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恋するココロの育て方  作者: 虹色
第三章 恋と友情
23/92

23  焦る!


(気持ちいい……。)


熱めのシャワーを浴びながら、くつろいだ気分に浸ってしまう。今にも鈴宮のおばさんが帰ってくるのではないかと思うと、急がなくちゃと焦るのに、やっぱりシャワーは気持ちが良くて、ついつい気持ちが緩んでしまった。


とは言え、落ち着かないのは間違いない。最悪なのは、服を着る途中で入って来られることだ。だから早く出て、早く服を着なくては。


(そうだ。)


あのびしょ濡れの服をここで絞ってしまえばいいのだ。そして、ここで着てから出て行けば、脱衣所であたふたする必要はない。


シャワーを止めると、外の強い雨の音が聞こえてきた。雷鳴も続いている。どのくらい続くのだろうと考えながら、そっと扉を開けた。廊下へのドアがちゃんと閉まっていることを確認。俺の服は……。


(あれ?)


見当たらない。


床を濡らすと悪いと思って、敷いてあったタオルの上に置いたはず。そのタオルは洗濯かごらしきものに入っている。その下に俺の服は……無い。


(え? あれ?)


服が無い。着るものがない。俺は今……。


(どうすればいいんだ?!)


軽くパニックだ。当然ここは鈴宮を呼ぶしかないわけだが、そのためには脱衣所から顔を出さないといけないわけだし、そのためには風呂場から出なくちゃならない。けど、着るものがない! 今にもおばさんが帰ってくるかもしれない!


恐ろしさにすくみあがりながら脱衣所を見回すと、畳んだバスタオルがあった。この雰囲気だと、俺のために用意されたものに違いない。手早くそれで体を拭き、腰に巻き付けて、脱衣所から恐る恐る顔を出す。


「鈴宮ー。」


探るような弱々しい声になった。雨の音がうるさいけれど、聞こえるだろうか。


「ん、あ、はーい!」


(よかったー!!)


返事が聞こえてほっとした。


急いでドアを閉めて、念のため内側から押さえた。パタパタとスリッパの足音が近づいてきて、「はーい、出たの〜?」という声。「服がない」と言おうと口を開いたところで、ガタッとドアノブが動いた。


(いやちょっと!)


まさかとは思っていたけど、押さえておいて正解だった。「出たの?」と訊いておいて開けるって、どういうことだ?!


「あ、ごめん。」


のんきな声がした。でも、そんなことに構っている場合じゃない。とにかく服だ。


「あのさ、俺の服は?」

「あ、そうだった。洗濯機の中。」


(洗濯機?!)


見回すと、洗面台の横にドラム式の洗濯機があった。


「簡単に洗って脱水かけといた。そろそろ止まってるかなあ?」


(洗って……?)


すうっと背筋が寒くなった。そう言われてみれば、玄関でそんな話をしてたような……。


「乾燥は時間がかかっちゃうから、とりあえず脱水まででごめんね。」

「いや、ああ。」

「冷たかったらアイロン掛けてあげるけど。」

「い、いや! それは平気だから!」

「そう? 」

「あの、さ、」


次の言葉を言う前に、ごくりとつばを飲み込んだ。


「はい?」

「洗ってくれた…のか?」

「あ、うん。少ないから洗面台でささっと。ホントに簡単にだけど。」


(手で…、洗わせちゃった……?)


めまいがした。


「そ、そうか、ありがとな。」


なるべく気軽な声を出す。でも、頭の中はどうしたらいいのか分からないほどのショック状態だ。


「出たら温かいもの飲もうね。あと、お家に電話した方がいいかも知れないね。」

「あ、うん、そうする。」


非常に常識的な話をされているけれど、それが別世界の話のような気がする……。


遠ざかる足音を確認してからドアから手を離し、そっと洗濯機に近付く。半分ぼんやりした頭で丸い扉を開くと、白と黒の布が見えた。


(Tシャツ…、トレパン…、タオル……)


出しながら一つずつ確認。次に出てきたものを確認して、思わず目を閉じた。


(だよな……。)


ボクサータイプの黒いパンツ。デザイン的には見られても恥ずかしくはない。男同士で着替えるときも平気だ。はいている状態なら、女子に見られても、ぎりぎりセーフだ。だけど……、だけど!


脱いだものはダメだ! それは裸を見られるのと同じくらい恥ずかしい! 俺は恥ずかしい! 身悶えするほど! なのに!


(鈴宮は…恥ずかしくないのか?)


そこが分からない。しかも「洗った」とかって。


(もしかして、俺のだから……?)


洗面台に水を貯めて洗濯をしている彼女が目に浮かぶ。にこにこ顔で鼻歌を歌ったり……ん?


(洗面台は、ここだ。そして……。)


風呂場は隣。ドアはアクリルの……丸見え、ではないが、色は……。


(ぅあーーーーーー!!)


隣にいたのか?! シャワーの音で気付かなかったんだ! なんだかもう、何をどうしたらいいのか分からない!


(うわ!)


焦って前を向いたら、洗面台の鏡の中に、裸で腰にバスタオルを巻いただけの自分がいた。見慣れた自分の体なのに、やけに色っぽく見える。


(とにかく早く服を…。)


もうこれ以上、あれこれ考えるのはやめよう。無理だ。済んでしまったことは、今さらどうしようもない。できれば記憶から消してしまいたい。


脱水したままのパンツはやっぱり冷やっとした。でも、バスタオル一枚よりもずっと心強いことは間違いなかった。




「ごめんね…。」


リビングにある電話を借りて家への連絡が済んだとき、後ろで控えめな声がした。振り向くと、鈴宮が肩を落として立っていた。


「え? 何が?」


雨宿りをさせてもらって、シャワーも借りて、洗濯までしてもらったのに、彼女が謝る必要なんてないはずだ。


「あの…、嫌だったよね、下着まで勝手に洗われたりしたら……。」

「そんなこと!」


思わず大きな声が出た。


「あのでも、見てないよ。まとめていっぺんに洗ったから…。」


懸命に弁解する彼女に、胸の中から言葉が湧き上がる。


「嫌じゃないよ。そんなことない。すごく有り難かった。」

「だけど…。」


俺を見上げた彼女は、俺の言葉を信じようかどうしようかと迷っているようだった。だから俺はニヤッと笑ってみせた。そして一言付け加える。


「ちょっと恥ずかしかったけど。」


思ったとおり、効果があった。彼女に弱々しい笑顔が戻る。


「うん。ごめんね。」

「だけど、ホントに有り難いと思ってる。俺、雨の中を鈴宮が来てくれたとき――」


(そうだ。来てくれたとき。気が付く暇がなかったけど。)


「すげぇ嬉しかった。」


そうだった。すごく嬉しかったのだ。彼女の姿を見られたことが。雷雨の中を来てくれたことが。


彼女が目を瞠る。それから恥ずかしそうに、にこっと笑った。


(鈴宮……。)


その笑顔が俺の中の何かをかき立てる。焦りに似た何か。焦燥感。何かしなくちゃいけないのに、何もできないもどかしさ。


―――俺の、猫。


胸の中にぽっかりと言葉が浮かぶ。


(なんで「俺の」なんて…。)


彼女の顔を見ていられなくなって、思わず目を伏せた。


「なら、良かった。」


彼女のほっとした声。俺はそれに「うん。」とうなずく。胸の中に、これだけじゃ足りない、もっと伝えなきゃ、もっと、何か、と、もどかしさが積もっていく。


「あの、それより、さ、」


けれど結局は何も言えなくて、話題を変えることで、気まずい思いを隠すことにする。


「雷が終わったら――」


まるでその言葉をあざ笑うように、ゴロゴロとうなり声のような雷鳴が聞こえた。


「傘、貸してもらえるかな。うちの車、父親が仕事に乗ってっちゃってて。」

「それはいいけど、佐矢原くんの家、どのへんなの?」

「東中の向こう。走って20分くらいかな。」

「走って? じゃあ、雨の中を歩いたら――あ、ちょっと待って。」


部屋の中で電子音が聞こえて、鈴宮が振り向いた。彼女のスマートフォンに電話がかかってきたらしい。


「やっぱりお母さんだ。」


俺に表情で「待っててね。」と合図しながら、彼女は俺に背を向けて電話に出た。「まだいるよ。」と答えているのは俺のことだろう。ずっと見ているのも変な気がして、俺も彼女に背を向けた。ファックス兼用の電話機に表示されている時間は<19:16>。うちではそろそろ夕飯の時間だ。そう言えば鈴宮だって、何かやることがあったかも知れない。そもそも試験前だから部活が休みになっているわけだし…。


「うん、分かった。じゃあね。」


彼女の軽い声が聞こえて、ハッともの思いから覚めた。振り向いた俺に、彼女が告げる。


「お母さんが戻ったら、佐矢原くんを送るって。」

「え、でも…。」

「駅のスーパーで買い物してる間に、この雨で駅前が渋滞になったみたいなの。駐車場から詰まってるんだって。でも、そこを抜けたらすぐだから。」


やさしく穏やかに微笑んで、俺に言い聞かせる彼女。俺が雨の中を歩いて帰るのを心配してくれているんだろう。だけど。


「あの、そこまで世話になるのは悪いよ。」

「どうして?」


彼女が心から不思議そうな顔をした。それを見て、あの調理実習の日の記憶が浮かび上がってきた。驚いた顔をして、無言で俺を見上げていた彼女……。


「雨宿りさせてもらって、風呂まで借りたのに…。」


俺の言葉を聞いて、鈴宮は嬉しそうににっこりした。また落ち着かない気分になって、思わず視線をそらしてしまった。


「いいんだよ。だって、球技大会で、たくさん助けてもらったから。」

「え……?」

「佐矢原くんのおかげで、球技大会、楽しかったから。」


(俺のおかげって……思ってくれてた?)


素直に伝えられる言葉に胸がドキドキする。


「あ…あれは、さ、あの、調理実習で教えてもらったお礼…みたいなものだから。」

「そうなの?」

「だ、だから、その、球技大会のことは、もう…そこで終了だから…。」


俺らしくない。こんな気弱な話し方。


「そう……? でも、いいよね?」


彼女が確認するように、笑顔で見上げる。


「佐矢原くんが雷の中で外にいるのに、放っておくなんてできないもん。」


―――俺の、猫。


胸に浮かんだ言葉がせり上がってくる。


(どうして「俺の」なんだよ?)


目の前で彼女が「ね?」と首を傾げた。それから、「でね、」と話題を変えた。


「お母さんがスープをどうぞって。弟が塾に行く前に食べられるように、早く作ってあるんだ。ミネストローネなんだけど、好き?」

「あ、う…ん。」


スープの名前を言われてもよくわからないが、俺はほとんど好き嫌いがない。


「あたしが作ったから、特別美味しいわけじゃないけどね。」

「いや、きっと美味いと思う。うん。」


(鈴宮が作った食べ物なら、きっと。何でも。)


二人で微笑み合うこの瞬間が、急に貴重なものに思えた。


「ありがとう。じゃあ、こっちの椅子に――」

「あ、ああ、俺、玄関の方が落ち着くから、そっちに。」


そこだけは譲れない。


「え、でも……。」


戸惑う鈴宮を、急いで説き伏せる。


「俺の服、まだ湿ってるし。」

「あ、ごめ――」

「いや違う。そうじゃなくて。なんか、落ち着かないからさ。」


そう。俺の気持ちの問題。鈴宮のおばさんが帰ってきたときに、俺にはやましいことは無いと、きっちりとアピールしたい。今後のために、俺を危険人物だと思われることは絶対に避けたい。……風呂を借りて、洗濯までしてもらっちゃったけど。




おばさんが帰ってきたとき、俺は玄関の上がり(かまち)にタオルを敷いて腰掛けていた。湿ったTシャツの冷たさを心配して、鈴宮が出してくれたバスタオルを肩に掛けて。鈴宮はその横に座布団を持ってきて座っていた。俺たちの間には長方形のお盆があり、飲みかけのスープとどら焼きが乗っていた。彼女が作ったトマト味のスープは、具だくさんでとても美味かった。


「あらまあ。」


ドアを開けたおばさんの最初の言葉はこれだった。それからすぐに笑顔になった。


「やだわ、こんなところでおままごとなんかしちゃって。」


少し恥ずかしかったけど、こんな反応をする大人は好きだな、と思った。そして、鈴宮の家族を好きだと思えて良かった、と、ほっとした。


俺があいさつとお礼を言う間、おばさんは「大きいのね!」「凛々しいわ〜。」なんてはしゃいでいた。送ってもらう間もずっと楽しそうで、車の中では、鈴宮よりもおばさんとたくさん話した。別れ際に、「今度はゆっくり遊びに来てね。」と言ってくれた。


かなり有頂天な気分で、剛と空野が焼きもちを焼くだろうなぁ、と思ったとき、ハタと気付いた。あそこで雨が降り始めたなら、空野の店に駆け込めば良かったのだ。公園を突っ切れば、空野の家はすぐだ。しかも、店なら必ず人がいる。部活が休みなのだから、空野も家にいただろう。そんなことに気付かなかった俺を、空野はどう思うんだろう。


(でも……。)


空野や剛が何を言おうと、俺は今日のことを絶対に後悔しない。







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