59 由良 ◇ そうでしたか。
(どうやって断ったらいいんだろう?)
一目惚れだと言う相手を前に、最初に頭に浮かんだのはこれだった。
とても良いひとらしい、ということは分かる。でも、さっき会ったばかりで「一目惚れです」って言われても、「じゃあ、彼女になります」なんて答えられるはずがない。だから断るしかないのだけれど…。
(ああ…、もっと勉強しておけば良かった……。)
瀬上先輩のことがあったときに、ちゃんと考えなくちゃって思ったのに。
(まさか、初対面の相手に言われるとは思わなかったから…。)
…っていうのは言い訳だよね。自分が告白されて断る立場になることなんてそうそう無いだろうと思って、すっかり忘れていただけだ。
「あの…ちょっと…無理…だと…思う…のですが…。」
精一杯の断りの言葉。工夫も何もなく、超ストレートだってことは十分わかってる。
「そんなこと言わないで、お願いします!」
男の子が両手を合わせて拝んでくる。
「何から何まで俺のタイプなんだよ。俺の天使! お願い!」
傷の手当てをしたから、「白衣の天使」みたいに見えちゃったのだろうか。それとも小さいせいかな。どちらにしても、彼女にっていうのはあまりにも無理な話だと思う。
「あのー、でも…、今、会ったばっかりで……。」
「あ、そうか!」
納得したようにうなずいて、また笑顔になった。
それにしても、このひとの反応の早さと元気の良さは感心する。スポーツマンらしくて、とても清々しい。
「俺、サヤハラソウスケ。三日月高校1年、ラグビー部。どうぞよろしく!」
「え?」
満面の笑顔で、その男の子が両手で熱心にわたしの手を握る。慌てて手を引っぱったけれど、握られた手は抜けない。でも、それよりも、気になる言葉が…。
「さや、はら?」
「うん、そう。珍しい名字だろ? 人偏に左の「佐」に弓矢の「矢」、原っぱの「原」。ソウスケのソウは立つに風、スケは紹介の「介」。」
「あの、あの、あの」
握られた手を引っ張りながら、勢いに乗った自己紹介を急いで遮る。佐矢原颯介くんが軽く首を傾げて、嬉しそうにわたしの質問を待つ。それにしても力が強い。手が抜けない。
「あの、うちのクラスに、佐矢原くんっていうひとが……。」
「え?」
今度は佐矢原くん――颯介くんが我に返った顔をした。…手を離してはくれないけれど。
「もしかして、里原高校?」
「あ、はい。」
「2年生?」
「はい、そうです。」
「年上かーーーーー……。」
(そこなの?)
ため息をついて肩を落とす颯介くん。大きな体でがっくりしている姿が笑える。けれど、やっぱり手は離してくれない。
「兄貴と同じクラス?」
少し苦い顔で尋ねられた。
「ええと、佐矢原直樹くんっていうひとが…。」
「ああ、そうそう、それ。間違いなく兄貴だ。」
(声が似てるのは兄弟だからなんだ……。)
理由が分かって、変なところで安心した。でも、顔はあまり似ていない気がする。
(体が大きいのは、やっぱり血筋なのかな。)
そんなことを考えていたら、颯介くんがまた機嫌の良い笑顔を向けてきた。
「名前、教えてもらえるかな?」
この言葉遣いからすると、わたしのことを年上とは思っていないらしい。
「鈴宮……由良、です。」
「鈴宮? もしかして…、」
急に真面目な顔になって、わたしをじっと見つめた。もう一度手を引っ張ったら、それと一緒に一歩踏み出してきて焦った。
「前に、兄貴が雨宿りさせてもらった?」
「あ、ああ、そうです。知ってるの?」
「兄貴が母ちゃんと話してた。夏休みにも、車で送ってもらうとかって。」
「ああ、お友だちの家に集まることになってたときね。ちょっと遠かったから。」
「ああ……。」
納得したように颯介くんがゆっくりとうなずいた。と思ったら、また笑顔になった。
「で、由良ちゃんには彼氏はいない。」
(初対面の男の子に名前で呼ばれた?!)
びっくりしたまま「はい。」とうなずく。
すると颯介くんが、今度はニヤリとした。その顔が佐矢原くんに似ていて「おお!」と思った。
(でも、はっきり言わないと。)
今度こそ、ちゃんと分かってもらわなくちゃ!
「あの。」
颯介くんが改まった顔をした。きちんと聞く態度を示してくれたことにほっとする。
「彼氏はいないけど、颯介くんとはお付き合いできません。」
(言えたよ!)
「『颯介くん』かぁ……。」
嬉しそうな顔で照れられてしまった。
(いやいやいや、そこじゃないんだけど……。)
どう言えば分かってくれるのかと途方に暮れてしまう。けれど、颯介くんはすぐに態度をあらためてくれた。
「会ったばっかりだから?」
「はい。」
「そうか……。そうだよな。」
やっと分かってくれたらしい。手も離してくれたし。
(やった! やり遂げた。)
満足感でうんうんとうなずいてしまった。
「まあ、今日のところは仕方ないか。」
「そうですね。」
素直にあきらめてくれて良かった。
「あのさ、」
照れたように頭を掻きながら、颯介くんが言う。
「俺に会ったこと、兄貴には言わないでくれるかな?」
「え、どうして?」
「だってほら、自転車でコケたとか……、コクって速攻ふられたとか、知られたらどんだけ馬鹿にされるか。」
「ああ…、そうだよね。うん、分かりました。」
あの佐矢原くんがそんなことを言うのだろうか。…でも、男同士で歳が近いから、半分はお友だちみたいなものなのかも知れない。
「じゃ、今日はこれで帰るよ。今度、お礼するから。ホントにありがと!」
「あ、あの、」
「お礼なんかいい」と言おうと思ったのに、颯介くんのこぐ自転車はあっという間に遠ざかってしまった。力強い立ちこぎの後ろ姿が公園の角を曲がって見えなくなる。
(行っちゃった……。)
いきなり会って、あっという間にいなくなった。元気いっぱいの颯介くんに相応しい登場と退場だった、という気がする。
(佐矢原くんの弟さんか……。)
家に入りながら、頭の中で二人を比べてみる。やっぱり顔はあんまり似ていないような気がする。
(でも、声は似てたよね。)
名乗られる前に似てるって気付いたくらいだもの。
(だけど……。)
ちょっと違和感。
だって、似ていても、やっぱり違うから。
目の前で姿を見ながら話されているときには、すんなり目と耳に入って来た。でも、颯介くんがいなくなってみると、どうにもしっくりしない。
(佐矢原くんの声が聞きたいな。)
ふと頭に浮かんだ。
佐矢原くんに会って、声を確認したい。颯介くんに会ったことで佐矢原くんの記憶が曖昧になった感じがして、なんだか落ち着かない。
でも、明日まで無理だ。
(あ、そうだ。)
今日はランニングでこの辺まで来るんじゃないかな。部活が無い日には走ってるんだから。
(ああ、でも。)
何時に来るのか分からない。外で待ってるのも変だし…。
(何時ごろ来るか訊く?)
それは変だ。
今日も学校で会ってるのに、「顔と声を確認したいから」なんて言えないし。かと言って、理由を言わなければ、わたしが何かサプライズを用意しているみたいに勘違いされてしまうかも知れない。
「うーん…。」
声に出した途端、スマホが震えた。電話だ!
(佐矢原くんかも?)
だとしたら、すごいタイミングだ。まさに以心伝心――。
(あ、利恵ちゃんだ。)
ちょっとだけがっかりした自分が可笑しくて、電話に出ながらニヤニヤしてしまった。
(颯介くんのことは、利恵ちゃんにも言えないな。)
利恵ちゃんと話しながら、頭の片隅で考えている。
(一目惚れされたなんて、ちょっと自慢できるのに、残念だなあ。)
名前だけを隠しても、どこに勘が良いひとがいるか分からない。空野くんから佐矢原くんに伝わらないとも限らないし、利恵ちゃんが面白がって話してしまうかも知れない。いくら名前を隠しても、佐矢原くんだって、自分の家族のことはピンと来るかも知れないし。
そんなことを思って気付いた。さっきの告白を、わたしはずいぶん軽く受け止めている。
(だってねー…。)
あんなにいきなり告白するなんて、とても本気だとは思えない。しかも、すぐにあきらめてくれたし。だいたい、わたしなんかに一目惚れするってこと自体があるわけが無い。
(そうだよ。冗談に決まってるよね。)
危ない危ない。うっかり自慢なんかしたら、自惚れてるって笑われちゃうね、きっと。