貴を驚かせたいから内緒にしてくれって説得して。それから今日までは、由良ちゃんは何もできなかったんだよ。俺の連絡先を知らないから。俺に連絡したければ兄貴に言うしかなくて、でも、俺が『兄貴には内緒にしたい』って言ったから、由良ちゃんは何もできなかったんだ。」
「……え?」
(じゃあ、もしかしたらあれは…。)
調理室での気がかりそうな彼女の様子を思い出した。
「だけど、由良ちゃんはきっと嫌だったんだ。兄貴に黙ってること、嫌だったんだと思う。だから今日、待ち合わせに兄貴を連れてきたんだよ。あれは俺の予定とは違ったんだ。由良ちゃんが兄貴に俺のことを知らせるには、あれしか方法が無かったんだ。あれが由良ちゃんが考えた一番いいことだったんだよ。」
(猫……。)
そうだ、あのとき。
俺が待ち合わせに一緒に行くことをOKしたとき、彼女はとてもほっとした様子だった。
(その理由を勝手に勘違いしたのは俺なんだ……。)
浮かれていて、彼女が悩んでいるわけをちゃんと考えようとしなかった。
「でも、お前のこと『颯介くん』って…。」
あのとき、とてもショックだった。ふたりの仲の良さを見せつけられたと思った。
「だって兄貴、仕方ないじゃないか。」
颯介が困ったような顔をした。
「由良ちゃんにとって、『佐矢原』っていう名前は兄貴のことなんだぜ? 俺はその弟に過ぎないんだ。由良ちゃんが俺を下の名前で呼ぶのは、兄貴の弟で年下だからだよ。それ以外、何の意味も無いんだよ。」
「ああ……、そう、なのか……。」
俺はなんて間抜けなんだろう。
颯介が俺を追って来たことだって、冷静に考えれば、何かを説明するためだって気付きそうなものなのに……。
「一目惚れしたのは本当だよ。」
まだ正座したまま、颯介が淋しそうに言った。
「怪我して手当てしてもらったとき、本当に一目惚れだったんだ。そのときは兄貴の知り合いだって知らなくて。その場ですぐにコクってふられたんだ。由良ちゃんは『無理』って言ったんだよ。」
「颯介……。」
彼女と話したなら、会ってすぐに付き合いたいなんて言っても無駄だと分かるだろうに。
「でも、話してるうちに由良ちゃんの名前とか、兄貴の同級生だって分かって……。」
「ああ。」
「名前に聞き覚えがあって、兄貴が由良ちゃんのこと気に入ってるって、俺、なんとなく分かったんだ。だから、兄貴のことからかってやろうと思ったんだよ。」
「颯介、お前、そんなことに彼女を巻き込んだのか?」
「だけど。」
責める気配を感じた颯介が、弁解するように俺を見上げた。
「会ってるうちに、もしかしたら由良ちゃんが俺のこと好きになってくれるかも知れないって思ったんだ。由良ちゃんのこと好きなのは本当なんだよ。簡単には諦められなかったんだ。」
そう言われたら怒れないじゃないか。
「だけど、兄貴、本当にごめん。俺、兄貴だけじゃなくて由良ちゃんのことも傷付けちゃった。あれから由良ちゃんも、ずっと兄貴のこと探してて……。」
「そうか。逃げ回ってて悪かった。」
「まさか家に帰ってるとは思わなくて、俺、里高出てからも、あっちこっち見て……。電話もメールも出ないし。」
「ああ…、ごめん。寝てたから。」
俺の言葉に颯介が少しだけ笑った。
「兄貴、エネルギー無くなっちゃった?」
その言葉が懐かしく響いた。俺も颯介も、疲れると何時でもどこでもすぐに寝てしまう子どもだった。そういう状態を、家族の間では「エネルギー切れ」と呼んでいたのだ。
「ああ……、そうかもな。」
ここのところ、いろんなことがあったから。
イベントの体力消耗だけじゃなく、鈴宮とのことも、期待して、期待して、期待して――。
「兄貴、スマホ。」
ベッドの上のスマホが光ってる。画面に表示されている名前は『鈴宮由良=^_^=』。
「猫……。」
「猫?」
訝しげな顔をした颯介に画面を見せると、颯介は慌ただしく立ち上がった。
「あ、兄貴、俺、もう行く。由良ちゃんに謝っといて。」
こくんと頷いて画面に触れる。スマホを耳に当てたときには、部屋のドアが閉まるところだった。