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恋するココロの育て方  作者: 虹色
第二章 球技大会
14/92

14  初めての訪問


「はい、お疲れさま。これでオーケーよ。」

「ありがとうございます。」


お礼を言いながら鏡でもう一度左右の耳周りを確認し、嬉しくなってニヤニヤしてしまった。いつもの店でやってもらったときよりも、数倍格好良く仕上がっている。


「ねえ、本当にお夕飯食べて行かないの?」


俺の髪をカットしてくれたおばさん――「空野の母ちゃん」という言葉ではちょっと申し訳ないようなきれいな人だ――が気さくに尋ねる。今日、日曜日の午後に、俺と剛は髪を刈ってもらうついでに空野の家に遊びに来たのだ。俺たちはおばさんの手が空くまで、空野の部屋で遊びながら待っていた。空野の髪形を見てこの店に来るうちの学校の生徒で、家に上がり込んだのは俺たちが初めてらしい。みんな普通に店に来て、カットしながら話す間に空野と同じ学校だと言うのだそうだ。だからおばさんは、俺と剛を空野と特別に仲の良い友達だと思ってすごく喜んでくれたのだ。


「あ、はい、今日は帰りますから。」


初めて来たのに、料金をおまけしてもらった上に夕食をご馳走になるのはさすがに悪い気がする。いくら空野が俺に恩があるとしても。


「そう? じゃあ、また今度ね。健吾のお友達が家に来るなんて久しぶりだから、おばさん、張り切って美味しいもの作るから。」

「はい。楽しみにしてます。」

「じゃあ、ごゆっくり〜♪」


明るく手を振るおばさんにもう一度挨拶をして、店の出入り口から外に出た。それからその横にある小さな門を抜けて、空野の家の玄関へまわる。


空野の家は年季の入った和風の家だ。玄関を入ると奥に続く木の床の廊下は少し薄暗い。右手にトイレや風呂場があって、左側に階段、そして和室がある。和室の上が空野の部屋になっていて、ベッドを置いていない6畳の部屋は気持ち良く広々としている。窓からは小さな庭が見え、洗濯物が干してあった。家がその庭をかぎ型に囲んでいる。


昔ながらの引き戸の玄関を開けて、「空野〜、あがるぞ〜。」と、靴を脱ぎながら階段に向かって声をかけた。上から剛の笑い声の合間に空野の「どうぞー。」という声がする。二階にあがると開けっ放しのふすまから、先に終わった剛が畳に寝転がっている足が見えた。


「空野の母ちゃん、ホントに美人だな。」


剛の足をまたいで部屋に入りながら、空野の顔をあらためて見る。唇や眉は空野の方が当然男っぽいけれど、輪郭や鼻、目の形はおばさんと空野はそっくりだ。すらりと背が高いところも遺伝なんだろう。


「やっぱお前、母ちゃん似なんだな。」

「俺はね。姉は父親似だけど。」

「あーっ! 残念だ!」


姉ちゃんの話が出た途端、剛が悔しそうに叫んだ。


「楽しみにしてたのに、デートでいないなんて! 洗髪とかしてほしかったのに〜!」


畳の上で悶える剛に、空野も俺もちらりと視線を向けるだけ。今日はここに来てから何度もこれを見ているのだ。もう何も言葉をかける気になれない。


座る前に、窓の横の壁に掛けてある鏡を覗き込む。ついさっきカットされたばかりのトップとサイドをもう一度チェック。やっぱりいつもよりずっと格好いい。


「いつもと変わんないだろ?」


(なに?!)


振り向くと空野が机の椅子から俺を見上げている。


「その髪形だったら、どこでやっても――」

「お前、分かんないのかよ? 全然違うだろ!」

「そうだぞ空野! この微妙な曲線を求めていたんだ、俺は!」


剛まで起き上がってその “微妙な曲線” を指しながら詰め寄ると、空野は半分呆れた顔で、面倒くさそうにうんうんとうなずいた。


「まあ仕方ないな、そのセンスじゃ。」


言いながら、わざと蔑むような眼差しを空野の服に向ける。上は鮮やかなピンク地に青や緑や赤のハートが全体にちりばめられたポロシャツだ。デザインはまあ好みがあるとしても、なにしろ色がすごい。目がちかちかする。履いている水色のジャージは見覚えがあると思ったら、俺たちの中学のジャージだった。髪は寝癖がついたまま。


最初に見たとき、俺は空野が起きたばかりなのかと思った。でも、そうじゃなかった。休日はいつもこんな感じらしい。


俺たちが来ることが分かっていてこんな恰好をしていただけでも勇気があるなと思ったけれど、これで外に出かけてもいると聞いて驚いた。これではイケメンも台無しだ。いや、場合によってはいじめの対象にだってなるかもしれない。こういうセンスを隠せる制服とは実に偉大なものだ。


「だから、これは俺が自分で買ったわけじゃないってば。」


空野がムキになって言い返す。


「商店街のくじ引きでもらったって言っただろ? いいじゃないか、家で着てるだけなんだから。」


コンビニにはそのまま行くって言ってたくせに…と思ったが、そこは黙っておいてやることにした。知り合いに会って恥ずかしいのは俺じゃないし。


「なあ、これからどうする?」


今度は剛が鏡を覗き込みながら言う。


「ちょっとブラブラしないか?」

「そうだな。」


時間を確認すると4時半を過ぎたところ。まだ十分に時間はある。


「せっかく髪もやってもらったしさ、」


剛が俺と空野の間に来て、秘密を打ち明けるように声をひそめた。


「由良ちゃんのうち、見に行こうぜ。」

「え?!」


空野がたちまち緊張する。俺も一瞬ドキリとして、剛からそれとなく目をそらしてしまった。潜んでいた願望を見抜かれたような気がして。


「あっちに見えた野球場のそばなんだろ? 公園の中、突っ切って行けばすぐじゃん。」

「そうだけど…。」


空野が迷う。俺はどっちでもいいような顔をして沈黙。けれど、話がどう転がるのか、どうしても気になってしまう。


「空野、もう行ってみた?」

「い、いや。」

「だよな? 一人じゃ行きにくいもんな。」

「あ、ああ。」

「今の時間なら、公園に人もいっぱいいるし。」

「うん…。」

「もしかしたら会えるかも知れないし。」


迷う空野に剛が畳みかける。「会える」という言葉が空野だけじゃなく、俺のことも引き寄せる。


(「行こうぜ」って言っちゃおうかな……。)


頭の中を「行こうぜ」が駆け巡る。


俺が言ったっていいはずだ。俺は、二人が鈴宮を好きだということを知っていて、さらに二人が彼女と仲良くなれるように協力すると約束したのだから。軽く「行こうぜ」と言えば、何を疑われることもない。


(疑い? 何のだよ?)


俺には疑われるようなことなんてない。鈴宮は単なるクラスメイトじゃないか。


「いいじゃん、行こうぜ。」


思い切って、少し張り切った声を出してみた。


「ほら、直樹だって行くってさ。」

「見に行くだけだろ? 面白そうじゃん。」


この場にふさわしい態度が出ているだろうか。あまり熱心じゃなく、からかうような、ちょっとした興味本位のような。でも、この後ろめたさが気になる…。


「じゃあ…、行こうかな。」


空野がとうとう決心した。頭の片隅で「やった!」と声がした。後ろめたい気分を、浮き立つ心が押しのける。


(ちょっと家を探しに行くくらいで…。)


心がなぜこんなに浮き立ってくるのか、それを思うと落ち着かなくなってしまう。


「まさか、そのまま行くんじゃないだろうな?」


自分の気持ちを隠して、空野にしかめっ面を向けた。あくまでも、自分は付き添いだと自分で言い聞かせながら。


「あれだけ散々言われて、このまま行くわけないだろう? ちゃんと着替えるよ。」

「なんだよ、直樹〜。空野がそのままの方が、俺の格好良さが引き立つのに。」

「そうだろうけど、俺はあんな服装の友達と一緒に歩くのはいやだ。」

「だから、着替えるって言ってるだろ!」


タンスを掻きまわしながら空野が癇癪を起こしてる。


「だいたい、行ったからって、家がすぐに見つかるかどうか分からないし、由良ちゃんにだって会えるって決まったわけじゃないのに……。」


ぶつぶつ言っている空野が可笑しい。あの調理実習の日から、空野のイメージは崩れっぱなしだ。


(でも、)


ふてくされた様子でバタバタと着替える空野を見ながら思う。


(こういう感じって、付き合いやすくていいよな。)


高校に入ってから見た目も性格も俺よりもずっと大人びてしまったと思っていたけれど、中身はやっぱり同い年なのだ。好きな女子に対して純情すぎるところなんかは、まるで中学生の初恋だ。とは言え――。


「お待たせ。」


クリーム色のボタンダウンのシャツにジーンズを履き、髪を(適当に!)なでつけた空野は、その格好良さで一気に俺たちを引き離した。




鈴宮の家は、案外すぐに見つかった。


俺たちは野球場のフェンスに沿って移動しながら、道路をはさんで並んでいる家を見て行った。ちょうど少年野球の試合中でフェンスの周りにも人がいるし、公園の外周には植え込みもある。俺たちが立ち止まったり歩いたりしていても目立たなかった。


公園沿いの道路は車の通りはあまり無く、住宅地にはマンションや高いビルは見えない。一般的な二階建ての家が並び、車を洗っている人や庭の手入れをしている人がいる。のんびりした雰囲気の街だ。その途中に銀色のプレートに『鈴宮』と書かれた家があった。車庫には車が入っていない。出かけているのかも知れない。


「ここかな?」

「だろうな。鈴宮なんて、そんなにたくさんある名前じゃないだろうから。」


なんとなく声をひそめて、椿の木の陰から様子をうかがう。どこかに彼女に関連するものがないかと探してみるけれど、そんなものは見当たらない。


「由良ちゃんの部屋はきっと二階だよな?」


剛の言葉につられて俺と空野も二階を見上げるが、二つの窓には白いカーテンが見えるだけ。周囲にも彼女の姿は無い。


「仕方ない。行くか。」

「だな。不審者扱いされても困るし。」


胸の中には安堵とも落胆ともいえるものがうっすらと広がっている。


(なんで俺が。)


自分の気持ちが腹立たしい。鈴宮に会えても会えなくても、俺には関係のないことなのに。


「空野の部屋も公園の方を向いてたら良かったのになあ。」


戻るために歩き始めたとき、剛が言った。残念ながら、空野の家で公園に面しているのは店の入り口なのだ。


「まさか、向かい合ってたら覗けるとか思ってるんじゃないだろうな?」

「何言ってんだよ?」


剛が俺に軽蔑したような目を向けた。


「直樹は品がないなあ。夜になったら窓から光で合図しあうんだよ。」

「なんだよ、それ? スパイごっこか?」

「知らないのか? 『赤毛のアン』でアンとダイアナがやってるんだぞ。窓にろうそくを立てて。」


剛の口から『赤毛のアン』なんていう本のタイトルが出てきて、俺は思わず目を剥いた。隣で空野がこっそりと笑い出す。


「それ、昔の話だろ? 言いたいことがあれば、メールでも電話でもすればいいのに。」

「馬鹿。それじゃあ普通すぎるだろ? せっかく部屋が向かい合ってるなら、お互いに相手の方を見ているっていう証が欲しいじゃないか。俺はロマンティストなんだ。男のロマンを求めてるの!」


身振りも交えて、剛が熱く語る。でも、ロマンを語るにしては、普段の剛は軽すぎると思う。


「男のロマンって言うけど、そのアンとダイアナってのは女同士なんだろ?」

「くふっ、ふははははは!」


とうとう空野が我慢しきれずに笑い出した。剛は俺にがっかりした顔を向けてくる。俺は軽く肩をすくめて二人の反応をやり過ごし、芝生の広場に向かう小道をゆっくりと歩いた。







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