56 二人は「悪かった」と言うけれど。
朝のうちは、剛と空野に説明してほしいと思っていた。けれど、昼になるころには、「話なんか聞いてやるもんか!」と思っていた。だって、今まで散々、俺にあれこれ謝らせておきながら、自分たちはさっさと彼女をつくって知らん顔をしていたのだから。
でも、結局、行かないわけにはいかなかった。空野が、俺の機嫌をうかがうような気弱な様子でやって来たから。教室で言い争いをするのは気が引けるし、そんな顔の空野に冷たい態度をとるのは俺には無理だ。やっぱり俺は、お人好しなのかな…。
「直樹、ごめん!」
前に俺が責められた北棟の階段の最上部で、今度は空野が両手を合わせて頭を下げた。その隣で、剛があちこちに視線をさまよわせながらボソッと言った。
「俺も、驚かせて悪かったと思ってるよ。」
俺の怒りはほとんど消え去っているが、簡単に「もういいよ」と言う気持ちにはなれない。本当は仲間外れにされて拗ねているだけだと、自分でも分かっているけれど。
「今さらだけど、今日、話すつもりだったんだよ。」
空野がしきりに弁解する。
「ほら、あのあと直樹と会う機会がなかったし、こういう話は電話じゃしにくくて。」
そう言われると、空野の気持ちは分かるけれど…。
「剛は毎日会ってたじゃねぇか。」
剛に矛先を向けると、剛は下を向いて、上履きの先で床に線を描きながら答えた。
「仕方ねぇだろ。ちゃんと決めたのはきのうなんだから。」
「きのう?」
「そうだよ。」
そう言って、俺にふて腐れた顔を向ける。
「きのう、汰白に返事する前に直樹に話そうかと思ったんだよ。だけどお前、午後から由良ちゃん家に行くことで頭いっぱいで、さっさと帰っちまっただろうが。」
(……ああ、そう言えば。)
あのとき、剛が何か言いたそうな顔をしていると思ったのだった。てっきり、俺を妬んで、嫌味の一言でも言いたいのかと思ったけれど。
(じゃあ…。)
この二人は、特別に俺を仲間外れにするつもりは無かったということなのか。
「俺の話はちょっと込み入ってるんだよ。空野みたいな『いきなりコクりました』で済む話じゃないんだ。」
剛の言葉に空野が怯んだ。あの様子だと、かなり後ろめたいらしい。
「それにしたって、そっちは情報交換してたくせに。」
言い返すと剛が眉を上げた。
「なんだ、それで拗ねてんのか。」
「そんなんじゃねぇよ。」
否定したけれど、剛には軽く笑って流された。それを見ながら、もう怒っているふりをしても無駄だと思った。
「汰白の様子が変だったのは、リレーの練習が始まった日だ。ええと、森梨の家に行った少しあと。」
体育祭一番の注目種目であるチーム対抗リレーは、毎年、夏休み終盤から練習に入るのが恒例だ。
「練習は特にどうってこと無かったんだ。帰りに2年でアイスでも食ってこうって話になったときも平気だった。全員自転車組でさ。でも、そのあと、汰白の様子がおかしくなって。」
頭の中で記憶を確認するように、剛がうなずきながら話す。
「途中から、同じ方向は俺と汰白だけになったんだ。そしたら急に黙っちゃって、赤信号で止まっても、俺の方を見ようとしないんだよな。」
「機嫌が悪かったのか?」
「そう思うだろ? 俺、森梨の家でちょっとキツい言い方したかなって思ってたから、気の強い汰白のことだし、俺とは一緒にいたくないんだと思ったんだよ。」
まあ、それは分かる。
「だから、その日は『コンビニに寄る』って言って、途中で別れたんだ。」
そこで言葉を切り、剛はもう一度、自分でうなずいた。
「次の日も、俺は汰白に近付かないようにしてたんだ。でも、みんなと一緒のときは俺にも普通に話しかけてくるし、なんとなく前の日と同じ流れで2年全員で学校を出る感じになって。」
「ああ…、うん。」
「でも、汰白と二人になるところで、俺、先に行こうとしたんだよ。そしたら呼び止められてさあ。」
剛が少し困った顔をした。
「『きのうはごめん』って言われたんだ。」
「へえ。」
それは汰白らしい感じがする。そういう潔さが彼女には似合う。
「自分の態度が悪かったと思ってるって言われて、そう言われたら、そこで『お先に』ってわけにもいかないだろう?」
「ああ…、まあ、そうだな。」
「で、その日は一緒に帰ったんだけど……。」
そこで剛が俺をじっと見た。
「すげえ危ないんだ。」
「危ない?」
「汰白が……やたらと危ないんだよ。」
「危ないって、どういう?」
「交差点で車にぶつかりそうになったり、段差で自転車のタイヤを滑らせて転びそうになったり、赤信号を見落としたりするんだ。」
「汰白が?」
「そう。汰白が。」
あのしっかり者の汰白が…。
「俺、具合が悪いのかと思って、自転車は下りて押した方がいいんじゃないかって言ったんだよ。熱中症にでもなってるんじゃないかと思ったから。ついでに、具合が悪いなら家までついてってやるって。」
「まあ、妥当な考えだな。」
「だろ? そしたらさあ……。」
そこで剛は横を向きながら頭を掻いた。
「具合が悪いんじゃない、俺と二人きりで緊張してるんだって言われてさあ…。」
「……緊張?」
「俺だって、意味わかんなかったよ! って言うか、怖がられてるのかと思ったし。そしたらあいつ、『好きだから』って…。」
「マジかよ……。」
どういう経過で、何が原因で、汰白が剛を好きになったのか、まったく分からない。
「もとはと言えば、直樹のせいなんだぞ。」
「俺の『せい』ってなんだよ?」
それこそ意味が分からない! 汰白聡美という誰もが羨む彼女ができたくせに、その原因になったという俺を悪者みたいに言うのはおかしいじゃないか!
「直樹が前に、汰白に俺のことを訊かれたって言ってただろ? あのときのお前の答えがきっかけで、汰白が俺に興味を持ったんだから。」
「……俺、特別なこと言ったっけ?」
「俺も詳しいことはよく分からないけど、直樹が俺のこと褒めたって。」
「そうなのか?」
そんな覚えはないけど…。
「そうらしいよ。男同士でこんなに信用されてるって、よっぽどいい人なんだろうって思って注目してたんだって。」
「へえ。」
ってことは、確かに俺が原因だ。でも…だったら、俺に感謝してほしいんだけど。
「決定的に惚れたのは、森梨の家に集まったときらしいけど。」
「『惚れた』って……。」
(さらっと言うんだなあ。)
「なんかほら、由良ちゃんと汰白が微妙な感じになって、俺が『見た目なんて関係ない』って言ったじゃん? あれで……まあ、感動したっていうか……。」
「へえ。」
あれは俺も格好良いなと感心したけど。
「コクられたとき、俺が由良ちゃんのこと好きなのは知ってるって言われた。それでも俺のこと好きだって。俺と一緒にいられるのが嬉しくて、リレーの練習を楽しみにしてたって。だけど、二人きりになってみたら、嬉しいのに緊張して、どうしたらいいのか分からないって……。」
剛が小さくため息をついた。
「泣きそうな顔で言うんだぜ? 俺もそんなふうにコクられたの初めてで、混乱しちゃって……。ほら、俺のところに来る女子は、みんな軽いノリで『ねえ、付き合っちゃおうよー』みたいな感じだったから。」
その雰囲気は簡単に想像がつく。
「どうしていいか分からなかったから、とりあえず『返事は待ってくれ』って言ったんだ。なにしろ、すでに泣きそうだったし。」
「ふうん……。」
大半の男は、速攻でOKするところだろうけれど。
「で…、まあ、そのあとのリレーの帰りもそんな感じで、汰白も少しずつ笑ったりしゃべったりするようになってさあ。」
「うん。」
「でも、やっぱり危ないんだ。」
「緊張してか?」
「それもあるけど、浮かれてて周りをよく見てないんだよ。自転車押して歩いてても、ずーっと俺の顔見てるんだ。」
(それはのろけ話か……?)
「俺がついててやらなくちゃダメだなあって……。」
「ああ。」
「それにさ、あいつ、俺がちょっと褒めただけで、感激して泣きそうになっちゃうんだぜ?」
「うん。そうか。」
「それを見てたらさあ、こいつを喜ばせてやりたいなあ、って思っちゃったんだよなあ……。」
(「あいつ」に「こいつ」か。もう所有感出まくりだな。)
だいたい、「俺がついててやらなくちゃダメ」っていうのが変だろう。剛と一緒にいるから不注意で危ないのであって、一緒にいなければ、汰白はしっかり者なのだ。放っておいてやれば、汰白に危険は無いはずだ。
(まあ、そんなこと言っても仕方ないけど。)
話がひと段落して、剛は少しぼんやりしている。きっと、汰白とのことを思い出しているに違いない。
「で、きのう、汰白にそう伝えたってわけか。」
「え? ああ、うん、そうだよ。」
「で、俺には言わないで、空野には言ったわけだ。」
「う、ああ、いや、空野に言ったのはおとといだ。」
「おととい?」
「返事を決めたとき。」
また不機嫌な顔に戻った俺に、空野がとりなすように口をはさんだ。
「あ、あの、俺が先に剛には話してあったから、それで。」
「先に?」
俺の視線を受けて、空野が情けない様子で身を縮める。
「その…、やっぱりさあ、剛とは最初から由良ちゃんのことで仲間だったし、とりあえず剛には話しておかなくちゃって思ったんだよ。」
(そうか…。)
言われてみると、確かに二人は仲間だったのだ。そこに俺があとから割り込んだだけで…。
「でも、直樹には世話も迷惑もかけちゃってるから、電話で報告だけじゃ悪いなあって思って。」
「まあ…、そう思ってくれたなら……。」
(って言うかさあ!)
「空野、お前、そんなに簡単にコクれるのかよ? 鈴宮には話しかけられなかったくせに。しかも、あの集まりからすぐだったって聞いたぞ。」
「あ、いや、まあ……。」
空野がバツの悪そうな顔をする。
「それだけ利恵りんのことが好きだってことなんだよなあ……。」
正直にそんなことを言う空野にそれ以上何を言っても無駄だと悟った。