55 夏休み明けのサプライズ
「よう、久しぶり。」
「お前、真っ黒じゃん!」
「きゃ〜、元気〜?!」
「ねえねえ、聞いてよ〜。」
夏休み明けの教室は、いつにも増してにぎやかだ。部活や里高祭の準備で顔を合わせている生徒もいるが、久しぶりの生徒もそれなりにいるから。
「やっぱり夏になると焼けるなあ。」
教室の後ろ中央の俺の席のまわりに集まるのは運動部の男ばかり。バレー部の石野以外は一年中外で活動しているから、普段からみんな日に焼けている。でも、夏の日焼けは特別で、ほとんどこげ茶色になってしまうのだ。
「女子はなんで白いんだろうなあ。」
近衛が汰白たち女子の集団を眩しそうに見ながら言った。テニス部の汰白をはじめ、どの女子も俺たちほど黒くはない。
「いいなあ、女子のミニスカート姿。」
「おい、それかよ?」
「さすが近衛。」
「確かに、夏休み中はジャージかユニフォームばっかだもんなあ。」
言われてみるとそのとおりだ。夏休み中の運動部は、部活ジャージでの登校がOKだから。
「きゃ〜、里香〜! 元気だった〜?!」
「きゃ〜、久しぶり〜!」
賑やかな悲鳴をあげながら、女子が黒板の前で飛び跳ねている。その手前に鈴宮と森梨の姿があった。
(そう言えば。)
鈴宮が言っていた空野の「何か」を思い出す。空野はと見ると、夏休み前と変わった様子はなく、窓に寄りかかって話をしている。
「剛。」
隣に立っている剛をそっと呼ぶ。
「お前、空野のこと、何か聞いてる?」
身をかがめた剛に囁くと、剛は眉を寄せて俺を見た。
「空野? 『何か』って?」
「いや、何か新しいことがあるって鈴宮が言ってたから。」
「由良ちゃんが?」
ジロリと見られて思わず慌ててしまった。何もやましいことは無いのに。
「ええと、ほら、昨日、豚汁の試作で。」
「ああ。」
そう言って剛は鈴宮の方に目を向けた。
「本人に聞いた方がいいな。」
それだけ言うと、すっと立ち上がってしまう。
(なんだよ……。)
その態度がなんとなく引っかかる。剛にしては淡泊すぎる気がする。
「みんな〜! ちょっと聞いて〜!」
そろそろ全員がそろったと思うころ、聞こえてきた威勢のいい声に顔を上げると、教卓に森梨が立っていた。クラス全員が注目する中、トレードマークの2本の三つ編みを片手でちゃっちゃっと払うと、胸を張って話し出した。
「わたくし森梨利恵は、空ケンこと空野健吾くんと、お付き合いすることになりましたー!」
教室中に女子の「きゃ〜!」という声が響いた。俺も、俺のまわりの男たちも、驚いて動きが止まってしまった。
「『どうしても』というお申込みがあり! わたくしが承諾し! 空野くんはわたくしの彼氏になったのですがー!」
そこで森梨は、窓の方をちらりと見た。俺たちもつられて目を向けると、空野が森梨に身振りで「やめてくれ」と言っていた。でも、そんなことで森梨は止まらなかった。
「もしも! どうしても空野くんをあきらめきれないという方は!」
森梨が今度はクラスの女子を見回す。
「交渉次第ではお譲りする可能性もゼロではありません!」
「きゃ〜〜〜!」
「利恵〜! カッコいい!」
「わははははは!」
「とうことで! みなさん、どうぞよろしくお願いします!」
「いいぞ〜!」
笑いと悲鳴に包まれて、森梨は満足そうに教卓から戻った。空野は窓の外に向かってぐったりともたれかかっていた。
(これだったのか……。)
驚きもさることながら、どちらかと言うと、気の毒な気持ちの方が大きい。もちろん、空野に対してだ。
そりゃあ、空野から申し込んだのだから――それも驚きだが――森梨が威張ってるのは分かる。あの性格だし。でも、あんなふうに発表したら、あの恥ずかしがり屋の空野がどんな気持ちがするか……。
「あ、じゃあ、あたしも!」
そう声がして、次に立ち上がったのは汰白だった。真っ白なポロシャツにスカートをなびかせて、小走りに教卓へと向かっていく。
「汰白?」
「汰白かよ?」
「マジで?」
今度は男の声が教室を飛び交う。慌てて腰をあげた生徒もいる。それに爽やかな笑顔を向けたあと、汰白は教卓に手をついた。後ろを通った誰かにぶつかられて後頭部が痛かったが、今は汰白の発表の方が気になる。
「ええと、わたしも彼氏ができました!」
「うえ〜! ホントかよ〜!」
「誰だ〜!」
「聡美、頑張れ〜!」
男子のがっかり声の間に女子の声援が混じる。
「そのひとは」
言葉を切った汰白が茶目っ気たっぷりに教室を見回す。ドラムロールが聞こえてきそうな静けさに、俺もつられて息を殺した。
「富里剛くんでーす!」
「ええええええええぇ?!」
一番大きな声は自分だったんじゃないかと思う。気付いたら立ち上がっていたし。
「剛っ?!」
と、隣を見ると、本人はいなかった。さっき、後ろを通ったのは剛だったのだ。
前に目を戻すと、汰白がちょうどしゃべりだした。
「みんな、誤解しないでほしいんだけど、申し込んだのはわたしです!」
「ヒューヒュー!」
「カッコいいぞ!」
あちこちから冷やかしの口笛や野次が飛ぶ。
「だから! 利恵みたいに、誰かに譲るつもりはありません!」
(すげえ。)
汰白の惚れ込み具合には、感動さえ覚える。
「それでも剛くんをあきらめきれないひとは、申し出てください! 正々堂々と勝負したいと思います! 以上!」
「やったー!」
「聡美〜!」
拍手と歓声の中、教卓から戻った汰白に、鈴宮と森梨がそっと手をかけたのが見えた。その途端、汰白が鈴宮に抱き付いて肩に顔をうずめた。女子がそのまわりに殺到して口々に何か言い、汰白が泣き笑いでそれに答えるのが見えた。
最初の休み時間に空野と剛をつかまえようとしたが、空野も剛もクラスメイトに囲まれて近付けなかった。次の休み時間は、二人とも、あっという間にいなくなってしまった。
二人の気まずい気持ちは分かるけれど、俺は簡単には納得できない。今朝のことを思い出してみると、剛は空野のことを知っていたに違いないという気がする。ということは、空野だって剛のことを知っていた可能性が高い。つまり、俺だけが何も知らなかったということで……。
「鈴宮。」
本人たちに話が聞けないので、鈴宮に事情を聞こうと思った。彼女は俺の顔を見ると、にっこり微笑んでちょこちょことやって来た。彼女だけはいつもと変わらずに俺の相手をしてくれると思うと無性に慰められた。
「きのう言ってた空野の話って、森梨のことだったのか?」
「うん、そう。」
やさしく微笑む鈴宮と一緒にいる教室の隅が、ただ一つの避難場所のように感じる。
「いつから? 俺、全然知らなかったよ。」
「ええと、ホントについ最近だよ、決まったのは。」
「決まったのは?」
問い返すと、彼女は可笑しそうに俺を見上げた。
「だって、そもそも空野くんがうちに入部したのって、利恵ちゃんと一緒にいたかったからでしょう?」
「え?」
(どういう誤解だ!)
「気付かなかった? 利恵ちゃんファンの一年生に敵視されるくらい、利恵ちゃんと仲が良かったんだよ。」
「それは幼馴染みで…じゃないのか?」
「まあ、利恵ちゃんはそうだったみたいだけど。」
どうも、このあたりは鈴宮に尋ねても無駄な気がする。
「で、どうやって決まったんだよ?」
聞きたいのは、いつ、どうやって、だ。
「あのね、この前の集まりがきっかけらしいよ。」
声をひそめながら身を寄せた鈴宮に思わずドキッとしたが、今はそれよりも気になることがある。
「利恵ちゃんの家に行ったでしょう? ええと、あの二日くらいあと。」
「二日後?!」
(ずいぶん早いな、おい!)
「あのときの利恵ちゃんのことを、空野くんは『人魚姫みたいだった』って言って、告白したんだって。」
「人魚姫…?」
「そうだよ。だって、とっても可愛かったでしょう?」
「ああ…、まあ…、びっくりはしたけど。」
「利恵ちゃんはね、ほら、『空野くんは頼りない』みたいなことを言ってたでしょ? でも、『好きだ』って言われたら、すごく嬉しかったんだって。それに、『空野くんならやさしい彼氏になるのは間違いないでしょ』って、自慢してたよ。」
「へえ…。」
それにしても、あの二日後とは……。
「汰白と剛の方は知ってたか?」
「え、ああ、まあ、なんとなく。」
「なんとなく?」
意外と勘が鋭いのか? 俺の気持ちには気付かないのに……。
考え込んだ俺に、彼女は「ねえ、これ、内緒にしてね。」と言ってから話してくれた。
「実はね、聡美から電話があったの。」
「いつ?」
「ええと、それも同じ日だったよ。利恵ちゃんから空野くんの話を聞いた日。」
「あの二日後?」
「うん、そのくらいのとき。」
あの集まりは、いったい何だったんだ。顔見知りの合コンか?
「汰白はなんて?」
「富里くんのことをどう思うかって。」
「え? 鈴宮が、どう思ってるか…ってことか?」
「うん、そう。」
(そうか。)
汰白は剛の気持ちを知っていたから。だから、鈴宮の気持ちを確かめたんだ。
「…で、なんて答えたんだ?」
「楽しくて、いいひとだよね、って。それに、やさしいよ、って。」
「ああ…。」
(俺もたぶん、同じように言われるんだろうなあ…。)
でも、その答えは、求められてるのとちょっと違うと思う。
「そしたら聡美はね、『女子に人気があるもんね』って言ってた。」
「ふうん。」
微妙な会話だなあ…。
「その成り行きで、どうして汰白と剛がくっつくって分かったんだよ?」
「え? だって、わざわざ電話してきて、富里くんの評価を訊くなんて変でしょう?」
「ああ…そうか……。」
「あのときは、富里くんが聡美に告白して、聡美が迷ってるのかなーって思ったんだけどね。」
「はあ……ん。」
(やっぱり鈍いよな……。)
チャイムが鳴ると同時に空野と剛が戻って来た。席に着くあわただしさの中で空野が素早く近付いてきて、「昼休みに北棟で。」と耳打ちした。