65 体育祭 その3
二人三脚のエントリーは、一番最後の一組だった。これなら本当に人数合わせに見えるだろう。
昼食後の応援合戦が終わり、いよいよ二人三脚。だんだん気温が上がってきたのに、鈴宮はジャージの上着を着たままだ。暑くないのか尋ねたら、「体型に難ありだから…。」と言葉を濁した。こんなときにも気にしてるのかと可笑しく思ったけれど、レースで彼女に触れることを考えたら、着ていてくれた方が気が楽だと気付いた。
集合場所では知り合い同士で冷やかし合った。俺は「人数合わせ」と笑って答えていたけれど、心の中では、彼女は俺が相手だから出る気になったのだと悦に入っていた。その一方で、これから脚を結んだり肩を抱いたり、彼女に触れるのだと思うとだんだん照れくさくなってきた。
入場の合図で出て行くと、応援席からの歓声や野次が聞こえてきた。そこに、それを上回る元気の良いアナウンスが。
『さあ、いよいよ二人三脚が始まります! 今年は皆さまにより楽しんでいただくため、放送席に解説の安堂さんをお迎えしています。』
『こんにちは〜! 2年1組、茶道部の安堂でーす! 事前調査に基づき、各レースの見どころなどをご紹介しまーす!』
『安堂さん、よろしくお願いします。なお、実況は放送部の豊田です。』
(なんだこれ?!)
スタート地点手前にスタンバイした全員がざわめいた。応援席からは笑い声が巻き起こっている。放送が気になって、脚を結ぶときに照れている余裕が無かったのは少しだけ有り難かったけれど。
歓声の中、最初の選手4組が進み出た。すると、すかさず実況が始まった。
『安堂さん、第一レースの見どころはどこでしょう?』
『はい、ここは、お互いに一目惚れだったという青チームのペアですね! 調査では、外見だけじゃなく、すべてが自分にピッタリだと瞬時に分かったそうなんです。この二人三脚でもきっと息の合ったパフォーマンスを見せてくれると思います。』
『なるほど〜。それは期待できますね〜。』
豊田のなめらかなテナーと安堂の明るい声が校庭に響き渡る。応援席は爆笑と口笛で盛り上がり、俺たちはこわごわ顔を見合わせた。
パーン! とピストルの音がして、一組目がスタートした。
100メートルのセパレートコース。トラックをほぼ半周する選手たちは、応援席の前を通ってゴールへ向かう。
『あっ! 白チーム転倒しました!』
『白チームは幼馴染みのカップルだそうですが、今一つ息が合わないようですね。』
余計なお世話的な解説に、応援席がどっと沸く。その目の前を選手たちが横切って行く。
「どこまで調べてると思う?」
俺たちの前にいた元野球部の葉山先輩が振り向いて、ぼそぼそと俺に尋ねた。大きな声ではなかったけれど、隣の女子の先輩には聞こえたらしい。
「葉山くん、心配し過ぎだよ。あたしたちは人数合わせだもん、面白い情報なんて何も無いじゃない。」
「あ、ああ…、ああ、そう、だな。そうだよな。ははっ。」
相方の女子の先輩の言葉に、笑ったはずの葉山先輩が力なく肩を落とした。
(あるんだな…。)
きっと葉山先輩にはあるんだ。でも、女子の先輩は知らなくて……。
(俺たちと同じ……?)
隣を見ると、鈴宮はゴールに向かう選手たちを真剣に見守っている。そしてくるりとこちらに向き直ると――。
「佐矢原くん、どうしよう?」
いかにも情けない顔。ぎゅーっと抱き締めて「大丈夫」って言ってやりたくなる。
「あたし、上手にできないかも。」
(放送で何を言われるのかっていう心配じゃないのか…。)
少しだけがっかりした。たぶん、俺たちの関係については、前にいる女子の先輩と同じように、何も心配していないのだろう。
「大丈夫だよ。」
まあ、今は気にされていなくてもいい。そもそも、彼女が二人三脚に出てもいいと思う男は俺だけなのだから。
「ムカデだって、やってみたらどうにかなっただろ? 二人三脚だっておんなじだよ。」
「そうかな?」
「そうだよ。」
第二組の選手が出て行き、すでに足首を結んだ俺たちは、合間を詰めるために地面に手をついてずりずりと前に移動する。そんなときもタイミングを合わせなくちゃならなくて、二人で顔を見合わせてちょっと笑った。
(あとはしっかり支え合えば。)
彼女の小さな肩を思って、胸がざわざわする。
いつの間にかお節介な選手紹介が済み、二組目がスタートしていた。先頭を走っている赤のペアは、カーブを曲がり切ると、顔を見合わせて微笑んでからスピードを上げた。
『赤チーム、抜群のチームワークですね!』
『吹奏楽部の元部長と元副部長ですからねー。視線だけでタイミングを合わせるのはお手の物じゃないでしょうか。』
「この解説の人、すごいね。」
「確かに。」
俺と彼女のことも、言ってほしいような、注目されたくないような……。
実況と解説の二人組は、二人三脚に負けず劣らず息が合っていて面白かった。待っている俺たちも、選手がスタート地点へ向かうたびに、次はどんなことを言われるのだろうと期待して見守った。
けれど、競技が進んで残りが少なくなってくると、気持ちに余裕がなくなって来た。全校生徒の前を、彼女と体をくっつけて走るのかと思うと、じっとしていられないほどドキドキしてきた。
「ねえ、佐矢原くん。」
俺たちの前に一組しかいなくなったとき、体育座りをしていた鈴宮が小声で話しかけてきた。
「ん? どうした?」
平静を装いつつ返事をする。見返すと、頬が赤くなっている。
「恥ずかしくなってきちゃった……。」
(だめだよ、そんな顔しちゃ!)
あまりにも可愛過ぎる! すぐ隣にいるのに何もできないなんて!
膝に置いた手に力を込めて、もどかしい思いを抑え込んだ。乱れた思考の中、返す言葉を探す。
「ええと…実は俺も。」
何も思い付かなくて、本音を口に出してしまった。すると、ますます恥ずかしくなって、視線が地面に向いてしまった。
「待ってると緊張するよな。」
「佐矢原くんも?」
驚いたように彼女が俺を見上げた。それに斜めに視線を合わせる。
「ごめんな、俺が誘ったのに。」
「ううん。そっか…、佐矢原くんも恥ずかしいのか……。」
彼女がぼんやりつぶやいている間に、控えの選手は俺たちだけになった。ずりずりと前に詰めながら、彼女がにっこり微笑んだ。
「それを聞いたら安心しちゃった。一緒に頑張ろうね。」
「おう。」
ここで俺に摺り寄ってくれたらなあ……なんて思う俺は、まだ余裕があるのだろうか?
「中…、外…、中…、外…、」
歩調を合わせながらスタートラインに向かう。前の選手たちがゴールしたら、いよいよ俺たちの出番。セパレートコースでほかのチームとスタート地点が離れているから、自分たちが予想以上に目立っているような気がする。
「緊張するよ~。」
「うん。」
でも、同じ気持ちだということが、お互いの安心にもつながっているのが分かる。
「いい?」
右側にいる鈴宮が尋ねた。俺がうなずいて右腕を持ち上げると、彼女は遠慮がちに俺の背中越しに手をまわし、体操着の左脇を握った。
「手が震えてる……。」
彼女の声が聞こえた。ギュッとつかまれた体操着のあたりからも、彼女の震えが伝わってくるような気がする。
(しっかりしろよ、直樹!)
俺も心臓バクバクだ。彼女に鼓動が伝わってしまうかも知れない。ゴールがとてつもなく遠くに感じる。
「ゆっくりでもいいから、転ばないように行こうぜ。」
緊張を振り切り、同時に彼女を勇気づけるために、彼女の肩に手をかけるときに少し力を込めた。
彼女の体がぎゅっと自分に押し付けられると、突然、充実感がわきあがってきた。俺が彼女を守るヒーローになったみたいな。
「よし。行ける。」
声に出して言ってみた。
「うん。」
顔を見合わせてうなずいたとき、前のレースが終わった。
『さあ、いよいよ二人三脚も最終組ですね。安堂さん、このレースの見どころはどこでしょう?』
『はい、ここでの注目は、何と言っても赤チームです。』
「は?!」
「え?!」
俺と鈴宮は同時に悲鳴のような声をあげ、お互いの赤いハチマキを確認し合った。
『このペアは、午前の部のムカデ競走で驚異のスピードを見せつけたグループからの出場なんですねー。』
『ということは、息が合うことはもうすでに実証済みというわけですね。』
『ええ。あとはあの身長差をどう克服するかがカギになります。』
「恥ずかしー……。」と言いかけたところで「用意。」という声が聞こえた。
スタートの合図に集中しながら、彼女の肩に掛けた手に力をこめる。それに応えるように彼女の手に力がこもったのが分かった。
(猫……。)
一緒にいるのだという満足感が全身を満たした。
パーン! とピストルが鳴る。
「外…、中…、」とゆっくりと歩き出す。歩幅とリズムが上手く合って、ほっとしてお互いの顔を見た。
「もう少し行けそうか?」
「うん、大丈夫。」
「よし。一、二。」
軽いジョギング程度までスピードを上げてみる。カーブの真ん中あたりで、隣のレーンでもたついている黄色チームを追い越した。その途端。
『赤チーム、順調です!』
『身長差を上手くカバーしています。絆の深さがうかがえますねー。』
(ほっといてくれ!)
体操着をつかむ鈴宮の手に力が入ったのが分かった。やっぱり彼女も恥ずかしいのだ。
「おっと! 一、二」
気が散ると、せっかく合わせていた歩幅が狂ってしまう。応援の声も急に気になって来た。
『ああ、黄色チームはどうしてもリズムが合わないようです。』
『いくら人数合わせの即席ペアだと言っても、もう少しお互いを思いやらないといけませんねえ。』
放送と観客の注意が逸れた。その隙に気持ちを足元に戻す。微かにずれていた彼女と俺の足の運びがまた一つになり、すうっと体が楽になった。
(すっげー気持ちいい。)
大好きな彼女と気持ちを合わせていることが。大勢の前で堂々と一緒にいることが。
(ずっとこうしていたい。)
嬉しくなって彼女を見たら、彼女も同じときに俺を見上げた。目が合って、微笑み合う。
(ああ……、いいなあ。)
もう、放送も周囲の声も気にならない。俺と彼女の間には、何も入り込む余地なんか無いのだ!