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恋するココロの育て方  作者: 虹色
第四章 二人の距離
44/92

44  由良 ◇ 日曜日の夜に


(どうしよう?)


もう30分もスマートフォンを見つめて迷っている。メールを送るなんて、難しいことじゃないのに。


(でも、嫌かも知れないし…。)


相手は佐矢原くん。今日の試合、「お疲れさま」って伝えたい。


(だけど……。)


こんなに迷っているのは、今日の試合で負けてしまったから。そして、最後のバッターは佐矢原くんだった。


(落ち込んでたみたいだもんね……。)


県大会で2回戦に進んだうちの学校は、ちょうど日曜日に試合があたり、一般生徒も大勢応援に詰めかけた。わたしも利恵ちゃんや空野くんと一緒に行って、高校野球の応援というものを初めて経験した。富里くんは野球部で応援団を結成していて、暑い中で学ランを着込み、長い鉢巻と白い手袋をして、声を枯らして生徒の応援を仕切っていた。


相手チームにリードされて迎えた9回の表、センターを守っていた先輩が怪我をして、佐矢原くんと交代した。応援席の下から出てセンターに向かう佐矢原くんを見たとき、どういうわけか、ものすごくショックを受けてしまった。


何か……、どこか……違う気がして。


わたしが知っている佐矢原くんは、リラックスして、いつも穏やかな空気をまとっている。でも、グレーのユニフォーム姿の佐矢原くんは、何て言うか……硬いガラスのケースに入っているように感じた。気安く近付いたら、ガラスの角で手を切ってしまいそうな。


どんなに親しくしていても、わたしが踏み込んではいけない場所があるのだと、そのとき思った。


センターを守る佐矢原くんを見ながら、祈るような気持ちになっていた。「どうか活躍できますように」って。だって、あんなに真剣な佐矢原くんは初めて見たから。部活のほかに自主練もやっているって知っていたけれど、その意味をちゃんと理解したのはあのときだったと思う。


9回の裏で最後の攻撃が始まったとき、バッターボックスに入る人たちに声援を送るのが、それまでよりも難しかった。ここで点が入らなければ負けてしまうという焦りと、そんな大勢の気持ちを背負ってバットを握る選手たちの重圧を思うと、応援することも苦しかった。ツーアウトで佐矢原くんが出てきたときには声を出すことができなかった。


佐矢原くんの打球はファーストゴロで、呆気なくアウト。試合終了。


試合が終わって退場する前に選手が一列になって応援席に頭を下げたとき、佐矢原くんは顔を上げなかった。


富里くんに誘われて、利恵ちゃんと空野くんとわたしは、佐矢原くんが出てくるのを待つことになった。応援に来てもらえると、負けた試合でも選手は嬉しいからって言われて。ほかにもお友だちを待つ生徒がたくさんいた。選手の彼女さんもいたのだと思う。泣いているひとも少なくなかった。


ベンチ入りしなかった部員も一緒に簡単なミーティングがあって、残っていた生徒が彼らを囲むように立っていた。監督の先生が選手をねぎらい、キャプテンらしき先輩があいさつをして、部員が一斉に「ありがとうございました!」と先生に頭を下げた。その直後、取り巻いていた生徒の中から「お疲れさま!」「いい試合だったぞ!」と声がかかり、拍手がわいた。


富里くんが佐矢原くんを連れて来たときも、わたしは微笑むのがやっとだった。何を言ったらいいのか分からなかったし、何よりも、声を出したら涙も出そうだったから。


本当は、佐矢原くんがバッターボックスに立ったときから、ずっと泣きそうだった。けれど、わたしが泣くのは筋違いな気がして、泣いちゃいけないと思った。


だって、試合のために頑張って来たのは佐矢原くんなのだ。グラウンドでプレーするのも、みんなの思いを背負うのも、試合に出ている選手たちだ。そのひとたちを差し置いて、自分が泣いたらいけないと思った。今まで彼らの苦労を考えたことのないわたしなんかが。


一緒に帰ってくるあいだ、佐矢原くんはいつもと同じように笑顔だった。富里くんとふざけたり、空野くんや利恵ちゃんにからかわれたりして笑っていた。わたしもだいぶ落ち着いて、笑顔でいることはできた。


でも、やっぱり佐矢原くんに言葉をかけることができなかった。


そのことが、今はとても悲しい。自分が情けなくて、腹が立つ。もっと強くなりたいと思う。周りの人に元気をあげられるように。


(今日のうちに送らなくちゃ。)


わたしからは何も声を掛けていないのだから。お友だちなのに、ねぎらいの言葉一つも伝えられないなんて、本当に情けない。


(一言でいいんだから。)


ようやく送れそうな気がしてきたのに、また迷う。今は10時。佐矢原くんは一人でどんな気持ちでいるんだろう…。


「大丈夫。きっと、大丈夫。」


声に出して言ってみる。


そう。きっと大丈夫。わたしの一言くらいで、佐矢原くんが動揺したりするわけがない!


覚悟を決めて画面に触れる。


『今日はお疲れさまでした。 鈴宮』


「よし!」


気合を入れて、迷う前に送信だ!


「はー……。」


緊張が解けて力が抜ける。そのまま机に伏せてしまう。


「ん〜〜〜〜〜。」


新たな緊張が押し寄せてきた。なんとなく、こうなる予感はしていたけれど。


「うーーーーー。」


(やっぱりやめれば良かった!)


今ごろ思っても遅い。送ってしまったものは取り消せない。


送信済みフォルダを開いて、文章を確認。『今日はお疲れさまでした。』、おしまい。それ以上でもそれ以下でもない。もらった佐矢原くんも、これなら特に何も感じないだろう。


(勉強でもしよう!)


ぼんやりしていると、メールのことが気になってしまう。もう読んだのだろうか、とか、何を思うのだろう、とか、返信が来るだろうか、とか。たったあれっぽっちの内容なのに。


英語の予習を始めても、最初はなかなか落ち着かなかった。スマホを見えない場所に置いた方がいいような気がするものの、そうする決心がつかない。でも、10分、15分と経つにつれて、不安が消えて行った。今日はもうこれで終了だ。いつの間にか、スマホよりも英文がわたしの頭を占領していた。


(………?)


チリリーン…と音がした。机の隅に置いたスマホから。


(もしかして、来た……?)


一気に緊張が戻って来る。差出人にはやっぱり佐矢原くんの名前。


(大丈夫大丈夫大丈夫…。)


落ち着きたくても落ち着けない。なんだかクラクラするような気もするし。あんなメールの返信は『ありがとう』以外にあり得ないのに。


『窓の外見れる?』


(え?)


思わず目を疑った。


「窓の外」。予想と違う言葉。


(まどの……そと?)


意味を理解するまで少しかかった。気付いてすぐ、スマホをつかんだまま窓に走り寄り、慌ててカーテンを30センチくらい開ける。目の下には我が家の赤い車、そして道路、その向こうには――。


「あ……。」


公園側の街灯の下に佐矢原くんがいた。半袖のシャツを着て、自転車にまたがって、笑顔で手を振っている。


(来て、くれたんだ……。)


あまりにも驚いてしまって、どうしたらいいのか分からない。つられて手を振ると、佐矢原くんはその場でスマホを操作して、わたしにそれを示した。すぐにわたしの手の中のスマホから「チリリーン」と音がする。


(メール、見て…ってこと?)


急いで画面に触れる。


『今日は来てくれてサンキュー。カッコいいところ見せられなくて残念だった。』


顔を上げると、佐矢原くんは笑顔のままもう一度合図して自転車をスタートさせた。その後ろ姿が見えなくなるまで、ガラスに張り付いて見送った。あっという間の出来事だった。


(なん、だろう……。)


カーテンを閉めたら全身の力が抜けてしまって、ぺたりと床に座り込む。まだ驚きの気持ちがおさまらない。


(ホントに……急にだから…。)


佐矢原くんのメールが、ぼんやりした頭の中をぐるぐるとまわる。


『来てくれてサンキュー』

『カッコいいところ見せられなくて』


(そんなこと、無いのに。)


グラウンドに立った佐矢原くんは、ちゃんと格好良かった。活躍できなくても、普段と違う真剣な姿に感動した。


(そうだ。それに。)


今、思い出してみて、やっと気付いた。


(ユニフォーム、似合ってた。)


ベンチから出て行ったとき、大きな背中が頼もしく見えた。野球部カットの頭も、ユニフォームと一緒だとさわやかだった。黒い帽子をかぶった顔は、くっきりした目元が凛々しくて。


(そうだ!)


佐矢原くんを驚かせてあげよう。わたしが驚かされたお返しに。


急いでメールを打つ。佐矢原くんが家に着く前に届くように。


『ユニフォーム姿、カッコ良かったよ! おやすみなさい! 猫』


送信して、急いで枕の下にスマホを隠す。だって、しばらくは気にしたくない。


「よし! 予習しよっと♪」


机に向かいながらやたらと楽しい気分。今日は何ページでも訳せそう。


(家が近いって、楽しい。)


こんなに気軽に顔を見せに来てくれるのは、佐矢原くんだからなのかも知れないけれど。


「ふふ。」


佐矢原くんがわたしのメールを見て驚く姿を思い浮かべたら、可笑しくなった。でもそれだけじゃなくて、佐矢原くんが元気になっていて、本当に、本当に、良かった!







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