63 体育祭 その1
(なんとかして誘いたい…けど……。)
賑やかな声が響く晴天の校庭。トラックの周囲に設けられたチームごとのスペースで、女子の集団の中で笑っている鈴宮にちらりと視線を向ける。
9月の後半の金曜日におこなわれている体育祭。これから最初の種目である1年生全員参加の綱引きが始まる。応援席は学校指定ジャージの紺色で埋まり、その間にそれぞれのチームカラーのハチマキやうちわ、ポンポンなどが揺れている。各チームの後ろでは体育祭委員が自由参加種目の選手を募り、仲間同士でどの種目に出ようかと相談する楽しげなグループもある。
(あんまり露骨過ぎるかなあ…。)
俺が狙っているのは、午後の種目の二人三脚だ。うちの学校では、これは男女のペア種目になっている。
たいていは、もうすでに決まっている二人が冷やかされながら出場する。その一方で、「ついでに告白」とか「片思いの記念に」とか、イベント的な意味でも利用される。もちろん、単に人数合わせで出場する生徒もいるけれど。
俺はこれに鈴宮を誘いたい…と言うか、誘わなくちゃならないと思っている。それは、おとといの体育の時間が原因だ。
「なあ、直樹。お前、鈴宮とどうなってんの?」
と、短距離走の待ち時間に中込が話しかけてきたのだ。
ぎょっとして中込を見返したときには、すでに周囲の数人が反応していた。
「そうそう、俺も聞きたいと思ってたんだよ。」
「なになに? 何の話?」
「いや、べつにそんな重要な話じゃねえよ。」
と、話題の的になるのを逃げようとしたけれど、中込は許してくれなかった。
「いろんなことで結構一緒にいるとこ見るけど、特別な雰囲気とか無いよなあ?」
「え? 直樹にそんな相手いるのか? 誰だよ?」
「鈴宮だよ。お前、気付けよ。」
「うそっ?! 鈴宮って由良ちゃんだろ? 今はフリーじゃないのか?」
「純情な鈴宮を直樹が手籠めにしようとしてるらしいぜ。」
「なんだと?!」
ごちゃごちゃと囁きが交わされたあと、視線が一斉に俺に向けられた。
「いい加減なこと言うなよ。」
呆れながら否定しても周囲は疑いの目を向け、空野と剛は面白そうに俺を見ているだけだった。
ちょうど俺が走る番になり、その場から逃げられてほっとした。けれど、戻ってみると、事態は新たな展開に入っていた。
「お前、まだ鈴宮と何も無いんだろう?」
と言いながら、浅野が肩に手を回してきた。思わずドキッとしたのは図星だったからだ。
あの追試の日の出来事のあと、俺はまた「猫に絡みたい病」にかかっている。でも、彼女の態度は今までとちっとも変わらなくて、俺は自信がなくなってきているのだ。
「だから何だよ?」
悔し半分に言い返したとき、中込が横を通り過ぎながら「俺も参戦する。」と宣言した。驚いてその背中に顔を向けると、隣で「俺も。」と浅野が言った。
「なんで……。」
呆然とする俺に、浅野が挑戦的な微笑みを向けた。
「今までは空野がいたからな。それに剛も。」
意味を図りかねた俺に浅野が続けた。
「あの二人、すっげぇガード固かったじゃん。それに女子にも人気あるしさあ。俺には出る幕ねぇよ。だけど、」
そこで浅野は笑った。笑ったのだ!
「直樹一人ならどうにかなるんじゃね?」
あまりにも酷い言いようだ! それに、こんな言い方をするヤツが、俺の猫に相応しいわけが無い!
中込は俺には敵意はなかったが……。
「最近、鈴宮って、前よりも明るくなっただろ? 女子の中から聞こえる声が可愛いんだよなー。言葉遣いも雑じゃなくて、やさしい感じだし。なによりあの素直な笑顔がいいよなー。」
という評価は良しとしよう。でも。
「ほら、来月には修学旅行だろ? やっぱ、修学旅行には彼女いた方が楽しいじゃん? 記念にもなるし。」
鈴宮を高校生活の記念品みたいに考えるのはやめてほしい。だいたい、修学旅行のために彼女が欲しいなんて、相手を馬鹿にしていると思う。
俺はそれぞれに対して、負けるつもりがないことを伝えた。それを見ていた空野と剛は、後で「よく言った!」と褒めてくれた。二人には、浅野も中込も、鈴宮の相手として合格点に至らないらしい。そして、この体育祭で決めてしまえと俺をけしかけた。俺としても、浅野と中込に先を越されるわけにはいかない。
(とは言ってもなあ……。)
そんなに簡単なことじゃない。
俺も鈴宮も、気軽なノリで付き合ったりするタイプじゃない。ましてや鈴宮はそういうことに疎くて、その分真剣に考えていそうだ。せっかくここまで順調に仲良くなってきたのに、俺の行動一つで全部パーになることだって有り得る。でも、こうやって迷っているあいだにも、魔の手が彼女に迫っているのだ。
「ねえねえ、佐矢原くん。」
「ちょっとちょっと。」
グズグズ迷っていたら、いきなり汰白と森梨に腕を引っ張られた。転びそうになりながら、生徒の間を縫って通路の外れにたどり着く。
「空ケンから聞いたんだけど、今日、みゃー子に告白するつもりなの?」
立ち止まった途端、森梨から直球が飛んできた。どうやら二人とも、空野と剛から成り行きを聞いているらしい。
「まさか二人三脚とか出るつもりじゃ無いよね?」
汰白もど真ん中を突いてきた。
「え? え? ダメなのか、それじゃ?」
二人の態度に思わずうろたえて尋ねると。
「「あったりまえじゃん!」」
思いっきり否定された。俺の計画はまったく出番無しで終わりだ。
気が抜けた俺に、汰白と森梨が説教する。
「みゃー子がそんなものに出るわけがないでしょう?」
「男子と肩組むとか、みゃー子にできるわけないじゃない!」
「まったく、これだから男子は。」
「体に触ることしか考えてないんじゃない?」
「いや、違うから! それは違うぞ!」
そこははっきりと否定した。……まあ、多少の期待はしていたが、それはあくまでも「ついで」の部分だ。だいたい、俺を「危険度ゼロ」と言ったのは汰白なのに、今度はきっぱりと疑うなんておかしいと思う。
「俺だって恥ずかしいに決まってるだろ! それに、俺は鈴宮を守るために、誘うつもりだったんだ。」
「守るって?」
「ほかの男から。」
「ああ、浅野くんとかね。」
「そうだよ。あいつは口が上手いし強引だぜ? それに中込だって狙ってるし。」
汰白が「ふふん。」と鼻で笑った。
「それは大丈夫。ほかの男子に誘われても、みゃー子は絶対にOKなんかしないから。」
「なんで分かるんだよ?」
「だって。」
そこで汰白は真面目な顔で俺を見た。
「みゃー子がOKするとしたら、佐矢原くんしかいないでしょう?」
(えーーーーーーーーっ?!)
あんまり驚いて声が出なかった。
(ってことは、猫は俺のことを?!)
汰白が言うのだからきっと間違いない。猫は俺を待っているんだ。
「じゃあ、なんで誘っちゃダメなんだよ?!」
「みゃー子が断れないからに決まってるでしょ?」
あっさりと森梨が答えてくれた。
「……え?」
俺を待っているわけじゃ…ないのか?
「みゃー子が男子の中で一番仲良くしてるのは佐矢原くんだよ。それは間違いないよ。」
「う、うん。だったら――」
「だけど、まだ恋じゃない。」
「……え?」
「そう。恋じゃない。」
「男子のお友だち。」
「信用できるお友だち。」
「ああ…、そう…。」
そんなに二人で繰り返さなくてもいいのに…。
「だから、『出よう』って言われたら、みゃー子は断れない。人前で男子と密着するなんて恥ずかしいけど。」
「そう。仲良しの男の子からの申し出だから。」
「そう。義理で。」
「仕方なく。」
「下心なんか疑わないし。」
「佐矢原くんのことを信じてるから。」
「だから! 下心じゃないから!」
そこだけは、きちんと分かってくれよ!
「ね? だから、みゃー子との二人三脚はあきらめてね。」
「可哀想でしょ?」
「分かったよ。」
俺だって、彼女が嫌がることを無理にしようとは思わない。それにしたって、俺との二人三脚が「可哀想」って、どうなんだよ?
「その代わり、鈴宮が浅野と中込に押し切られないように、きっちり見張っててくれよ。」
「大丈夫。任せといて!」
汰白が自信満々で宣言した。その隣で森梨が目を輝かせて言った。
「それにね、思い出作りに協力してあげるから♪」
「思い出作り?」
「そう。せっかくのイベントだし、何か欲しいでしょ?」
「そりゃあ、まあ……。」
「今までよりも仲良くなれること間違いなしだよ!」
「ああ…、うん…。」
その調子の良さが、逆に疑わしく見える。
「じゃあ、行こう。みゃー子誘いに。」
「ほら、早く。」
森梨と汰白の二人組が相手では、俺には拒否権など最初から無いも同然だ。