05 チャンスは誰に?
教室に戻ったとき、俺は鈴宮のことを確認せずにはいられなかった。彼女は教卓の前で、長い髪を2本の三つ編みにした女子と楽しそうに話していた。
(ふうん…。)
耳にかけた短めの髪とすっきりした横顔。切りそろえた前髪の下の目をぱっちりと見開いて、話している相手を見ながら微笑んでいる。そうしているときは優しげで大人っぽいのに、笑うと全体的に丸い顔が子どもっぽい印象になる。そんなところは確かに不用意に話しかけたりしてはいけないような雰囲気がある。あの二人が『愛でるルール』で我慢していたというのも、やっぱり自分が恥ずかしいだけではなかったんだろう。
空野と剛がそれぞれ自分の席に戻ったとき、鈴宮がちょうどそちらに目を向けた。―――と思うと、驚いたようにパチパチっとまばたきをして、慌てて三つ編みの女子の方に向き直ってしまった。
(目が合ったんじゃないのか?)
空野と剛に目をやると、二人とものろのろと机やカバンを覗いているだけ。
(うーん……。)
あれはダメだな。お互いにあんな反応じゃ。
剛なのか空野なのか分からないけれど、鈴宮は警戒しているか怖がっている……ってところだ。それに、二人が鈴宮を無視しているみたいにも見える。
(俺のときは違ったよな?)
驚いてはいた。でも、見つめ合ったんだぞ? 慌ててよそを向いたりはしなかった。あの二人と鈴宮は、いったい何をしたら仲良くなれるって言うんだ?
(って言っても、協力するって言っちゃったもんなー。)
あんな調子だと、俺の方がよっぽど可能性がありそうだ。…なんてことをぼんやり考えていたら、後ろから「球技大会、何に出る?」と声がかかり、その手があったかとひらめいた。
(うまく行くのか……?)
6時間目のLHR。イベント委員が黒板に書いた「ソフトボール」「バスケットボール」「バレーボール」の白い文字を見ながら少しばかり緊張している。
さっきから何度も空野と剛の後ろ姿に目を向けている。いったい今、二人はどんな顔をしているんだろう。見た目はさり気なくしていても、心の中は気合いが入りまくっているはずだ。
空野と剛には、とにかく鈴宮と同じ種目にエントリーしろと念を押した。バレーとバスケは男女別のチーム、ソフトは男女混合。ソフトなら一日中一緒にいられるし、バレーかバスケだったら、練習という手がある。
(まあ、練習は誰かが言い出さないと無理かもな……。)
だとしても、どうにかして接点を作りたいわけだし、クラス対抗のイベントは大いに仲良くなるチャンスだ。
俺自身は、この体の大きさで、バスケに出ることを期待されている。ソフトに出たい気もしないではないが、野球部員はソフトでは守備は外野かキャッチャー、打席はバントと制限されているのがつまらない。もちろん、それでも楽しいだろうけど。友人たちには「まだ決めてない。」と言ってある。なぜなら俺も、あの二人と同じ理由で汰白の動向を見守っているところだから。
「じゃあ、まずはソフトボールの希望者。」
(お!)
イベント委員の言葉に斜め前で汰白の手が挙がる。急いで俺もだ! 前方で空野と剛が手を挙げているということは、鈴宮も同じらしい。
(ん? あれ?)
気付くと、教室中に腕が……。
(なんだ、この人数は…。)
俺は一番後ろの席だからよくわかる。クラスの半分以上、たぶん三分の二くらいの手が挙がっている。そしてお互いに顔を見合わせている。
「あれ? こんなに?」
イベント委員も驚いて首をひねる。
(もしかすると……。)
俺の斜め前で手を挙げている汰白。それにつられて手を挙げた俺。そして、俺と同じ理由で手を挙げた男がどれだけいるのか。女子の人数も予想外に多いが。
(女子はソフトボールが好きなのか……?)
体育でやっているところをあまり見ないけど……。
「ええと、ちょっと手を下ろして。」
黒板の前で古坂が言った。
「バレーに最低6人、バスケに最低5人はいなくちゃならないだろ? うちのクラスは男子が18人、女子が17人だから、ソフトに回せるのは男子が7人、女子が6人で、そのうち何人かはバレーとバスケの補欠にも入らなくちゃダメだ。」
古坂の後ろで成海が黒板に人数の割り振りを書いていく。
「じゃあ、先にバスケの希望者は? ええと、女子から。」
4人の手が挙がり、黒板に名前が書かれた。男子は3人の手が挙がる。続いてバレーには女子が4人、男子が3人手を挙げた。
「この14人はこれで決まりでいいな?」
古坂が教室を見渡して言う。今ならバスケかバレーなら好きな方を選べるという意味でもあるこの言葉に、「あ〜、あたしやっぱりバレーにします!」と女子が手を挙げ、それに「あ、じゃあ、あたしも!」ともう一人が続いた。すると、こそこそと話していた女子が二人、「あたしたち、バスケに。」と手を挙げた。
「…ってことは、女子はとりあえずバスケとバレーは決まりだな。ソフトに残ってるのが5人だから、その中からバレーの補欠を決めてくれ。黒板に書くから手を挙げて。」
手を挙げた中に汰白も入っていた。ということは、俺も頑張ってソフトに残らねば! 鈴宮も残っているから、空野と剛も決意を固めているだろう。
「ソフトの男子でバレーかバスケに移るヤツはいないか?」
クラスの男たちがお互いに顔を見合わせるが、名乗り出るヤツはいない。残り12人のうち、空野と剛は鈴宮狙い、残りは全員汰白狙いか?
「よし、じゃあ12人で集まって決めてくれ。話し合いでもじゃんけんでもいいから、そっちの端のあたりで。女子はバレーの補欠を。」
(よっしゃ!)
気合いを入れて立ち上がると、同じような表情の男たちも立ち上がった。それぞれ視線が合うとニヤリとしたりしている中、空野と剛は真剣な表情だった。
(そうだよな……。)
鈴宮と親しくなるのは、汰白に比べるとかなり難易度が高そうだ。しかもこの恥ずかしがり屋の二人には、こんなイベントでもなければ無理だろう。
(とは言っても、俺は譲らないからな。)
俺だって、汰白と楽しく過ごせる時間をふいにしたくない。競争率の激しい中で、自分からチャンスを放棄するつもりはさらさら無いのだ。
「じゃんけんか?」
「まあ、そうだな。」
誰かの提案にやる気がなさそうにうなずく面々。けれど「最初はグー」と言いながら、一斉に目付きが変わった。
「じゃんけんぽん!」
掛け声とともに差し出された手は、パーの中にグーが一つ。
「ぅええええええ?!」
と叫んだのは剛だった。
(一発で負けるのかよ……?)
気合いが足りねえな、と心の中で笑う。剛は空野を気にし始めた。こうなると、さっきまでの友も、今では単なる危険人物だ。結局、俺も空野も無事に残り、剛はバレーボールにエントリーすることになった。
「ねえ、決まった?」
汰白が騒いでいる俺たちの間に顔を出した。
「おう、この7人だな。」
「俺はバレーの補欠とかけもち。」
「俺はバスケと。」
嬉しげに男たちが話し出す。そのやり取りに紛れこむタイミングを計っていたら、空野がそわそわしているのに気付いた。その視線の先に鈴宮がいた。
鈴宮は、汰白の少し後ろから俺たちを見回していた。微かに笑みを浮かべているけれど、それはなんとなく曖昧な、どうしたらいいのか分からない、と言った風情だった。
声をかけてやりたい――と思ったそのとき、もう一人の女子が彼女に話しかけた。途端に安心したようににっこりし、何か言葉を返しながらくすくすと笑う。
――ほっとした。
けど。
ほっとしている自分に焦る。
(やべえ。)
どうして鈴宮の心配ばかりしてるんだ。汰白が目の前にいるのに。
急いで汰白に視線を戻すと、彼女は輪になった男たちと話して笑っていた。俺も乗り遅れないように少し大きく声を出す。笑っている汰白の向こうに剛のしかめっ面が見えるけど、今はそんなことに構っちゃいられない!
「なんでお前がソフトに出て来るんだよ?!」
放課後になったとき、剛が俺に文句を言いに来た。と言っても、あくまでもこっそりとだ。さすがに教室内で自分の思惑を宣伝するようなことはできないんだろう。「俺にも俺の都合があるんだよ。」と答えようとしたそのとき、汰白が振り向いて俺を見た。そしてにっこり笑うと、「ねえねえ。」と短いスカートを揺らしながら、こちらへやって来る。
露骨に嬉しい顔もできなくて、なるべく格好良く見えるようなさり気ない顔を工夫する。そんな俺の前まで来た汰白は、剛にもにっこりと笑いかけた。…俺が特別ではないらしい。
周囲の男たちが何事かと視線を向ける中、汰白ははきはきとよく通る声で言った。
「明日から、お昼休みに練習しない?」
「練習って…ソフトの?」
「そう。あ、ねえ、近衛くんも、あ、中込くんも。ねえ…?」
LHRで顔合わせをしたメンバーを呼び止めながら、汰白は黒板の方を振り向く。
「ねえ! 空野くんもみゃー子もちょっと来て! あ、里香、ちょっと!」
(みゃー子? 何だそりゃ?)
おかしな呼び名に視線を向けると、空野の後ろからおずおずとやってくる鈴宮がいた。ってことは、鈴宮が「みゃー子」なのか?
(っていうかさあ……。)
その前を歩いて来る空野にがっかりだ。せっかく一緒に呼ばれたんだから、「何だろうな?」くらい話しかけてみたらいいのに。知らんぷりしてただ来るだけなんて、気後れした様子の鈴宮が可哀想になってくる。
(それに剛だって……。)
手招きくらいしてやったらどうなんだ? 俺と目が合って照れた顔してんじゃねえよ! 二人とも、先が思いやられる。
汰白を囲んでゆるやかな集団ができたところで彼女が話し始めた。
「せっかくだから一勝はしたいじゃない? だから、お昼休みに練習できないかと思って。佐矢原くん、野球部だし、強制じゃなくてもいいから。」
「練習かー。」
「うん、いいな。」
「あー、やりたい♪」
汰白の口から俺の名前が出て、やる気がむくむくと湧いてくる。でも、メンバーがうなずき合う中、鈴宮が顔をこわばらせたことに気付いた。空野もそんな彼女を気にしながらも何も言わない。その態度に再びがっかりしながら、そこでふっとひらめいた。
「そうだな。キャッチボールだけでもやると違うだろうから。剛も手伝ってくれるよな?」
隣にいた剛がハッと顔を上げる。うちのクラスの野球部は俺と剛だけだ。それが、剛にソフトの練習を手伝ってもらう十分な理由になる。剛はたちまち笑顔になって「任せとけ。」と言った。ついでに鈴宮に一言…なんて気の利いたことができない剛にまたがっかりした。
話が決まって解散になったとき、ちょうど顔を上げた鈴宮と目が合った。やっぱり驚いて一瞬動きが止まった鈴宮に、俺は思わず「大丈夫だ」と励ますつもりで軽くうなずいた。するとますます目を丸くした鈴宮は、慌てて小さく会釈をして小走りに去って行った。
(何だ、あれ。なんか…。)
胸のあたりがモヤモヤする。調理実習のときとは違う。何かこう……もどかしいような。
鈴宮を目で追って力無く肩を落とした空野の隣で剛は上機嫌。さっき俺に文句を言っていたことも、練習の話を振ったことで帳消しになったらしい。部活に向かう途中も、「俺、由良ちゃんにグローブ貸してあげよう♪」なんて浮かれてる。とりあえず野球用でもいいから、グローブやボールがあるメンバーは持って来ることになったのだ。ただ、俺としては剛がちゃんと鈴宮に「貸す」って言えるのか不安だ。
明日のことを考えながら、さっきの鈴宮を思い出す。気後れした表情は、たぶん集団が苦手なせいだろう。それに、おそらくソフトボールもあまり得意じゃないのだ。ということは。
「剛のチャンスかもな。」
「え、やっぱり?」
俺の指摘に嬉しげに可能性をしゃべりだす剛。
(ただし。)
心の中で付け加える。
(それはお前が自分で頑張れれば、だ。)
剛も空野もそれができないなら……。
(俺が面倒見るしかないよな?)
そう。調理実習で面倒を見てもらった俺の役目だ。俺のターゲットはあくまでも汰白ではあるが、こういう事態では俺がやるしかないだろう。
こっそりと決意をしていたら、鈴宮が「みゃー子」と呼ばれていたことを思い出した。そんなのんびりしたニックネームが可笑しくて、思わずそっと笑ってしまった。