39 ライバルで友だち
監視が強化された水曜日。うっとうしくなって廊下に出た俺についてきた空野と剛が思い出したように尋ねた。
「そう言えば直樹、前に、俺たちに負けてると思って焦ったって言ってたよな? なんで急にそんなこと思ったんだよ?」
「ああ…。」
確かにその話をした記憶がある。二人に黙って鈴宮をバッティングセンターに呼び出したことを説明するときに。
「それは……。」
どこから話すべきか迷う。考えながら廊下の角を曲がり、人が少ないことにほっとして、振り返って二人と向き合った。
「汰白に聞いた話が気になって。」
そう。最初の最初はそこだった。
「汰白?」
「うん。汰白が、鈴宮のまわりにいる男のことを調べてるって言って…。」
「なんだそりゃ?」
「何のために?」
「それが、俺にもどういう成り行きなのかよく分からないんだけど……。」
そう言えば、あれからどうなったのかもよく分からない。
「『鈴宮を守る』って言ってた。変な男を近づけないようにするって。」
「へえ……。」
剛と空野が曖昧にうなずいた。
「で、俺に剛のことを聞きに来たってわけ。」
「え?! 俺のこと?! お前に?!」
「そう。」
まさか自分が調査の対象だとは思っていなかったらしい。かなりはっきりと立場を主張しているのに、<近付いてる男>としての自覚が無かったなんて不思議だ。
「何を訊かれた?! お前、俺のこと何て話したんだ?!」
剛が焦っている。
「悪いことは言ってないよ。見たままの性格だって言っておいただけ。」
「良かった~…。」
「<見たまま>がどう思われてるか分からないのに安心してていいのか?」
剛をからかう空野も、自分が調査の対象になっているとは思っていないのかも。
「空野もチェックされてるよ。誰かに聞きに行ったって言ってたから。」
「え?」
空野が顔をしかめた。自分が知らない間に調べられていたなんて、確かに気持ちが悪いだろうから、さっさと続きを話すことにした。
「で、そのほかに2人いて。」
「2人?」
「直樹ともう一人?」
「いや、俺は入ってない。全部で4人。」
「お前、入ってないのかよ! 『猫』とか呼んでるくせに!」
それは俺だって指摘した……なんてことを言ったら、あの「危険度ゼロ」を話すことになってしまう。だからスルーすることにする。
「あとの2人は自然科学部の部長と2年生だ。」
「2年生の誰?」
すかさず空野が尋ねた。
「泉沢とかいうヤツ。ええと、8組だったかな。」
「ああ、あいつか。」
「知ってるのか?」
俺の質問に横から剛が答えた。
「こいつ最近、自然科学部に顔出してんだぜ。」
「そうなのか?!」
驚いた。空野は簡単に「まあね。」とニヤッとした。
空野は部室が近くて森梨とも親しいことを利用して、最初はプラナリアがどんなものなのか見せてもらうという口実を設けて参加したらしい。そのあとは、ほかの活動にも興味があるから、と言って。最初のころの恥ずかしがり屋の空野からは想像もできない。どこで、何を吹っ切ったのだろう? でも、これで空野が夏休みの自然科学教室への参加が早々と決まっていた理由が分かった。
「俺は泉沢と部長のことは気付かなかったなあ。いつも男女混じって集団でワイワイやってる感じなんだよ。まあ、そんなに長時間見ていたわけじゃないけど。」
「汰白はどこでその情報を仕入れたんだよ?」
剛が半信半疑の顔を俺に向ける。
「泉沢の話は森梨からだって。部長の方は、自分で見たから間違いないって。」
「ああ、女子の方がそういうところは鋭そうだもんなあ。」
追加の情報を思い出したので、空野に訊いてみる。
「部長が鈴宮と家が近いって知ってるか?」
「え、そうなのか? 俺、最後までいたこと無いんだよ。」
「そうなのか。同じバス停だって言ってたけど。」
それを聞くと、空野が考えながら言った。
「やっぱり俺、入部しようかな。あのくらいなら兼部しても平気そうだから。」
「お前はいいよなあ、囲碁将棋部。俺たちなんか絶対無理だぜ。なあ、直樹?」
「うん。」
同意しながら、剛が空野を口ではうらやましがりながらもあまり気にしていないようなのを不思議に思った。空野が鈴宮に近付くのに有利な位置を確保しようとしていることに、焦りや不安は生まれないのだろうか……と思ったら。
「何言ってんだよ? 自分は二人だけの時間を作ってるくせに。」
「え?!」
空野がさらりと漏らした話に、思わず大きな声が出た。慌てて周囲を見回したが、俺たちに興味を持った生徒はいないようだ。
剛はニヤニヤしながら俺を見ている。驚いたままの俺に、空野が笑いながら言った。
「剛が図書室の常連なの知ってるだろ?」
「ん、ああ、そう言えば、よく昼休みに……。」
「あそこでときどき由良ちゃんと一緒になるんだってさ。で、のんびり話をするってわけ。」
(そんなことが!)
教室とは違う、静かで落ち着いた図書室でゆったりと話している二人の姿が目に浮かぶ。大きな書架の陰で、穏やかな微笑みを浮かべて。
「そう、なんだ……。」
驚いただけじゃなく、一気に自信も無くなった。
あの日、空野と剛が俺を脅かした理由は、嫉妬なんかじゃなかったのだと完璧に理解した。あれは、単に俺にお灸をすえたに過ぎないのだ。二人とも、俺なんかよりも着実に鈴宮との距離を縮めている。俺が陰でこそこそ何をしようが、問題にならないくらいに。
「俺たちさあ、お互いに抜け駆けはしょうがない、って思ってるから。」
ぼんやりしている俺に空野が軽く言った。
「だって、それがなくちゃ、どっちも先に進まないもんな。」
「当然、邪魔もするけど。」
「まあな。」
うなずき合う二人。
「もちろん、直樹も同じだからな。」
「ああ…うん、分かった。」
認めてもらえてほっとした。その俺に剛が釘を刺した。
「あ、でも、触るのは無しだぞ。」
「う…、しょうがないな、分かったよ。」
しぶしぶ了解した俺の隣で空野が言う。
「でもさ、危ないときは有りだろ?」
「危ないとき?」
「転びそうになったときに手を貸すとか、悪者に追われたときに手を引いて逃げるとか。」
(悪者って……。)
極端な発想が微笑ましい。そう言えば、空野は前にも「守る」って言っていたことがあった。空野には鈴宮の騎士になりたい願望があるのかも知れない。
「それは仕方がないだろ? 要するに、いきなり手をつないだり、無理やりチューしたりしちゃダメってこと。だよな?」
剛がそう言いながら俺を見た。
「うん、そうだな。その…下心が有るか無いか、みたいな?」
「そうそう! それ!」
勢いよく俺に同意した剛に、空野が「それなら」と身を乗り出した。俺たちも顔を近づける。こそこそと相談し合う俺たちは、ほかの生徒にどう見えているんだろう?
「もしも自分が転びそうになるとするだろ?」
「ああ、うん。」
「目の前に由良ちゃんがいるとする。」
「うん。」
「そこで思わず由良ちゃんに抱き付くのは――」
「有りだな、それは。」
剛が即答した。俺もうなずいた。すると今度は、空野が俺に向かって言った。
「でも、由良ちゃんの隣にもう一人いたとしたら?」
「え?」
「どっちでもいいのに由良ちゃんに抱き付いたら、それは『下心がある』ってことにならないのか?」
そう言われると、簡単には判断できない。
顔を見合わせる俺と剛に、空野はさらに難題をふっかける。
「すれ違うときにハイタッチをするとか。」
「まあ…、それくらいはOKかな。」
「場所を教えるときに、肩に手をかけるのは?」
「何だろう……、ダメ……かな?」
「ふざけてほっぺたをつつくのは?」
「ちょっと……微妙…?」
「直樹はたまにやるけど、頭をなでるのは?」
「それくらいはいいだろ!」
思わず言ってしまった。
「じゃあ、ほっぺたをつつくくらい、いいんじゃないか?」
空野が言うと、剛が急に元気になった。
「じゃあさ、じゃあさ、怪我したときに、由良ちゃんに絆創膏を貼ってもらいに行くのもいいよな?」
「それは当然オッケーだろ。」
「フォークダンスに誘うのは?」
「どこでやるんだよ、そんなもの。」
「じゃあ、柔道の練習とか。」
「そんなの、本人がOKするわけないだろ!」
なんだか話がめちゃくちゃになって来た。
それからも、わけの分からないシチュエーションが次々と登場しては、いいとか悪いとか、議論が白熱した。でも、仕方がないと思う。だって、俺たちはみんな、ちょっとは手を出したいのだ。
「何かにぶつかりそうになった由良ちゃんを引っ張るときに、腕じゃなくて肩に手を掛けるとか。」
「いいな、それ!」
「そのままこっちに寄りかかられちゃったりとか?」
「その勢いで見つめ合っちゃうとか。」
「うあ~!」
結局、話はまとまらず、予鈴が鳴ったところで、それぞれの良識に任せるという結論が出た。
急ぎ足で教室に戻りながら、俺はなんだかすっきりした気持ちになっていた。だって、鈴宮に近付こうと策を練っていたのは俺だけじゃなかったのだから。これからは堂々と鈴宮に近付ける。
(……とは言っても。)
厳重な監視下に置かれている身では、当分は抜け駆けなんかできそうにない。