20 球技大会本番
「あ〜っ、いたいた、ほら、あそこ!」
「あっ、ホントだ! 空野く〜ん!」
「きゃ〜! 手ぇ振ってくれた〜!」
汰白に向かってミットを構える俺の左の方から女子の嬉しそうな声が聞こえる。
「みゃ〜子〜〜! しっかりね〜〜〜!」
一際良く通る声は森梨だ。汰白のずっと後方で、鈴宮の小さい姿がグローブをはめた手を小さく振った。
球技大会もすでに二日目になり、勝ち残れなかったチームが増えるにしたがって、ギャラリーも増えてきた。俺たちは準決勝まで駒を進めていて、今は3年3組と対戦中。
勝ち進んだのは、やっぱり練習の成果だと思う。もちろん、汰白が球技大会にしては優秀なピッチャーであることも大きな要因だ。でも、それ以外に、練習で女子のレベルアップを図れたことも大きい。ほかのクラスでは、守備では打球をよけてしまう女子が多いのだけど、うちは強打じゃなければ怖がることだけはない。スマートなプレーではないが、フライでもゴロでも、とりあえずグローブで止めようとする。それに、メンバー同士が馴染んでいるから声をかけやすいし、お互いの実力を把握しているからカバーもスムーズだ。うちはなかなかチームワークの良いチームだと思う。
ゴツッという音がして、俺の前でバットがボールを跳ね返した。サードの中込がすぐに球を拾い、一塁手に送球、アウト。
「きゃーーーー!」
「おーーーー!」
周囲からも選手からも歓声が上がる。守備に就いていたメンバーが戻ってくる。次は俺たちの攻撃だ。最終回5回の裏、得点は5対4で負けている。ここで点が入らなければ負けだ。
「誰から?」
「あ、あたし……。」
8番バッターの鈴宮が引きつった顔で答えた。
「みゃー子、落ち着いて。」
「当たったら走るんだよ!」
「空振りでもいいから、とにかく振れ。」
周囲の励ましに、声も無く、ただうなずくだけの鈴宮。激励の言葉も、今の彼女にはプレッシャーにしかなっていないのが分かる。
「鈴宮。」
バットを渡しながら声をかける。俺を見上げた表情は、まるで助けを求めているようだった。顔から血の気が引いている。
「何でもいいから、声を出せ。」
答えようとしたらしいが、唇が少し動いただけで言葉は何も出なかった。俺はバッターボックスの方を向いて、もう一度ゆっくりと言う。
「あそこで構える前に、声を出せ。」
少しかがんで視線を同じ高さにしてから、少し笑ってみせた。
「おとといやっただろう? バッティングセンターと同じだから、そんなに心配すんな。」
彼女もバッターボックスを見て、深呼吸を一つしてからうなずいた。バッティングセンターで、剛が気持ちを前に向けるために声を出すようにとアドバイスをしていた。その効果かどうかは分からないけれど、最後の方はちゃんと前に打ち返すことができていたのだ。
「よし、行って来い。」
少し強めに背中を叩く。その勢いで少しよろけた彼女を見て、あらためてその頼りなさを実感した。彼女は俺を見てからもう一つうなずいて、バットを抱きかかえて歩き出した。バッターボックスの手前で一旦止まり、大きく深呼吸。それから片足ずつ確かめるように、バッターボックスに入り……。
「よろしくお願いします!」
力強い声が聞こえた。その声に応援が盛り上がる。
「よし行け、鈴宮!」
「みゃー子、頑張れ〜!」
「当ててけ〜〜〜!」
賑やかな声援の間に剛と空野の「由良ちゃん」も聞こえる。その呼び方に、きのうは級友たちが一瞬引いていたけれど、一緒にバッティングセンターに行った話と空野の「空ケン」の話題で、そのままうやむやになった。もしも空野だけが「由良ちゃん」と呼んでいるのだったら、もっと注目されたのかもしれない。けれど、剛も同じように呼んでいるし、森梨が空野を「空ケン」と呼んで遠慮なく話しかけるので――「利恵りん」はお蔵入りのようだ――、空野と鈴宮の関係を疑う雰囲気にはならずに済んだ。
でも、剛と空野は、ほかの男には鈴宮を「由良ちゃん」と呼ぶことは許可していない。誰かが「俺も」なんて言おうものなら、すぐに自分たちは特別だと主張する。男同士の中ではそうやってちゃんと自分たちの立場を主張して、ほかの男をけん制しつつ、彼女を守っているのだ。この二人が2週間前には「愛でるだけ」なんて言っていたのかと思うと、進歩したなあ、と感慨深いものがある。
そんなことが頭の中をよぎっている間に、バッターボックスの鈴宮がバットを構えた。
体が小さいせいでバットはいやに長く見えるし、足元にも安定感がない。それに、力が弱い彼女は、ソフトボールの大きい球を打ち返すことも難しい。
(あ。)
バッターボックスの中で、彼女が体重を右側に移動させたのが分かった。これもバッティングセンターで教えたことだ。その瞬間にピッチャーが球を投げた。
「えいっ。」――という声が聞こえたような気がした。
気付いたときには、ボールがぼてぼてと三塁方向に転がってきていた。今にも止まりそうなスピードで。前寄りに守っていたサードとピッチャーが駆け寄り……二人とも止まった。そのまま慌てて顔を見合わせる。
(チャンスだ!)
一塁方向に目をやると……遅い! あと三分の一くらい残っている。
「頑張れ!」
「ファースト!」
俺とキャッチャーが同時に叫ぶ。サードが急いでボールを拾い、投げる! ……と思ったら、ボールが右手から零れ落ちた。その間に鈴宮が一塁ベースを踏んだ。
「きゃーーーーーー!!」
「ぅおーーーーーー!!」
ベンチも応援も盛り上がる。同点のランナーだ。しかもノーアウトで!
次のバッターの南野もガッチガチに緊張していた。近衛が声をかけていたけれど、効き目は無いようだった。でも、相手のピッチャーがさっきのお見合いと同点のランナーを背負ったことで動揺したらしく、コントロールが乱れた。緊張で動けなかった南野は、バットを一度も振らないままフォアボールで一塁へ。鈴宮は二塁へ。
これで逆転のランナーも出た! またしても応援が盛り上がる。しかも、次のバッターは1番。きのうからの打率6割の石野だ!
「鈴宮!」
三塁コーチの位置に付き、大きく手を振って合図。二塁ベースに乗っている鈴宮がうなずく。俺の指示に従えという意味を分かってくれただろうか?
(絶対に生還させてやるからな!)
自信がないと言いながら頑張ってきた彼女を、なんとか活躍させてやりたい。緊張ばかりではなく、終わってから「楽しかった」と思ってほしい。
俺の後ろから「みゃ〜子〜!」とたくさんの女子の声がする。ふと、それらが猫の鳴き声でふざけているように聞こえて、こんなときなのに可笑しくなってしまった。
カキン、と音がして、石野の打球が大きく上がる。そのまま鈴宮の頭を越えてセンターへ。鈴宮がおろおろと迷いながら俺を見たので、手のひらを前に向けて「待て」の合図。相手チームのセンターは女子だ。ライトの野球部の先輩がカバーに走る。
「あーーー……。」
応援団から残念そうな声がした。センターが上手く落下地点に入ってキャッチしたのだ。やっぱりここまで勝ち残るチームは、俺たちと同じように、それなりに練習をしてきているに違いない。
(次は汰白か…。)
軽く素振りをしてから、汰白がバッターボックスに向かう。堂々とした後ろ姿が頼もしい。
「聡美〜〜〜! 打って〜〜〜!」
「汰白〜〜〜! ホームランだ〜!」
応援が一際大きくなる。彼女も今回5割くらい打っている。しかもテニスで鍛えた筋力で打球のスピードが速いので、外野を抜けて長打になりやすい。
汰白が無言でバットを構えると、応援団が黙った。相手ピッチャーがうなずき、キャッチャーのミットがピッチャーに向けられる。
ヒュッ。
汰白の胸の前をボールが横切る。
「ストライク!」
審判の声に一塁側のギャラリーが湧く。俺は鈴宮を確認。彼女は二塁ベースから片足をおろして汰白を見ていた。
二球目は少し遅めの球だった。バッターボックスの手前で角度をつけて落ちてくる。そのとき―――。
カキン。
あっという間に打球がピッチャーの足元を抜ける。俺が「走れ!」と言ったときには、鈴宮はもう走り出していた。
セカンドが捕ってランナーの南野にタッチ……のタイミングだと思った。でも、やっぱり球技大会だ。部活やクラブチームとは違う。セカンドの女子は打球に追い付けなかった。
「きゃーーーーー!」
という一塁側の悲鳴が聞こえた。外野へ抜けた球をセンターが追うが、スタートが遅かった。間に合わない。一塁側の悲鳴の中、カバーに走っていたライトがボールを追う。
鈴宮がやっと三塁にたどり着いた。一瞬、このままホームへ行かせようと思い、「行け!」と言いながら腕を回した。そのとき、ライトが球を拾って顔を上げ、こっちを見た。ライトは野球部の先輩だった。あの先輩のバックホームだと、鈴宮の足の速さではホームまで間に合わないかも知れない。
「ストップ! 戻れ!」
急いで叫ぶ。何歩か走り出していた鈴宮が慌てて戻った。
鈴宮がホームへ向かうところを見たライトの先輩は、すぐにホームめがけてボールを投げていた。けれど、鈴宮が戻ったので、ピッチャーがそれを捕ろうとグローブを出した。それが失敗だった。ピッチャーのグローブがそのボールを弾いてしまったのだ。
「あーーーーー!!」
周囲から、応援とも悲鳴ともつかない声が上がる。ボールが一塁側の応援生徒の集団を越えて飛んでいく。
「行け!」
気付いたら、鈴宮に向かって叫んでいた。鈴宮が駆け出す。それを見て、二塁から南野も。呆然とするピッチャー。キャッチャーが鈴宮をちらりと見ながら立ち上がってうろうろし、一塁手が生徒をかき分けて行く。
「みゃー子〜!」
「走れ〜!」
混乱する生徒の中から一塁手が抜け出してきたのとほぼ同時に、鈴宮がホームベースを踏んだ。
「きゃーーーーー!!」
後ろで一際大きな歓声が上がる。俺も思わず片手をあげて「うおーー!」叫んでいた。振り返った鈴宮は満面の笑顔。万歳をしながら「やったーーー!」と叫び、ぴょんぴょん飛び跳ねた。次のバッターの近衛が、すれ違いざまに彼女の頭をなでていく。
チームメイトの中に戻った彼女は、賑やかに迎えられた。チームの勢いに乗った近衛はレフトの頭を越えるヒットを打ち、無事に南野がホームインして、俺たちは逆転勝ちをした。
試合終了のあいさつのあと、ソフトボール以外のクラスメイトも大喜びでしゃべったり肩をたたき合ったりした。その合間に自分のタオルやペットボトルを拾っていると、体操着の裾をきゅっきゅっと引っ張られた。振り向くと、いつものようにグローブを抱えた鈴宮がにこにこ笑っていた。
「どうもありがとう。」
「良かったなあ、ホームインできて。」
「うん。佐矢原くんがあそこで教えてくれたから。」
嬉しそうな彼女を見られることは俺にとっても嬉しいのだとよく分かった。可愛らしく笑いかける彼女を抱き上げて、たくさん褒めてやりたい気分だ!
「みゃー子、頑張ったねー。」
「佐矢原くんもお疲れさまー。」
クラスの女子が、通り過ぎざまに声をかけて行く。そこで、ふと、「みゃー子」の大声援が頭によみがえった。休憩する場所を探して鈴宮と一緒に歩き出しながら、思い出し笑いが出てしまう。
「ふっ、猫みたいだな。」
「え? 猫?」
「そう。お前。」
「ん〜? もしかして、『みゃー子』だから?」
「うん。」
鈴宮が少し不満そうに唇をとがらせた。
「みゃーみゃー言ってるのはあたしじゃないのに。」
「はは、そうだな。でもいいや。これからは『猫』って呼ぼう。」
「え、あたしのことを?」
納得いかない顔をする鈴宮。でも、それくらいで怒るはずがないって、俺にはちゃんと分かる。
「そうだよ。おい、猫。」
「むぅ…、もう。」
ふくれた顔もやっぱりどこか可愛い。それに、そんな顔を向けられると逆に甘えられているみたいで、胸の中がむずむずする。
「由良ちゃん!」
剛が鈴宮の隣に並ぶ。鈴宮が剛に笑顔を向ける。それを微かに残念に思った自分に気付いた。
(兄貴には妹を独占する権利は無い……よな。)
剛に褒められてにこにこしている鈴宮。その笑顔を俺は喜ぶべきなんだろうけど……。