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恋するココロの育て方  作者: 虹色
第二章 球技大会
16/92

16  練習風景 4


ドスン、と、構えたグローブに衝撃を感じた。今日はキャッチャーミットが無いので、普段のグローブのまま汰白の球を受けている。


「思い出してきたか?」

「まあ、少しずつね。」


今日は汰白も久しぶりだから、本気では投げていない。それでも経験者だけあって、きちんとストライクゾーンに入る球を投げてくる。


キャッチャーに指名されたとき、俺は軽く喜んでしまった。中込と石野の申し出を断ってまで自分が選ばれたことを。けれど、そんな俺の浮かれ気分はすぐに消えた。何度か俺に向かって投げてみたあと、汰白がこう言ったのだ。


「やっぱり佐矢原くんだと、的が大きいから投げやすいね。」


的が大きい――つまり、体が大きいから俺を選んだということだ。言われてみると、確かにそうだろうと思う。もちろん、太っているわけじゃない!


そこで「ああ。」と納得したら、急にすっきりした。それから「もういいや。」と思った。「もういい」――要するに、汰白に対する気持ちが、そこでいきなり冷めてしまったのだ。そして今は、何の思惑もなく、球技大会のバッテリーとして汰白と向かい合っている。


汰白はスポーツが得意なだけじゃなく、気持ちもアスリートだ。たとえお楽しみの学校行事に過ぎない球技大会でも、中途半端は嫌なのだ。だから、中込と石野の申し出をわざわざ断ってまで、自分がピッチャーとして投げやすい俺を選んだ。選んだ理由を詮索されるとか、そんなことはどうでもいいらしい。そういうところは、恋愛とはまた別の次元で「いいな」と思う。友達として分かり合えるというか。


「あ〜高い〜。空野くーん、もっと優しく投げてよ〜。」


横から倉末の抗議する声が聞こえる。グラウンドのフェンスと平行に向かい合っている俺たちの横で、ほかのメンバーは俺たちに垂直に並ぶ形でキャッチボールをしている。視界の端に転がってきたボールが見えたので、汰白に合図をしてボールを拾うために立ち上がった。


「あー、佐矢原くん、ありがと〜。」


俺が立ち上がったのを見て、倉末はもうボールを追ってくるのをやめたらしい。俺に向かって笑顔で両手を振っている。


(少しは動けよ。)


顔では笑っているけれど、心の中には苦々しい思いが渦巻く。黙って投げるのも、口を開いたら厳しい言葉が出てきそうだからだ。


(鈴宮なら…。)


汰白の相手に戻りながら鈴宮を思い出す。球拾いに走り回っていた彼女。練習のあいだ、不満を言うこともなく、ひたすら俺の説明どおりに動こうと頑張っていた彼女。そんな彼女は――。


(な?!)


汰白に投げ返したボールが大きく逸れた。


「あれ?」

「あ、ごめん。」


汰白がボールを追って走っていく。その先には。


(触るんじゃねえよ!)


キャッチボールの一番端で鈴宮と間近に向かい合い、近衛が鈴宮の両手を握っている。と思ったら、今度は腕に手をかけた。


(やめろ! 穢れる!)


今日の鈴宮は、今までよりも一段と清らかだったのに!


衣替えになっても、鈴宮はポロシャツを着てこなかった。半袖ワイシャツの上に白いベストで、ぱっと見は今までの長袖が半袖になっただけ。でも、今日のベストは今までとは違って薄手で、白は眩しいような白だ。全身を少し横から見た感じが特にいい。肩に届かない長さのふわりとした髪の下にほっそりした首が見えるのが儚げだ。そこに半袖のワイシャツと白いベストが彼女の清潔感を強調している。なのに。


(あ〜〜〜〜、もう!)


鈴宮はまったくおとなしいものだ。近衛に向かってコクコクと素直にうなずいている。


戻ってくる汰白の後ろで、近衛が鈴宮から離れるのが見えた。鈴宮が近衛にぺこりと頭を下げるのを見ながら、汰白にもう一度「ごめん。」と謝る。けれど、そのあとも近衛の行動が気になって、俺は小さなミスばかり繰り返してしまった。




終了になったとき、俺は周囲に「先に戻っていいよ。」と笑顔で言い、ボールを集めながらさりげなく鈴宮を待った。彼女は先週俺にしたように近衛に丁寧に頭を下げてから歩いてきた。グローブをはずして大事そうに抱えた様子を見て、あれは俺のグローブだったと思い出して、俺の中で何かがふにゃっとなった。すると同時に、先週の調理実習の出来事がフラッシュバックでよみがえった。包丁を握った俺の手に優しくかぶせられた小さな手……。


(うわ。どうしよ。)


今、ここで彼女を待っているという自分の行動が、急に照れくさくなってしまう。


(いやいや、なんでもないし。ただ世間話をするだけだから。)


気を取り直し、あともう少しで…と思ったところで、彼女が俺の後ろにいる誰かに向かって微笑んだ。焦ってちらりと振り返ると、南野と汰白だ。すでに昇降口へと話しながら歩き始めている。鈴宮が二人に追い付こうと走り出した一歩目で、俺は少し慌てて彼女に声をかけた。


「だいぶ慣れたみたいだな。」


きゅ、とブレーキをかけたように足を止めて、鈴宮が俺を見た。またしても驚いた顔で。


「あ、うん。」


それから一瞬ためらって。


「見えた?」


本当のところ、上達の度合いはよく分からない。でも。


「うん。そっち向きに座ってたから。」

「あ、そうか。」


リラックスしたように軽く微笑んで、彼女が近付いてくる。そして俺の前に自分のグローブを広げた。


「一個持つよ、ボール。…二個入るかな?」


その申し出が妙に嬉しい。


「お、サンキュ。」


歩き出しながらボールをぽすんとグローブに入れてやると、彼女は楽しそうににっこりした。そうして片手でグローブの口をしっかりと閉じる。


「こうやってしまっておいて、明日また持ってくればいい?」


まっすぐに見上げる瞳。俺を信頼している瞳。


「うん。頼むよ。」

「分かった。」


そう言ってまた大事そうにグローブを抱えた。白いベストが汚れる…と思ったけれど、彼女の気持ちが嬉しかったので言わないことにした。


「今日はだいぶ捕れるようになったよ。」

「そうか?」


練習の成果を報告されているだけなのに、やっぱり嬉しい。一緒に歩いているだけで心が和む。まるで…。


「うん。近衛くんが丁寧に教えてくれたから。」


(なんだと?!)


和んだ気分なんかすっ飛んでしまった。思わず鋭く鈴宮を見る。「丁寧」の内容が非常に気になる。でも、そんなことは訊きづらい。黙っているのも変なので、とりあえず「ああ…。」と相槌を打つ。


「なかなか上手くならないのに、イライラしないで教えてくれるなんて、有り難いな。親切だよね。」

「ん、ああ…。」


(あれは「親切」とは言わないから!)


否定したい。真実を教えたい。でも、俺が友達をけなす嫌なヤツだと思われたら困る!


「佐矢原くんもね。」

「え?」


驚いて鈴宮を見下ろすと、彼女はやっぱりまっすぐに俺を見上げていた。


「佐矢原くんも親切だよ。いつも気が付いてくれて、とっても有り難いと思ってる。」

「そ、そうか? 普通だけど。」


また嬉しくて照れくさい。そして……。


(どうしよう。)


「今日もね、先週、佐矢原くんに教えてもらったこと、思い出しながらやってみた。」

「そうか。」

「でも、頭の中にイメージはあるんだけど、体がその通りには動かないの。自分で笑っちゃうくらい変な動きになっちゃって。」


あきらめた顔でくすくす笑う鈴宮で胸の中がいっぱいになる。


(ああもう……可愛いんだよ!)


もう、これ以上ごまかせない。そうだよ、可愛いよ! 空野には悪いけど、俺も可愛いと思うよ! ちっちゃいところも! 素直なところも! 俺を信じてるところも! 可愛いものを可愛いと思って悪いか!


「直樹、お疲れ。」


密かに盛り上がっているところに近付いてきた姿にギクッとした。一瞬で心の乱れを消す。だって、合流してきたのは空野なんだから。


「おう、お疲れ。」

「お疲れ様でした。」


俺の隣で鈴宮が丁寧に頭を下げた。空野は何かもごもご言いながら、それでも鈴宮の隣に並んだ。


(…へえ。)


まだ少し動揺しながらも、空野のその行動に気付くだけの平常心は取り戻していた。今までの空野なら、こういう場面では俺の隣に来そうなものなのに。


「賑やかだったな、空野。」

「え、ああ、倉末さん? そうだね。」


空野は少しうんざりした顔でため息をついた。楽しそうに騒いでいたのは倉末だけで、空野はちっとも楽しくなかったということを、もちろん俺は知っている。でも、鈴宮の前でちょっと空野をからかってみたかったのだ。俺が次の言葉を言おうとする前に、空野が鈴宮に視線を向けたことに気付いた。


「き…、今日はどうだった、鈴宮さん?」


(!)


「近衛に、ちゃんと教えてもらった?」

「あ、うん。大丈夫。」


(おいおいおいおい!)


答えて見上げる鈴宮に優しい微笑みを返す空野。思わず二人の視線を手刀で切って、「はい、ストップ〜」と割って入りたい衝動に駆られる。


「空野くんは、少年野球をやってたんでしょう?」


(ちょっと。)


「あれ? よく知ってるね。」

「だって、最初の日に聞こえたよ。聡美に話してたでしょ?」


(なあ、俺は?)


「ああ、そう言えば。」

「久しぶりで楽しい?」


(先に話してたのに。)


「そうだなあ、ソフトボールは少し感触が違うから。」

「ふうん、そうなんだ?」


(なんでだ?!)


話が弾んでるじゃないか! しかも、俺を無視して!


「佐矢原くんも?」

「え、何が?」


(忘れられてなかった…。)


ほっとしてだらしなく笑顔になりそうになったけど、ぐっと気持ちを引き締めた。でも、空野の顔のあとに俺を見て、どう感じるんだろう……。


「ソフトボールってやりにくい?」


でも、鈴宮は変わらない。やっぱりまっすぐに俺を見上げている。


「うーん、まあ、多少は。でも、すぐに慣れるな。」

「そうかー、すごいねえ。あ、ねえ…」


そこまで言って、抱えたグローブからさっき渡したボールを取り出した。


「ねえ、これ、持ってみて?」

「ん?」


言われるままに受け取って、彼女に見えるように差し出す。


「うん、やっぱり大きいね。」


鈴宮がにっこりと俺に微笑みかけた。どうやら俺の手のことを言っているようだ。


「こんなに大きいと、何でもできそう。」

「はは、そうか? じゃあ、困ったときは何でも頼んでいいよ。」

「そう? ありがとう。」


(見ろよ! 俺は頼りになりそうだってさ。)


得意になっている俺の手から、彼女が笑顔でボールを取り上げる。そうして今度はそれを空野に渡した。


「ああ、空野くんは指が長い。綺麗な手だね。」

「そうかな?」

「うん。器用そうに見えるけど…?」

「ああ、そうだね。木工とかは得意だったよ。」

「やっぱり。」


(えーーー……?)


空野が照れて笑ってる。鈴宮にとっては、やっぱり俺だけが特別ではないらしい。


「みゃー子!」

「あ、利恵ちゃんだ。」


昇降口の前で森梨が手を振っている。


「お疲れさまでした。」


空野の手からボールを受け取り、俺たちに深々と頭を下げると、鈴宮は森梨のところへ走って行った。その後ろ姿から空野へと視線を移すと、同じタイミングで空野も俺を見たところだった。そこで急に表情を引き締めた空野に、俺はなんとなく不安を感じた。







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