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恋するココロの育て方  作者: 虹色
第四章 二人の距離
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48  自然科学教室 2


「大丈夫か?」


こんな言葉しかかけられない自分が嫌になる。


とにかく、泣き出した鈴宮を玄関の外に連れ出した。泣いているところを誰にも見られたくないだろうと、咄嗟に思ったから。


たぶん、その選択は間違っていなかったと思う。でも、泣いている彼女を外へと導くとき、肩に手を掛けたのは間違いだった。久しぶりの彼女の感触――しかも、ずっと前に<女の子>を実感した小さな肩――と、自分が大切に思う少女が泣いているという事実に、強烈な誘惑を感じてしまったから。


玄関の光からはずれた横の方に彼女を導いたあと、俺はひたすら誘惑と戦っている。


「これはチャンスだ」と、胸が騒ぐ。「肩を抱いて慰めたら、親密度アップは必至だ!」…と。


一方で、「今はそのときじゃない」と、冷静な声がする。「そんなことを考えるのは不謹慎だ。気持ちが弱くなっていることを利用するなんて卑怯だ」…と。


それに、彼女はたぶん、何かショックなことがあったのだ。その原因はあの先輩で間違いないだろう。そして、彼女のショックとは……先輩の気持ちを聞かされたことかも知れない。先輩として慕っていた相手に恋心を打ち明けられた。それが涙の原因だとしたら、ここで俺が同じようなことをしたら、彼女はまたショックを受けてしまう。


(だけど。)


すすり泣く鈴宮を前に、理性と本能――煩悩?――が争う。


(このままじゃ……。)


隣でタオルに顔をうずめている彼女。小さな肩が弱々しくて、あまりにも可哀想だ。ちょっとくらい手を掛けるとか…。


(そうだ。)


自分の方に引き寄せなければ良いのだ。片手で肩……いや、背中に手を当てる程度なら大丈夫だろう。俺が彼女を慰めたい気持ちは伝わるだろうし、もしかしたら彼女の方から俺に…。


(だから、ダメだってば!)


余計な想像は頭を振って追い払う。


(よし。)


気合を入れて、右腕に力を入れる。


そうっと…と思うのは、罪悪感がある証拠なのか。息を詰め、少しずつ腕を持ち上げる。手を開いたり閉じたりして指の力を抜き――。


(この辺か?)


女の子の背中って、どんな感触なんだろう? 硬いのか? やわらかいのか?


狙いを定めたあと、なぜか視線を逸らせてしまう。そして、ふわりと……。


(…?)


手のひらに何か凸凹(でこぼこ)したものが当たる。男同士で体を叩いたりするときには絶対に無かったこの感触は…。


(もしかして。)


これは、あれだろうか? 女性専用の…下着。


(どうしよう?!)


心臓がキュッと縮んだ……と、思ったら爆発した。


(そりゃそうだよな猫だって女子だしいくら小さくたってまさかノーブラとかいやそのまああり得ないっていうか…。)


体が冷たくなったり熱くなったりする。嬉しいような、損したような、中途半端な喜びが体を駆け巡る。背中に置いた手をどうしたらいいのか分からない。いきなり離したら疑われそうな気がするし、動かしたらはずれてしまうかも知れないし。


焦ってキョロキョロしていたら、タオルの上から顔をのぞかせた鈴宮と目が合った。


「ひぇ、ごめんっ。」


慌ててホールドアップのポーズ。俺は何もしてないから!


彼女は不思議そうな顔をした。どうやら疑われてはいないようだ。


ほっとしている間に、彼女がタオルを下ろして恥ずかしそうに微笑んだ。泣き止んだばかりのその瞳はまだ少し潤んでいて、何かの光を反射して輝いている。


「あの、ごめんね。どうもありがとう。」


(やべえ。マジか…。)


彼女の気弱な笑顔。まだドキドキしている体。暗い場所。二人きり。あらゆるものが俺を誘う。ぎゅーっと抱き締めてしまいたい。


「ええと、もう中に入るか?」


(俺ってすげえ!)


この精神状態でこんなことを言える俺は、稀に見る強い理性の持ち主なのではないだろうか?!


「ええと、もうちょっとだけ、いい?」


(ご褒美来たよ!!)


理性の勝利だ! 我慢した甲斐があった! 彼女の信頼を勝ち得た! しかも暗闇で二人きりだ!


「もちろん。気が済むまでいいよ。」


ちょっと気障ったらしいな、と反省したが、鈴宮以外に見られているわけではない。そして、安心して微笑む彼女を見ていると――。


(うーん……。)


やっぱりチャンスかも知れない、と思う。もしかしたら、彼女は俺が動くのを待っているのかも…?


「うひ?!」


考え込んだ一瞬の隙に体に何かが触った。あわててを体をひねると、いつの間にか鈴宮が横にいて俺を押していた。


(ちっちゃい手が! 可愛い! くすぐったい!)


嬉しくてにやける口元を急いで手で隠す。


「ね、あそこ。石が並んでるところ。」


一緒に座ろうということらしい。


「わ、わかった。くすぐったい。おい。」


抗議はただのポーズだ。こんなチャンスを逃すわけがない。


(あ〜、なんかもう♪)


わざと体重を後ろにかけて、彼女の手の感触をしっかりと味わう。くすぐったさと嬉しさが、さざ波のように体中に広がった。




「瀬上先輩に……何かされたわけじゃないから。」


落ち着いた声で彼女が言った。肩が触れない距離。けれど、今までよりは近く。玄関から届く微かな明かりで、彼女が微笑んでいるのがかろうじて分かる。


「うん。わかってる。」


もしも先輩に何かされたのだったら、今こうして微笑んではいないだろう。


「ちょっと…びっくりして。」

「……そうか。」


俺も微笑んでうなずいてみせた。安心したように彼女が息をついた気配がした。


(びっくりして、悲しかったんだよな?)


だからあんなふうに泣いたのだ。今はそれを乗り越えて微笑む彼女に愛しさがこみ上げる。


「ねえ。星、すごいでしょ?」


頭を反らして空を見上げる彼女。隣で俺も真似をする。


空の色は黒。何も反射しない、何もかもを吸い込むような黒だ。そこに浮かぶ星は、目が慣れるにしたがって数を増し――。


「…ホントだ。」


これでもかというくらいの光の粒。ところどころに大きな光はあるけれど、この中に星座を見分けるのは無理だという気がする。


「あの辺からこういう向きに、ぼんやり明るいのは分かる?」


空をななめに横切るように、彼女が指差した。


「え? どこ?」


示されたあたりを見るけれど、明るさの違いは見分けられない。


「うーん…。」

「ええとね、あれ?」


ドキン、と心臓が跳ねた。彼女の頭が俺の肩に当たったから。


(落ち着け。嬉しい。でも。ダメだ。嬉しい。)


彼女は俺の視点に近付こうとしているだけ。それは分かっている。だけど……。


「ほら、あのへん。」


俺に体を寄せて、彼女が再び空を指差す。彼女の肩が俺の腕を押し、頭が肩をかすめる。


(ああ…。)


本当に彼女は無意識なのか? どうしようもなく心が乱れて、星空には集中できない。


「うん…、ああ。」


返事をしなくちゃと焦った挙句、彼女の頭のてっぺんに向かって言ってしまった。


「ん?」


くるりと彼女がこっちを向いた。訝しげに眉間にしわを寄せて。「あ。」と思った瞬間に、彼女は間近に俺の顔を認めて、驚いたようにぱちりとまばたきをした。


「あ、あれ?」

「あ…、その…。」


二人の声が重なる。そのままどうしたらいいのか分からず、ただ見つめ合う。


(これは……。)


俺に身を寄せて見上げる彼女。言葉が途切れて半開きの唇がやわらかそうに俺を誘う。


(もしかして…鈴宮も……?)


待っているのかも知れない。


覚悟を決めて、そっとつばを飲み込む。腕の筋肉が緊張し、ピクリ、と反応した。さあ――。


「ご、ごめんね。くっつき過ぎたね。」


すっ…と彼女が体を離した。その途端、呪縛が解けたように全身の力が抜ける。


「ああ、いや、べつに。」


もぞもぞと座り直す彼女を横目で見ながら、取り繕って伸びをしてみる。


(避けられた…?)


こっそり彼女を観察しても、陰になって表情が見えない。


「ええと…、戻るか。」


自分の下心を隠そうと焦った挙句、またしても出てきたこの言葉。チャンスを終わりにする言葉を自分から言ってしまうなんて、俺って本当は意気地なしなのか。


「うん、そうだね。」


簡単に同意されたことが軽くショックだ。ふと目が合うと、彼女は微妙な顔をして、するりと視線を逸らしてしまった。


(え……。)


不安が胸に広がる。


(もしかして、嫌われた……?)


それっきり、彼女は俺の方を見ないで歩き出した。慌ててついていくしかない俺。


(そんな。)


下心がバレてしまったのか。俺の態度は、純情な彼女には我慢ならないものだったのか。このまま無言で終わりだろうか。


「あ、そうだ。」


ぽんと手を合わせて、彼女が立ち止まった。


「そのまま立っててね。」


そう言って、彼女が俺の後ろにまわる。怒っている気配ではない?


(あ。)


背中にそっと押し付けられたのは……手?


「あのね、元気を分けてね?」


照れ隠しの笑いを含んだ声が聞こえてくる。両手を当てられた背中がほっこりと温かくなる。


「なんだよ……。」


ほっとした。嫌われたわけじゃなかった。


それだけじゃない。


彼女が俺の元気を必要としている。俺が鈴宮の助けになっている。


(俺の、猫。)


彼女が俺を頼ってくれたことが、嬉しくて、有り難い。俺の大好きな彼女が。


「はい、ありがとうございました。」


その声に振り向くと、彼女は丁寧にお辞儀をしていた。顔をあげた彼女の様子を確認する。


「大丈夫か?」

「うん。もう平気。」


今はにっこりと笑顔を浮かべ、まっすぐに俺を見上げている。そんな彼女が誇らしくて、思わず彼女の頭に手を乗せた。


「ん。」


一瞬、驚いたように首をすくめたけれど、すぐに彼女は笑顔を返してきた。


(ああ。)


無邪気な彼女が可愛くて、愛しくて、そのまま抱き寄せたくなる。けれどそれを封印して、今は玄関に向き直る。


「よし。じゃあ、行くぞ。」

「はい。」


二人で気合を入れて、玄関の光の中に戻った。




消灯前の廊下で、瀬上先輩と鉢合わせた。先輩も俺に気付き、不機嫌な顔で立ち止まった。黒縁のメガネの奥の瞳が鋭く俺を見つめる。


「…お前なのか?」


静かにはっきりと問われた質問。その一言と表情で、俺の想像していたことが確信に変わった。先輩は鈴宮に自分の気持ちを伝え、鈴宮はそれに応えられなかった――。


「鈴宮は、まだ誰も選んでいません。」


俺の返事に表情を変えることなく、先輩がまた尋ねる。


「お前はどうなんだ?」

「俺は…」


一息吸い込んで気持ちを固める。先輩から目を逸らさずに。


「選んでもらえたら嬉しいです。」


すいっと先輩が横を向く。


「この前まで、俺だけのものだと思ってたのに…。」


先輩の視線が戻って来た。


「この一年、大事に守って来たのに。」


強い視線に、悔しさがにじんでいるように感じる。


無言でしばらく向き合ったあと、瀬上先輩はそっと視線をはずし、ため息をついた。


「鈴宮の気持ちは鈴宮のものなんだから、俺の思いどおりにならないからって怒るのは筋違いだよな…。」


(先輩も傷ついてるんだ……。)


自分の気持ちが届かなかったからじゃない。鈴宮を傷付けるようなことをした自分に失望したのだ。けれどそれは、彼女への想いから出た行為で…。


(難しいなぁ。)


恋をする気持ちって、なんて複雑なんだろう。


先輩が俺に目を向けた。そこに鈴宮への思いが込められているのだと思い、俺も真剣に受け止める。


「俺はこれからも鈴宮を見守っていく。鈴宮の…師匠として、行く末には責任があるから。」


そこまで言うと、先輩は歩き出した。すれ違う瞬間、もう一度声がした。


「でも、もうあいつを困らせないよ。」


背後で先輩が部屋に入る音が聞こえたとき、自分がどれほど緊張していたかに気付いた。


(鈴宮は俺のこと、どう思ってるんだろうな…。)


たぶん瀬上先輩とそれほど変わらないのだろうと思いあたり、大きなため息が出てしまった。







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