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恋するココロの育て方  作者: 虹色
第四章 二人の距離
47/92

47  由良 ◇ そんな…。


(晴れて良かった。)


懐中電灯の光を頼りに天体望遠鏡の三脚をたたみながら思った。


ここは宿から5分ほどのところにある空き地。夜の活動メニューである天体観察は、顧問の先生の解説を聞きながら月と星を観察する。


うちの部員は望遠鏡の準備や夜空の写真撮影などの仕事がある。綺麗に撮れた写真は文化祭で展示したり、来年のガイドブックに使ったりする。瀬上先輩の弟子を名乗っているわたしとしては、良い写真を撮って、教えてくれた瀬上先輩に報いたいと思っているのだけれど、どうもセンスがイマイチいらしい。


(あー…、眠くなってきた…。)


第一日目の今日は、午後3時には宿に着いた。朝の7時から歩き始めているから、着いたときはみんなほっとしていた。


今日から2泊お世話になるのは温泉のある民宿で、宿泊客はわたしたちのグループだけ。男子は一階のふすまで三つに区切れる続き部屋、先生は同じく一階の階段のそば、女子は二階に4、5人ずつ4部屋に分かれている。お風呂には3人はゆったり入れる湯船があり、みんな、お夕飯前に一日の疲れを癒した。お食事は広いお座敷で食べることになっていて、一日歩いた今日は誰も残したりしなかったし、男子はご飯を何杯もおかわりしていた。


夜8時から始まった夜空の観察会は自由参加で、うちの部員は全員来たけれど、それ以外は寝てしまった人もいる。車中泊だったし、朝が早かったから仕方ない。佐矢原くんと富里くんも寝ていたと、空野くんが言っていた。


(こんなに綺麗なのにもったいないね。)


もう一度、と思って見上げると、西空に明るく輝く半分の月。その光でその周囲は星が目立たないけれど、離れた場所は、黒い紙に光る砂をまき散らしたように星が見える。


手元に視線を戻し、カシャン、と三脚の脚を閉じて確認。これで間違いなくたためてるはず。少し大きめの三脚は、たたんでもちょっとかさばっている。


「できたか?」


瀬上先輩の声がした。


「はい。あとは袋に……。」


ポケットを探っていたら、肩に掛けた自然科学部の大きめのカメラがずり落ちてきた。慌ててストラップを押さえると、今度は持っていた三脚のバランスが崩れる。


「うわ。」


すかさず瀬上先輩の手が伸びてきて、三脚を持ってくれた。


「ありがとうございます。」

「いいから早くしろよ。」


お礼を言っても、先輩はいつものとおり、無表情にそっぽを向いている。


「はい。」


顧問の先生の「行くぞー。」という声がする。「はーい。」と答えながら、急いで先輩の持つ三脚に袋をかぶせた。


「できた! ありがとうございます!」


三脚をもらおうとすると、先輩が「いいよ。」と歩き出す。


「ダメです。先輩はもう引退したんですから、お客様なんですからね。」

「ふ…、そうだな。分かったよ。」


先輩が少し呆れたように笑って三脚を差し出した。


それを受け取ってほっとする。わたしは女の子扱いされるのが好きじゃないから。どうしても力が足りないとか、背が小さいとか、本当に無理なものは仕方がないけれど、そうじゃない限りは男子と同じ扱いがいい。先輩はそんなわたしをいつも面白そうに見守ってくれていた。


「忘れ物は無いなー?」


顧問の先生が、最後に懐中電灯で周囲を一回り照らしている。先生の周りにはうちの女子部員がいて、楽しそうに話しかけている。おしゃべりが上手な若い男の先生なので、女子にまあまあ人気があるのだ。


前方にはもう宿に着いた生徒が玄関に入っていくのが見える。一年女子に囲まれた空野くんの姿も、一年男子に囲まれた利恵ちゃんの姿も。後ろからは女子の明るい声と先生の笑い声。


「猫ってなんだよ?」


それまで黙っていた先輩が、隣でぼそりとつぶやいた。


「猫? いました? どこに?」


闇を透かして見ても、猫らしき影は見えない。


「違う。呼ばれてただろ、お前が。」

「ああ。」


月明りの中、こちらを向いた先輩が不機嫌な顔をしているのが分かった。でも、そんなのはいつものこと。わたしが察しが悪かったりすると、すぐに短気を起こすのだ。


「あだ名です。『みゃー子』だからって。ふふ、変ですよね、あたしが猫っぽいわけじゃないのに。」

「ふん。仲がいいんだな。」

「そうですか?」

「夕飯のときも、ずっとしゃべってた。」


言われてみると、確かにそうだ。でも、お隣に座っていたのだし…。


「あれは半分は自然科学部のお仕事だったんですよ。」

「何がだよ?」

「だって、途中で見た花とか鳥の鳴き声とか、ガイドブックで調べても分からないのがたくさんあったって言うから。」


あれには感心した。そもそも部員以外であのガイドブックを開いている生徒なんて、ほとんどいないのだ。しかも、ガイドブックに載せていないものをいくつも記憶してきていて。まるで、見たもの聞いたものを、片っ端から覚えてきたみたいに。


けれど、その覚えてきたものを表現する言葉が面白くて、食事のあいだ、笑ってばかりだった。


「それだけなのか?」

「え?」

「本当にそれだけが理由なのか?」


先輩が立ち止まってわたしに体を向けた。つられてわたしも足を止める。


宿の玄関まであと数メートル。黒縁のメガネの奥の瞳が、まっすぐにわたしに向けられている。先輩がどうしてそんなことを尋ねたのか、意味が分からない。


「まあ……、確かに仲良くしてもらってますけど……。」


わたしの答えに、先輩が苛立つ気配が伝わって来る。


(何だろう?)


いつもと変わらないのに、何かが違う。でも、何が?


「お先に〜。」

「瀬上先輩! もう引退したんですから、みゃー子に厳しくするのはおしまいにしたらどうですか?」

「朝食は7時だからな。」


女子部員と先生がわたしたちを追い越して玄関に入っていく。先輩がわたしを怒っている図は、自然科学部ではみんな見慣れているから誰も気にしない。わたしも彼女たちに笑顔で手を振る。


「俺は?」


突然の質問に、慌てて先輩を見上げる。


「はい?」

「俺とはその……どうなんだよ?」


言いながら、先輩は横を向いてしまった。こんな歯切れの悪い先輩は初めてだ。質問の意味がよく分からなくて、でも、短気な先輩にまた怒られないように、大急ぎで考える。


「先輩と……、あ、はい! 先輩とも仲良しですね!」


答えながら嬉しくなった。だって、こんなことが気になるってことは、先輩もわたしを気に入ってくれているということに違いないから。


「先輩には本当に感謝しています。いつも面倒みてもらって、たくさんいろんなこと教えてもらって。写真ではお師匠様だし――」

「そういうことじゃないよ!」


語気荒く遮られて驚いた。思わず抱えていた三脚を抱きしめる。


「お前の気持ちはそれだけかよ? 俺は、たった何か月か同じクラスになったヤツと同じか? 俺はもっと前からお前のそばにいたのに。」


いつもよりも早口に紡ぎだされる言葉に圧倒される。先輩の真剣な態度にも。こんな先輩は初めてで……。


「何だよ、『仲良し』って。俺はそれだけの存在か? 俺がどんな気持ちでお前と一緒にいたのか分からないのかよ?」


(「どんな気持ち」って……まさか……。)


聞くのだろうか――と、突然思った。自分には縁が無いと思っていた言葉を。瀬上先輩の口から。


「先、輩……?」


恐ろしい思いに包まれた。鼓動が強く、速くなる。


(言わないでほしい。違っていてほしい。)


必死で願う。けれど。


「俺はお前のことが好きだ。この気持ちをかかえて、ずっとそばにいた。」


いどむように、怒った態度のまま、先輩がわたしに告げる。その言葉が胸に突き刺さる。


――終わりだ。


頭のどこかで声がした。真っ暗な中で、地面が消えてしまったような気がする。


――終わりだ。終わりだ。終わりだ……。


頭にこだまする声を聞きながら、わたしは途方に暮れて、ただ先輩を見つめている。


「だけど、無駄だったんだな。」


苦々しく吐き捨てるように言い、先輩が視線をそらした。


「一年以上そばにいても、たった何か月かのヤツと同じだなんて。」

「あの。」


(違うのに。)


説明したい。でも、言葉が出ない。


(違うのに。)


ほかの誰かと同じなんかじゃない。わたしの中には瀬上先輩だけが占めている場所がある。そこは、ほかの誰かが代われる場所ではない。瀬上先輩は、瀬上先輩なのだ。


でも、どう伝えたらいいのか分からない。


瀬上先輩は特に好きな先輩で、尊敬もしている。一緒にいると気兼ねがいらなくて、とても楽しい。…でも、その気持ちに<恋>は混じっていない。先輩に対して、そういう気持ちを持ったことが無い。今までの先輩との関係の延長線上に<彼氏>という設定は……考えられない。


(これで……終わり、だ。)


先輩の気持ちに応えられないから、今まで築いてきた関係も……。


「もういい。入るぞ。」


プイ、と先輩が玄関へ向かった。その後ろに続きながら、心の支えのように三脚を抱きしめる。


ガラリと玄関の引き戸を開けて先輩が入っていく。続いてわたしも敷居をまたぐと、人影が前の廊下を通りかかった。


「お。」


(佐矢原くん…。)


黒いジャージ姿の佐矢原くんが先輩とわたしを見比べながら立ち止まった。


ふいに先輩が振り向いて、わたしから三脚とカメラを素早く抜き取った。


「これは俺が片付けとく。」


返事を拒むような態度と声。そのまま目を合わせずに無造作に靴を脱いで、廊下の奥へと歩き去る。わたしも佐矢原くんも、無言でその姿を見送った。


(先輩……。)


感謝の言葉も、何も伝えられなかった。その虚しさと悲しさが胸をふさぐ。


佐矢原くんの動きで我に返った。目が合うと、表情で「何かあった?」と問いかけられた。


(佐矢原くんだ……。)


見慣れた大きな体。肩に入っていた力が抜ける。同時に、わたしの中の何かが崩れた。


(佐矢原くん。)


心が呼びかける。その途端、じわり、とまぶたが熱くなった。視界がゆらりと揺れる。


(うわ。ダメなのに。)


泣きたくない――。


けれど、うっかりまばたきをして、涙がこぼれてしまった。一粒こぼれたら、次から次へと。


「あれ? あの、あ…。」

「す、鈴宮? どうしたんだよ?」


サンダルをつっかけて、佐矢原くんが慌てて近付いてくる。申し訳ない。泣き止みたいのに、涙が止まらない。ぬぐってもぬぐっても、涙があふれてくる。


「う…、ごめ…。」

「どうした? あの先輩に嫌なことされたのか?」

「ち、ちが…。」


おろおろと尋ねる佐矢原くんに、首を振って否定することしかできない。そんな自分が情けない。


「ああ…、ええと、ちょっと、外に出るか?」

「…うん。」


頭を冷やした方がいい。それはたぶん、間違いない。







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