27 女子の視点
(あーあ……。)
中間テストが終わってそろそろ一週間、6月も後半の昼休み。今年の梅雨はしっかり梅雨らしい天気が続いている。この分だと、今日の部活も筋トレと校舎内ランニングと素振りしかできないだろう。
「あーあ……。」
廊下の窓に腕をかけてぼんやりと雨雲を見上げながら、今度は声が出た。
下に目を向けると、晴れた日には生徒がたくさん行き交う中庭が、今日はしとしとと降る雨の中で灰色っぽく見える。蒸し暑さもあって、みんな冷房の効いた教室に入っているから、俺の後ろを歩く生徒も多くない。たまには一人になりたいと思った俺には、なかなか有り難い状況である。
(つまんねぇなー……。)
体を動かし足りないうえに、景色も憂鬱だ。そのうえ……最近、鈴宮とゆっくり話せていない。
(これが普通なのかな…。)
また大きなため息が出た。
もちろん、あいさつはするし、すれ違えば声もかける。いつも彼女はにこにこしていて、その笑顔が俺と言葉を交わすときには一層嬉しそうで――俺の見た感じでは――可愛らしくなる。けれど、彼女はいつも森梨やほかの女子と一緒にいて、俺が話しかけても、忙しそうに通りすがりの一言と一瞬の笑顔をくれるだけで行ってしまう。球技大会の直後はもっと話していたと思うのだけど…。
(俺が勝手に期待してただけなのか……?)
あの雷雨の日から10日以上が過ぎた。あの日のことは何度も思い出している。そのたびにドキドキしながら、自分に向けられた彼女の思いやりに、友達以上の気持ちが混じっているんじゃないかと考えてしまう。<俺だから>やってくれたんじゃないか、<俺だけに>向けられているんじゃないか……って。なのに。
空野と鈴宮が一緒に登校しているのを見つけた日、俺は彼女に「一緒にいると楽しい」と伝えた。あれは自然に出た言葉ではあったけれど、だからこそ本当の気持ちだった。そして、その後ろに「これからも一緒にいたい」という思いがあってこその言葉だったのだ。それに気付いたのは、彼女とゆっくり話す機会がめぐってこないことに苛立ちを感じはじめてからだったけれど。
(鈴宮は、俺のことなんかどうでもいいのかな…。)
男の中では、鈴宮と一番親しいのは自分だと思っていた。彼女が空野や剛とどんなにたくさんしゃべっていても、俺が一番だと。でも本当は、ただの同級生でしかなかったのか……。
「佐矢原くん、ちょっといい?」
爽やかな風を思わせる声に振り向くと、汰白だった。珍しく一人で、でもいつもの通り、力強い明るさを発散して。
「何?」
窓に片腕をかけて横向きに寄りかかった俺の前に、汰白が笑顔で立つ。それを見てむなしくなった。1か月前なら、こんな状況に心が躍っただろうに……。
「剛くんって、どんなひと?」
「……え?」
唐突な質問。
「どんなひと…って?」
「んー、女子には人気あるけど、男子から見たらどうかと思って。佐矢原くん、同じ野球部でしょ? どう?」
(剛の……?)
普段はあれこれ思っていても、いきなり尋ねられると、意外に答えにくい。
「まあ……、あのままだけど。なんで?」
俺の質問を無視して汰白が続けた。
「陰で意地悪したりとか――」
「いや、それは無いぞ。」
あいつは、陰で何かをやったりできない。感情を隠しておくのが苦手なのだ。それが行き過ぎたせいで、鈴宮を怖がらせていたくらいだし。
「むしろ、すげぇ照れ屋だな。」
「へえ、そうなんだ? 意外〜。いいねえ、そういうの。あとは?」
「そう訊かれると、簡単には……。」
「たとえば、お金遣いが荒いとか。」
「特に感じたことは…。」
「彼女を次々と取り換えてるとか。」
「いや。コクられても簡単にはOKしてないな。」
「そうか。結構誠実なのね。じゃあ、実は下ネタ大好きだったり。」
「え? いや。はあ?」
(何なんだ、これは?!)
「なあ。なんで、そんなこと訊く? 人気投票でもやるのか?」
質問し直して、汰白の尋問を遮る。だってこれじゃあ、まるで素行調査だ。俺の答えが剛の評判を落とすようなことになったら嫌だ。
「んー、ちょっとね。」
汰白が楽しそうな上目づかいをする。こんな状況、1か月前なら、本当に嬉しかっただろうけど……。
「まあ、佐矢原くんなら話してもいいか。」
以外にあっさりと汰白が折れた。「あのね」と言って、背伸びをして俺の耳元に顔を寄せる。
「みゃー子に相応しいかどうか調べてるの。」
(?!)
驚いたあまり、声が出なかった。
目を剥いて見つめる俺に汰白が近付いて、窓の方を向くように肩を押した。そのまま並んで内緒話を続ける。
「だって、みゃー子ってあんまり素直なんだもの、すっごく心配なの。」
「あ、ああ。」
「ずるい男の子に騙されるとか、同情しただけの相手に無理やり押し切られちゃうとか、そんなことになったら可哀想でしょ?」
「ああ、まあ…そうだけど。」
「だから、みゃー子の周りにいる人たちが大丈夫か調べてるの。」
「そこまでやるか、普通?」
汰白が鈴宮を心配していることは分かった。どうして急にそうなったのかは分からないけど。とは言え、剛の素行調査までするなんて、過保護すぎるような……。
「みゃー子はあんまり誰かを疑うってことをしないのよ。だから、悪意を持ってみゃー子に近付くのは簡単なの。」
まあ、それは分かる。
「だからあたしが守ってあげるわけ。」
それにしても行き過ぎでは……?
とりあえず曖昧にうなずいた俺に、汰白は楽しそうに続けた。
「実は、もうほかの情報も集めたんだ♪」
「ほかの?」
「そう。今のところ、チェックしてるのは4人なの。」
「4人?」
ドキッとした。その中に自分も入っている可能性があるのだろうか、と。汰白は俺の微かな反応には気付かなかった様子で、楽しそうに報告を続けた。
「まず、剛くんでしょ?」
「それ、どうやって決めたんだ?」
一応、そこを聞いておきたい。
「ああ、名前で呼んでるから。それに、みゃー子とは席が近くてよく話してるし。万が一、ってこともあるから。」
「ああ…そうか。」
剛との可能性は「万が一」? ちょっと嬉しい。
「それと同じ理由で、空野くんね。」
「ああ。」
「去年の同級生と、同じ部活の男の子に聞きに行った。」
「へえ。」
行ったのか。なんて積極的な。
「あとね、」
次の名前に緊張する。もしも自分だったら――。
「泉沢くん。」
「泉沢? 誰?」
自分じゃないことにほっとしたような、じれったいような気がしつつ、知らない名前が出たことに思わず反応した。
「ん? みゃー子と同じ部活の子。利恵情報だよ。2年8組、泉沢友彦くん。」
「へえ。」
そうだった。部活にだって、いて当然だ。
「あとね、瀬上先輩。」
「せ、先輩? 3年生?」
(そっちにもいたのか?!)
しかも、またしても俺じゃないし!
「そう。瀬上浩輔先輩。自然科学部部長、3年7組。」
「それも森梨情報?」
「違うよ。見たの。」
「見た?」
それまでと違う汰白の秘密めいた様子に、嫌な胸騒ぎがした。
「部活の途中で抜けてきたみゃー子を探しに来たの。それが、見つけた途端にすごい剣幕でね。みゃー子は怒られてると思ったみたいだけど、あれは先輩がみゃー子を心配して、大急ぎで来たんだよ。」
「そんなこと分かるのかよ?」
「分かるよ! あたしがみゃー子をいじめてると思って睨んだんだから。女子はそういうところに敏感なんだよ? まあ、みゃー子は別だけど。」
まあ、汰白が言うことなら間違いないような気がするけど……。
(これで4人だ…。)
俺は入っていない。これは素直に喜ぶべきことなのか?
「そ…、ええと、その中に、有望なヤツはいるのか?」
「え? 有望って言うか……。」
(どうなんだよ?!)
「とりあえず、みんな合格。」
にっこり答える汰白。
「合格…。」
「うん。多少、口が悪かったりもするけど、基本的にやさしいんだよね、みんな。」
「ふう…ん。」
「変な人だったら、みゃー子にさり気なく悪い噂を聞かせちゃおうかと思ってたんだけどね。あくまでもホントのやつを。」
(こわ!)
…なんて言ってる場合じゃない。
「それで…全部?」
「ん? まあ、それらしい相手はね。」
「あの、たとえば……俺とか。」
勇気を振り絞って言ってみた。すると汰白は心底驚いたという顔をした。
「え? 佐矢原くん、みゃー子のこと好きなの?」
(直球だよ!!)
「え、いや、まあ、そういうわけじゃないけど…、まあ、結構しゃべってるかなー、なんて?」
「うん、そうだよね。『猫』なんて呼んでたりするしね。」
(知ってんのかよ!)
それを知ってて俺を候補に加えないというのは……。
「でも、佐矢原くんって、そういうの、無さそうだから。」
「は?」
「ほら、恋とか愛とか、そういうこと。興味無さそう。」
(え〜〜〜〜〜〜〜っ!!)
たった今、そのことで悩んでいたのに!
「ふう…ん。そう見えるんだ?」
「違う?」
「いや、まあ、そう、かな。」
汰白に悩んでいたなんて言えない……。
「やっぱりねー。佐矢原くんって、すごーく安全な感じがするんだよね。」
はきはきと、にこやかに、汰白が続けた。
「たとえばね、帰りが遅くなって、誰かに送ってもらいたいとするじゃない?」
「あ、ああ。」
「そういうときに、うちのクラスで誰に頼むかって言ったら佐矢原くんが一番だよね。」
「へ、へえ。」
まあ、頼りにされるなら嬉しいけど。
「佐矢原くんは、四六時中エッチなこととか考えてないでしょ?」
「当たり前だ!」
だいたい、その質問に「考えてる」と答えるヤツはいるのか!
「それに、頼まれたからって、『自分は好かれてるんじゃないか』とか、勘違いしそうにないじゃない?」
「そ、そう…かもな。」
それは期待しちゃいけないことなのか? 俺が期待したら、絶対に「勘違い」なのか? 汰白って、爽やかにキツいこと言ってるような気がするけど……。
「そ、そんなに…安心か?」
「うん。危険度の五段階評価で言えば……。」
(言えば?)
「ゼロかな。」
(五段階評価の意味は何だ!!)
安心されても、手放しに喜べない。
「え、じゃあ、たとえばさあ、空野とか剛はその五段階評価だとどんな感じ?」
「うーん、剛くんは3、かな。」
結構高い…。
「で、空野くんはねえ……」
(空野は?)
「2、かな。期待値込みで。」
(期待値かよ!)
俺との扱いが違いすぎる!
「へえ…。俺、そんなに安心?」
「うん。」
「そうか……。」
要するに、俺は勘違いされたくないときに選ばれるってことだ…よな?
「あ、そろそろチャイムなるね。どうもありがとう。また何かのときには教えてね。」
手を振って教室に消えて行く汰白をぼんやりと見送った。
(俺……安心なんだ……。)
ショックでぼんやりしている。頼りにされていながらも、それ以上は望まれていないなんて。
(そうか。だから…。)
あの雷雨の日。鈴宮が自分ひとりしかいない家に俺を入れたのは、俺は危険じゃないと判断したからなんだ。もちろんあのときは、二人きりだからといって、彼女に何かしようなんて思わなかったけど……って言うか、しちゃいけなかったんだよ、あのときは。
(でも……。)
何もしたくないわけじゃない。俺は普通の男子高校生なんだから。
(でも……。)
鈴宮は、そんな俺は嫌だろうか……。