26 由良 ◇ 聡美って…。
中間テストが終わった。今日から部活。午後の長い時間を部活動にあてられる今日みたいな日は、みんな少しのんびりして楽しそう。
今日のお弁当は部活のある生徒だけだから、教室にいる生徒の数が少ない。いつもは利恵ちゃんがわたしの机に椅子を持ってきて二人で食べるけど、今日は男子が一人もいなくなったので、残っている女子8人で集まって食べることになった。机も寄せて、固まって。
今のクラスの女の子たちは聡美を中心にまとまっていて、かなり上手くいっている。たぶん、聡美の堂々としたまっすぐな性格の影響が出ているのだと思う。それほどひどい悪口は聞こえないし、女子のグループが張り合っていたりもしない。空野くんをめぐってライバル同士の子はいるけれど、利恵ちゃんが空野くんを「空ケン」と呼び始めてから、彼女たちも少し力が抜けた感じ。
お弁当を食べるあいだ、男の子たちの品定めで話が盛り上がった。聡美と仲良しの聖奈が、そのお嬢様風の容姿に似合わぬ厳しさで男の子たちを批評し、そこに利恵ちゃんが変な例え話を持ち出してみんなを笑わせる。空野くんはもちろん、最近は女子に「剛くん」と呼ばれている富里くんも、ターゲットは免れなかった。部活の時間が近付いて解散したころには、笑いすぎで腹筋が痛くなってしまった。そして、佐矢原くんが批評のターゲットとしてあがらなかったことに、密かにほっとした。
部活が始まって30分くらいたってから、わたしは忘れたペンケースをとりに教室に戻った。すると、一人で教室の窓から外を見ている聡美の姿があった。女の子同士だし、まだ部活が始まらないのだろうと、深く考えずに「部活の時間待ち?」なんて声をかけて教室に入った…ら。
振り向いた聡美の表情にハッとした。少し怯えた様子だったから。すぐにそんな表情は消えて、「ああ、みゃー子だったの。」とやわらかく微笑んだけれど。
(あたしってホントに気が利かないんだから!)
気軽に声をかけてしまった自分を叱る。いつも誰かに囲まれている聡美が一人でいるなんて、何か事情があるに決まっている。もしかしたら、男の子と待ち合わせでもしているのかも知れない。
一気にそこまで考えて、慌てて適当なことを言いながら、早く出て行こうと机の中を手で探る。すぐにペンケースに手が当たり、急いで取り出して、「えへへ、忘れちゃった。」と振ってみせた。それに応えて聡美がにっこり微笑む。そして、おもむろに口を開いた。
「あたしって、嫌な女かな?」
「え?」
あまりにも唐突な質問で、動きが止まってしまった。
(どうしてそんなこと訊くの?!)
ドキドキして言葉が出ない。
わたしの態度がそんなふうに見えたのだろうか。それとも、何か気に障るようなことを言ってしまったのか。だとしたら、すぐに謝って、誤解だって分かってもらわないと――。
「あの……。」
そのとき、聡美が軽く吹き出した。
「ごめん、みゃー子。びっくりさせちゃったね。」
そんな聡美の様子に、恐る恐るうなずく。
「みゃー子はそうは思ってない。そうだよね?」
「うんうん。そうだよ。急にそんなこと言うから、びっくりしちゃった。」
「だよね。ごめん。」
そう言いながら、聡美はゆっくり近づいてきて、わたしの隣の椅子にこちらを向いて腰掛けた。なんとなく落ち着いて話したそうな雰囲気に、わたしも聡美と向かい合って自分の席に横向きに座る。
「さっきね、3年生からコクられた。」
片手で毛先をつまみながら、少し目を逸らして話し出す聡美。日に焼けた頬を染めるでもなく、自慢でも愚痴でもなく、淡々と事実を述べただけ。こういう個人的な話を聡美とするのは初めてだけど、そのまっすぐな話し方があまりにも聡美らしくて、密かに感動してしまった。
「でね、断ったの。」
「うん。」
わたしにできるのは、相槌を打つことだけだ。
「とってもいい人そうだったんだけど。」
「うん。」
「初対面だし。」
「ああ、そうだったんだ。」
思わず微笑んでしまった。
きっと、相手の先輩は、前から聡美のことを見ていたんだろう。聡美は歩いているだけでも、目を奪われる華やかさがあるから。
「あたし、嫌な女?」
「え?」
どうして急にそこに話がいくのか分からない……。
「あの……?」
「ん?」
「あの、その人…に、言われたの? そういうふうに?」
ふられた腹いせに、そんなことを言う人もいるのかも。けれど、聡美はわたしを見ながら微笑んで首を横に振った。
「ううん、言われてないよ。ただ、『やっぱりそうだよね、ごめん。』って、謝ってくれただけ。」
「いい人だね…。」
「うん、そうでしょ?」
「じゃあ……?」
女子の誰かに……とは訊けなかった。それは少し深刻すぎて。
「なんて言うかさあ…、」
聡美が言葉を探しながら話し始める。
「あたし、よくあるの、コクられること。」
「ああ、うん。」
それは当然だろう。
「でも、今まで一度もOKしたことないの。」
「ふうん。」
それは知らなかった。
「中には変わった人もいたけど、だいたいみんないい人でね。」
「ああ…。」
分かる気がする。まっすぐで一生懸命な聡美のことを好きになるのは、きっとそういう人なのだ。
「こういうことがあるとね、もっと地味にした方がいいのかな、って思うんだ。」
「え、そうなの?」
それは意外な…。
「うん。いつも思うの。もっと地味にしてれば注目されることもなくなって、ああいういい人たちに……好かれることもないのにって。」
「あの…、迷惑…ってこと?」
「ううん、そうじゃなくて……。」
そこで言葉を探して。
「なんだか悪い気がする。」
「え? 聡美が?」
「うん。」
ぽつりと答えた聡美の姿に胸が痛んだ。寂しげで少し投げやりな様子が悲しそうで。
「だけどね、」
顔を上げて聡美が続ける。
「あたし、おしゃれをするのが好きなの。」
真剣な瞳で訴える。
「みんなに『可愛い』って言われたいの。褒められると嬉しいの。」
「うん。」
「だけど……。」
そこで聡美は肩を落として下を向いた。
「それって、エゴかなって……。」
(聡美……。)
心の底から思った。聡美のことが好きだなあ、って。
好きなことにまっすぐに進む聡美。ソフトボールのときもそうだった。それが凛としていて輝いて見えた。
けれど、自分が誰かを傷つけると思うと、聡美は知らん顔ではいられないのだ。みんなの前では普通に振る舞っていても、心の中で自分を責めている。
「あたし、聡美のことが好きだよ。」
聡美が顔を上げた。驚いた顔をして、まっすぐにわたしを見る。
「可愛く見られたいって、あたしだって思うよ。でもそれはさ、別に男の子にそう見られたいわけじゃなくて、単なる自己満足的な意味だよね?」
「ああ、うん、そうだよ。」
「この程度のあたしが思ってるんだから、聡美がそう思ったって当たり前だと思うよ? それに、可愛いものとかきれいなものって、見てるだけで嬉しいもん。あたし、聡美を見てると幸せな気持ちになるよ。」
「みゃー子……。」
にっこり笑ってみせると、聡美の表情が緩んだ。
「ソフトボールのときもそうだったけど、聡美は自分が好きなことにまっすぐ突き進んでいくでしょう? そういうところ、すごいなって思うし、格好いいよ。」
「そう…?」
「そうだよ。普段もそう。聡美は自分が何をしたいかちゃんと分かっていて、それに向かって頑張るでしょ? そういうのって、見ていて気持ちがいいもん。」
「ホントに…?」
「うん。あたし、聡美のそういうところが好き。たぶんね、聡美のことを好きになる男の子たちも、そういうところに惹かれるんだと思う。見た目だけじゃないよ。だから、みんないい人なんだと思うよ。」
少しのあいだ、聡美はじっとわたしを見ていた。そんなことをされたら、急に落ち着かなくなってしまった。いつも自分の意見をはっきり言うことなんかないわたしが、偉そうに聡美のことを評価したりして――。
「みゃー子、ありがとう!」
「うにゃ?!」
驚いて変な声が! だって、いきなり手を握られたから…。
「そんなに真剣に答えてもらえて、すごく嬉しい。あたし、みゃー子とそんなに仲良しってわけでもなかったのに。」
そう熱心に言われると、逆に申し訳ない気がする…。
「あの、あたし、目立たないから別に…。」
「そんなことない。あたしが自分のことばっかりで、みゃー子のこと、ちゃんと見てなかったの。ごめんね?」
「ああ、いいんだよ、そんなこと。気にしないで。」
聡美って、本当にまっすぐだ……。
「ううん、みゃー子はこんなにいい子なのに、全然気が付かなくて…。こんなに優しいのに。ホントにごめん。」
「はあ。うん。ありがとう…。」
もう、どうお返事したらいいのか……。
「これからあたし、みゃー子のこと守るから。」
「…はい?」
いきなり決意に満ちた表情で言い切った聡美に焦る。話が飛躍するのは、もしかしたら聡美の癖なのかも知れない。だけど、わたしを「守る」って……?
「あたし、みゃー子のことが心配。」
「何が…?」
「みゃー子が純粋すぎて。」
「……。」
あまりの指摘に何も言葉が出なかった。いくらわたしが経験不足だと言っても、さすがに「純粋」は言い過ぎだと思う。でも、どう答えたらいいのか分からなくて、今はただ聡美の真剣な顔を見つめるだけ。
「だってみゃー子、あんなに簡単に『好き』なんて言うんだもん。」
「え? え? それって聡美のことだよ? お友達だよ?」
「お友達だと思ったら、男子にだって言っちゃうんでしょう?」
「いや、さすがにそれは――」
「ううん、みゃー子だったらきっとそう。落ち込んだ男子に悩みを打ち明けられて、『でも、あたしは好きだよ』とか――」
「いや! 無いから無いから!」
いくら何でも、男子には言葉は選ぶ。
「じゃあ、『そういうところ、いいと思うな』とか。」
でも、聡美は引き下がらない。しかも、いいところを突いてきた。
「あ、まあそれは……。」
「ほら見なさい。」
聡美が勝ち誇った様子で宣言した。
「でもでも! あたしに悩みを相談する男の子なんていないよ。」
「何言ってるの? あたしだって、さっきまでそんなこと思ってなかったんだよ?」
「それはそうかも知れないけど……。」
「みゃー子にはほっとする雰囲気があるの。なんかこう…分かってくれそうな。よく言われる<癒し系>?」
「ああ…、そう……。」
「だから気をつけなくちゃダメ。」
「うん…。」
なんだかもう、反対しても仕方がない気がする。
「大丈夫。あたしがちゃんと見張っててあげるからね。」
「うん……、よろしくお願いします。」
ここまで言ってくれたことが有り難くて、思わず頭を下げた。でも、最初は何の話だったっけ……?
「鈴宮!」
「はいっ?!」
後ろから呼ばれてびっくりした。振り向いたら、怖い顔をした自然科学部部長の瀬上先輩がつかつかと教室に入ってきた。
「お前、ペンケース取りに行って、何分待たせるんだよ!」
(怒ってる〜!)
そうだった。瀬上先輩にデジカメのコツを教わろうとしたところで、忘れ物を取りに来たんだった……。
「すみません!」
急いで立ち上がって頭を下げる。顔を上げたら、先輩が聡美を睨んでいた。
(ああ、もう、短気なんだから!)
「先輩、今――」
「何かトラブってんのか?」
「ち、違います、違います! ちょっと相談ごとで。」
「ホントか?」
「はい。間違いなく。真実そのもの。」
後ろで「くっ。」と笑った気配がした。笑ってくれた聡美にほっとしながら振り向いて。
「聡美、ごめんね、あたし部活に行くから。また明日ね。」
「うん、またね。バイバイ。」
微笑んで手を振る聡美にうなずいて、先輩の向きを変えさせて、廊下へと背中を押していく。首を振り向けて文句を言う先輩を「はい、すみません。」となだめながら。
廊下を歩きながらも、先輩のお説教は止まらない。
「お前のことだから、怪我でもしてんじゃないかと思ったんだぞ。」
「すみません。」
「心配して来てみたら、気の強そうな女子に頭下げたりしてるし。」
「すみません。」
「まあ……、何でもないならいいけどさ。」
ふて腐れた顔をしつつも、やっと機嫌を直してくれたらしい。
「ありがとうございます。」
そう。瀬上先輩は怒りっぽい。でも、本当はやさしい人だ。だから、怒られてもちっとも怖くない。
(みんな優しいよね。)
瀬上先輩も、利恵ちゃんも。聡美のやさしさを知ることができたのも嬉しい。
(佐矢原くんも……。)
先輩の声を聞きながら、佐矢原くんの笑顔を思い出した。
そう言えば、あの朝以来、あいさつしかしていないかも……。