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恋するココロの育て方  作者: 虹色
第四章 二人の距離
51/92

51  電話で。


自然科学教室は、鈴宮と四六時中一緒というわけにはいかなかったけれど、それなりに楽しく過ぎていった。


鈴宮を瀬上先輩にとられてしまった二日目は、一年女子グループに囲まれている空野をからかいながら歩いた。ポイントごとに行われた引率の先生の講義は結構興味深くて、中でも地形についての解説はとても面白いものだと思った。


夜になって雨が降ったため、この日は空の観察はなかった。そのかわり、一階の男子部屋のふすまを全部開けて大部屋にして、参加者全員が集まって遊んだ。


トランプやゲームをしたり、疲れた誰かをうつ伏せにしてマッサージと称して踏んだり、恥ずかしかったことを告白し合ったり。ここで初対面の生徒もいる中、予想以上に盛り上がった夜だった。鈴宮も無理をしている様子はなく、みんなと同じように楽しそうにしていたので嬉しかった。


翌日の最終日はまた大きな荷物を背負って宿を出て、短時間の行軍のあと、昼にはバスに乗った。疲れていないと思ったけれど、バスの座席に落ち着くと、すぐに気持ちが良くなって眠ってしまった。途中の休憩で急に思い付いて家族と野球部にお土産を買ったことだけは覚えているが、その次に気付いたら、もう学校の前だった。


ぼうっとしたままバスを降り、間違えないように荷物を持つことで精一杯で、いつの間にか鈴宮に「バイバイ」と言われていた。自転車に乗って空野と一緒に学校を出て、家に着くころにやっと頭がはっきりした。家で遅めの夕食を食べながら、母親に訊かれるままに話をした。星が綺麗だったことだけは鈴宮のことを黙っているために言わずにおくつもりだったけれど、母親に「星は見えたの?」と訊かれて、つい言ってしまった。その途端に顔が赤くなったのがわかったので、大急ぎで茶碗を空にして、おかわりをよそいに席を立った。


鈴宮から電話がかかってきたのは、自分の部屋で、撮ってきた写真を見ながらゴロゴロしているときだった。


スマホで写してきた写真は、三分の一がアリバイ作りのための景色や花で、残り三分の二のうち2枚は剛と空野、あとは全部鈴宮だ。鈴宮の写真は本人が了解しているのは2枚だけで、あとは隠し撮り。後ろめたい気持ちがあったので、本人からの電話に慌ててしまった。けれど、彼女の声は迷いを感じさせながらも落ち着いていて、俺を責める気配が無かったのでほっとした。


『佐矢原くん、今、大丈夫?』


あいさつのあとの彼女の言葉に心が躍る。こう尋ねたってことは、ゆっくり話したいに違いない。


「うん、大丈夫だよ。」


嬉しさを隠して、思い切り優しい声…のつもりで答えた。もちろん、相手が鈴宮なら、夜中でも早朝でも「大丈夫」だ。


『ええと、あの…夜は、ご迷惑をおかけしました。』


聞こえてきたのは、あらまたったお詫びの言葉。たぶん、言いながら頭も下げているのかも。


「夜」と言うのは一日目の夜のことだろう。あのあとゆっくり話す機会が無かったから、わざわざ電話をくれたのだ。


(本当にいい子だよなあ。)


ますます彼女を好きになる。大変な経験をしたのは、俺ではなくて彼女なのに。


「全然。迷惑なんかじゃなかったよ。」


そう。迷惑であるはずがない。あのとき一緒にいられたことを、俺がどれほど幸運だったと思っているか!


『でも、その…、泣かれたりしたら困っちゃうでしょ?』


そう言われれば、たしかに俺はおろおろしていた。でも、それは最初だけで、あとは自分の下心と戦っていたたけだ。しかも実際には、俺は下心に負けて背中に触ってみたわけだし…。


「え、ええと、俺は…その、役に立ったかな?」


彼女の背中の――実際には下着の――感触を思い出して、慌てて話を逸らした。ドキドキしていることを悟られないように、少しゆっくりしゃべってみる。頭の中ではあの夜の場面が早回しで再現されて、やっぱりもっと積極的な行動に出るべきだったかも…と後悔の念が浮かぶ。


『あ、もちろん!』


(そうか。やっぱりあれで良かったんだ。)


彼女の即答に、胸の中がすっきりした。俺と彼女の関係をほかの誰かと比べても仕方ない。


『あそこで佐矢原くんに会えなかったら、あたし、部活のみんなに迷惑かけてたと思う。それにね、先輩にちゃんと……。』


そこで声が小さくなって途切れた。思い出して泣いてしまったのかと不安になる。


『ええとね、あの日、あたし、瀬上先輩と、その……意見が合わなくて。』

「ああ…、そうだったのか。」


(かわいい猫。)


泣いていなくてほっとした。同時に愛しさも倍増だ。彼女は俺への義理を果たしたい気持ちと、先輩のことをかばいたい気持ちでいっぱいなのだ。そのやさしさと誠実さが、まさに彼女の芯だ。


『それで……でも、あたし、自分が思ってること、ちゃんと言えなくて。』

「うん。そういうことって、あるよな。」

『そう…かな? それで、先輩はイライラして怒っちゃったの。』

「そうか。」

『うん。』


彼女のほっとした様子が伝わって来る。


『でもね、あそこで佐矢原くんから元気をもらえたから、朝になってから、先輩とちゃんと話したの。そしたら、分かってくれた。』

「ああ…、良かったな。」

『うん。あたしのこと、「ずっと弟子だから」って言ってくれたし。』

「ああ、…はは。」


思わず笑ってしまった。だって、あの朝の瀬上先輩の勝ち誇った顔は忘れられない。俺たちから鈴宮を取り上げ、しかも――。


「そうだ! 『猫』って呼ばれてたな。」

『あ、そうなの。気が付いた?』


何も知らない鈴宮が楽しそうに返事をした。


『佐矢原くんが呼ぶのを聞いてたら、それが頭から離れなくなったからって。』

「ふうん。」


(そんなの言い訳だ。)


実際のところ、俺が彼女を呼ぶときは、「鈴宮」と「猫」は半々か、「鈴宮」の方が多いくらいなのだ。彼女をからかったり、可愛くて仕方がないときに使うのが「猫」だから。


そんな俺の奥ゆかしい愛情表現を、あの先輩は俺への当てつけに使ったのだ。けれど、あの夜に「もう鈴宮を困らせない」と言った先輩の気持ちを俺は信じている。だから俺は、先輩が「猫」と呼ぶことを気にしないようにしていたのであって……でも、悔しいことに変わりはない。


『あたしね、』


俺の物思いをさえぎって、鈴宮のあらたまった声が聞こえてきた。


『もっとちゃんとしようと思って。』

「ちゃんと?」

『うん。いろんなこと、なんて言うか…避けてきちゃったから。』

「……そうなのか?」

『うん。』


少し間が空いてから、ゆっくりと彼女が説明してくれた。


『自分の思ってることを口に出さないで済ませたり、関係ないからって考えてこなかったり、そういうことが良くなかったなあって、反省したの。』

「そうか? 俺には鈴宮だって頑張ってるように見えるけど。」

『本当に? ありがとう。』


言葉が彼女が微笑んだ気配を運んでくる。


『でもね、全然足りなかったんだよ。だから、もっとちゃんとやらなくちゃダメなの。』

「…うん。」

『もちろん、簡単にできるようになるとは思ってないけど、とりあえず、気持ちだけはね。』

「そうか。頑張れよ。」

『うん。』


彼女の声に、今までと違う強さを感じた。思いがけないショックを乗り越えて、新しい自分を創り出そうとする決意の中に。そんな彼女を大切にしたいと、心から思った。同時に、彼女にふさわしい自分でありたいと。


「でも、無理しなくていいんだぞ。」

『そう?』

「そうだよ。また元気が必要になったら、俺のところに来いよ。」

『あ……、いい?』

「当たり前だろ? …友だちなんだから。」


一瞬の間を、彼女はどう思っただろう? 「友だち」という言葉に迷ったことを気付いただろうか?


『嬉しいな。ありがとう。』


疑問の答えは分からなかった。でも、彼女が俺に感謝してくれていることはよく分かった。今はそれだけで満足だ。


「なあ、猫。」

『なあに?』


素直な返事に幸せがこみ上げる。たった一言が、どうしてこんなに胸に来るんだろう。


「次は……いつ会えるかな?」


少しだけでも気付いてほしい。このせつない、焦がれる気持ちを。


『ええと、いつでも……。』

「あ…、え…?」


(いつでも…?)


言葉の意味を推し量り、脳がすごいスピードで回転する。これは彼女の返事なのだろうか。俺の気持ちに気付いたうえで、「待っている」と言っているのだろうか。


『だってほら、部活の時間が合えばどこかで会うこともあるし、文化祭の打ち合わせとか、修学旅行の調べものとか、夏休みにやるんでしょ?』


(ああ…、なんだ…。)


彼女の説明に少しがっかりした。けれど。


『それに、お家も近くだし。』


(あ……。)


その言葉は彼女そのもののように、さわやかで、やさしくて、自然だった。そよ風が俺のまわりをくるくると踊っているような気がする。


胸の中のわだかまりがすーっと消えていく。だって、彼女が言っているのは……。


『いつでも会えるでしょ?』

「…うん。そうだな。」


俺が会いたいときには、いつでも会ってくれるのだ。この前の夜みたいに突然でも。


「ははは、家が近いっていいなあ。」


(嬉しいよ! 嬉しいよ! 嬉しいよ!)


俺の気持ちに気付いてくれなくても、今は全然かまわない。彼女が俺を信じて、受け入れてくれているから。


『ふふ。またランニングの途中に寄ってくれてもいいよ。』

「ああ、いや、今度は何かいいものを届けるよ。」

『本当? じゃあ、楽しみにしてるね。』


(可愛い猫。俺の猫。)


なんだか体がふわふわする。自分の部屋が温かいオレンジ色に染まっているような気がする。


電話を切ってから、彼女の部活の予定を聞き忘れたことに気付いた。せっかくのチャンスをつかみ損ねた自分にがっかりしたけれど、彼女との会話を思い出したら、もうそんなことはどうでもいいやと思った。


(それに。)


彼女の方から初めて電話をくれた。俺と彼女の関係は、ゆっくりだけど、進んでいるに違いない。







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