72 由良 ◇ 大きな後悔
「鈴宮先輩って、ひどいことするんですね。」
不意に自分の名前が聞こえて硬直が解けた。振り返ると春野さんと山辺さんがいた。
「佐矢原先輩、鈴宮先輩と約束があるからって嬉しそうだったのに。」
「思わせぶりなことを言って、ほかの男の子に会わせるなんて、最低。」
「ちょっと仲が良いからって、いい気になってません?」
「佐矢原先輩、可哀想。」
言葉だけじゃなく、蔑むような表情が、わたしをどう思っているのかはっきりと伝えてくる。突き刺すようなその鋭さが、わたしの声を奪う。
「純情そうなふりして、男の子をひっかけて面白がってるんでしょう?」
「佐矢原先輩って真面目だし、落とすの簡単だったんじゃないですか?」
「だとしても、二股かけてるなんて信じられない。」
「しかも、わざわざ会わせるとか、普通はしないよね。」
(違う。そんなことじゃ――)
「何やってるの、あなたたち。」
きりっとした声がして、気付いたら、隣に聡美が立っていた。
「みゃー子に何か用なの?」
そう言いながら、庇うようにわたしの肩に手をかけてくれる。
「やだ、睨まれてる。この先輩、こわーい。」
「この前から思ってたけど、性格キツいよね。」
春野さんと山辺さんは、わざと聞こえるように言っているに違いない。聡美を傷付けようとして。そのことがまた、胸に突き刺さる。
「みゃー子に何の用なのか、って訊いてるの。」
聡美の静かな声。でも、怒っているのが分かる。
「だってぇ、鈴宮先輩が佐矢原先輩にひどいことをしたんです。だから。」
「そうですよ。佐矢原先輩の代わりに言ってあげてるだけです。」
二人の言葉を聞いて、聡美がわたしを見た。答えようとしたけれど、口を開いても言葉が出てこない。
「ほら、言い訳できないじゃないですか。本当なんです。」
「そうそう。」
「先輩、知ってました? 鈴宮先輩、二股かけてたんですよ。」
「そうなんです。その相手二人をわざわざ会わせたんです、ここで。」
「佐矢原先輩に期待させておいて、本命を紹介して『バイバイ』ってことだよねー。」
勝手な解釈を放っておいちゃダメだ。ちゃんと説明しないと。
「違う。颯介くんは――」
「うわ、『颯介くん』だって!」
「やっぱ本命じゃん。」
「佐矢原先輩、かわいそー。」
「しかも、知り合いっぽくなかった?」
「あーっ、そうかも! だから追いかけて行ったんだ。」
(そんな。)
説明したいのに、二人は勝手に会話を続け、口をはさむ余地が無い。
「やめなさい!」
聡美の一喝で二人が黙った。
「みゃー子がそんなことをするわけ無いでしょう? 勝手なこと言うんじゃないわよ。だいたい、佐矢原くんがみゃー子に振られようがどうしようが、あなたたちにどんな関係があるわけ? ああ、もしかして、あなたたちが佐矢原くんを狙ってるの? 女子マネージャーとキャプテンの恋? そんな青春ドラマみたいなこと期待してるんだ? お子様!」
「さ、聡美。」
まくしたてる勢いに驚いた。本気で怒っているみたい。相手の二人も嘲りの表情が消えて、今度は聡美に怒りの視線を向けている。
「そんな期待でマネージャーなんかやられたら、部員が気の毒だよね。常に監視されてて、女の子に近付けないんだもの。何それ? 逆ハーレムでも作ってるつもり? しかも性格が悪いって最悪。男子の前では可愛い子のふりをして、女子には嫌がらせをするなんて、ホント、最低。」
「聡美。そんなに言わなくても。」
止まらない聡美の腕をつかむ。けれど、もうわたしでは両方とも止まらない。
「っんとにウザい。ちょっと綺麗だからって調子に乗ってる?」
「だよねー。『性格が悪い』って自分のことじゃん。」
春野さんと山辺さんは、二人でいるせいで強気になっているらしい。
(ど、どうしよう…。)
「関係ないことに首突っ込んで、あたしたちのこと悪者扱いしてさあ。」
「自分の方こそ、男子と女子の前で性格違うんじゃないの?」
「ああ、そんな感じ! そんなんじゃ、彼氏ができてもすぐにふられるよねー!」
(!!)
それは言っちゃいけない。それは聡美を一番傷付ける言葉だ。富里くんのことが大好きで、本当は自分に自信が無い聡美には。
「でも気にしないんじゃない? 綺麗だから、またすぐに彼氏なんかできるもん、きっと。」
「あ〜、美人は得だよね〜。性格悪くても、見た目で男の子に不自由しないもんね。」
「もうやめて。」
今度はちゃんと声が出た。静かな、しっかりした声が。二人をまっすぐに見ることもできた。
「聡美のこと、そんなふうに言わないで。聡美は絶対に綺麗なだけじゃないから。」
「何、急に。女の友情?」
「性格悪い同士、庇い合ってるってところじゃない?」
「あたしのことは勝手に言えばいいよ。でも、聡美のことは言う必要ないでしょ?」
わたしの言葉を聞いても、二人は馬鹿にしたような笑いを浮かべるだけ。自分の無力さが悲しくなってくる。
「どうしたんだよ?」
男の子の声にハッとした。気付いたときには、富里くんが双方の間に立っていた。
ほっとしながら周りを見ると、足を止めてこちらを見ている人たちもいる。少しばかり注目を集めていたらしい。そのひとたちも、富里くんの介入で落ち着くと思ったのだろう、すぐに散って行ってしまった。
そっと聡美を見たら、唇をかんでうつむいている。さっきの二人の言葉がショックだったのだ。とにかく、ここは当事者であるわたしが説明をするしかない。
「あの――」
「せんぱーい。この先輩たちが、あたしたちのこと悪者扱いするんですぅ。」
「そうなんですぅ。あたしたちのこと性格悪いってぇ。」
わたしを遮って説明を始めた二人にびっくりした。
たぶんこの二人は、野球部の富里くんは自分たちの味方だと信じているのだ。さっきの様子だと、聡美の彼氏が富里くんだとは知らないようだったし。
それにしても、「男子と女子の前で態度が違う」というのを、これほどはっきりと見たのは初めてだ。感心さえしてしまう。
(でも。)
富里くんは、そんな態度には騙されないはずだ。
「何でそんなことになったんだ?」
冷静な態度のまま、今度はわたしたちに尋ねた。
「あの、あたしが――」
「だって、この子たち、ひどいんだから。」
説明しようとしたけれど、聡美に遮られてしまった。
「剛くんだって黙っていられないと思うよ?」
二人は聡美の口調に「え?」という顔をした。「剛くん」という呼び方で、聡美と富里くんが仲が良いということに気付いたのだ。
(それだけじゃないよ。富里くんの彼女なんだから。)
二人が聡美に何を言ったのかを聞いたら、きっとすごく怒ると思う。そんなことになったら、野球部の中がぎくしゃくしてしまう。
(ここははっきりと言わないと。)
「あの、富里くん、全部あたしのせいなの。あたしが悪いんだよ。」
マネージャーさん二人は勝ち誇った顔をした。富里くんは心配そうにわたしを見た。
「あたしが佐矢原くんを……騙したみたいになっちゃって……。」
言いながら胸がキリリと痛んだ。あのときの佐矢原くんを思い出すと、とてもつらい。
「直樹を?」
「うん……。あたし――」
「だからって、この子たちがみゃー子に意地悪する必要は無いでしょう?」
聡美がわたしを遮った。それを聞いた富里くんの表情が硬くなった。
「由良ちゃんに意地悪?」
(え? え? え? なんかちょっと…。)
違う気がする。
「あの、いや、そうじゃなくて、あたし――」
「みゃー子が佐矢原くんに二股かけてふったって、言いがかりつけてるんだよ? ひどいでしょう?」
「なにぃ?!」
富里くんが二人をにらみつけた。二人は驚いた顔をして身を寄せ合った。富里くんが聡美の言葉を信じたことも予想外だったのだろう。
「由良ちゃんがそんなことするわけないだろうが!」
二人はますます身を寄せ合って、「由良ちゃん…?」とつぶやいた。
(言い付けて怒るところは、そこじゃないと思うよ!)
そういえば、聡美と一緒にわたしを守るって言ってたっけ…。
「いっ、いいえ! 本当です!」
「言いがかりじゃありません!」
二人が力説する。わたしもなんとか声を出す。
「富里くん、怒らないで。可哀想だよ。みんな誤解なの。勘違いなんだよ。」
とにかく怒りをおさめてほしい。わたしのせいで野球部の中で喧嘩が起きるなんて、申し訳なさすぎる!
「誤解でも勘違いでも、鈴宮先輩が佐矢原先輩を傷付けたのは事実ですからね。」
「そうですよ。うちの部長が馬鹿にされて悔しくないんですか、富里先輩は?」
「ああ? 直樹?」
二人を見た富里くんの表情はとても冷たかった。
「富里くん、あの――」
「由良ちゃんはいいから。心配するな。」
「でも…。」
聡美が止めてくれないかと思った。けれど、聡美は期待に満ちた表情で富里くんを見ているだけ。
「直樹なんかどうなろうが知ったこっちゃねえよ。」
「え…。」
二人がうろたえる。
「直樹なんかより、由良ちゃんの方が大事に決まってるだろ!」
「富里くん、そんなことは――」
「直樹を傷付けた? あいつが簡単に傷付くもんか。ちょっとぐらい傷付いたって、野生動物並みの回復力で、あっという間に元通りだ。」
「だけど、鈴宮先輩がひどいことをしたっていう事実は間違いな――」
「それがお前らにどう関係があるんだよ?」
(あ……。)
「由良ちゃんと直樹のことに、お前らが首突っ込む権利あんのか?」
「それは……。」
二人が顔を見合わせる。
(そう……なんだ。)
これはわたしと佐矢原くんのこと。わたしと佐矢原くんの間で解決しなくちゃならないこと。
「あの、みんな、ごめんなさい。」
深く深く、頭を下げる。
「あたしが悪いんです。だから、ちゃんと謝って来ます。」
腕に温かい手がかかった。
「うん。みゃー子、頑張って。」
「直樹が意地張ってたら、俺を呼べよ。」
「ありがとう。ごめんね。」
(急いで探そう。そして、謝らなくちゃ。)
決意を胸に校舎に戻った。けれど。
(どこにいるんだろう?)
人混みの中、佐矢原くんを見付けられるだろうか……。