11 俺がやらなきゃ誰がやる!
翌朝、朝練で会った剛は、「今日は絶対に近衛より前に、由良ちゃんを確保するからな!」と意気込んでいた。ところが、教室に着いたところで、今日からバレーボールも練習を始めたいと声がかかった。剛はバレーに出ることになってはいたが、練習は女子が中心のようだったので、それとなく断ろうとした。でも、女子に囲まれて頼まれるとやっぱり断れなかった。最後に俺に向かってため息をついてみせたが、そこに得意気な表情が混じっていたことを俺は見逃さなかった。
(こうなると、あとは空野だけど…。)
俺としては、今回は、剛と空野がそれぞれできることをまずはやってみるべきだと思う。俺が近衛を遠ざけることができたとしても、それだけではあまり意味がないからだ。放っておけば、またほかのヤツが彼女に興味を持つかも知れないのだから。
(どうなんだ?)
空野は窓の前で、男同士で和やかに話している。少し乱れた風にセットされた髪とメタルフレームのメガネ、すらりとした体にほど良くフィットした黒い学生ズボンに袖をめくり上げたワイシャツ。窓枠に寄り掛かり、リラックスして腕を組んだ姿は、俺から見ても男前だと思う。なのに鈴宮に関しては……。
「ふぅ……。」
思わずため息が出た。
「直樹、直樹。」
呼ばれて振り返ると、近衛が近付いて来るところだった。嬉しそうな顔をして、はしゃぐのを抑えきれない様子がありありと分かる。
「よう。朝からニヤニヤして、何だよ?」
俺の質問にすぐには答えずに、近衛は嬉しさをこらえきれないという様子で俺の肩をバンバン叩いた。きのうの発言が気になっているところにこんなことをされると、嫌な予感しかしない。
少しのあいだ、そうやってくすくす笑ったり俺を叩いたりしてから、ようやく近衛がささやいた。
「俺さあ、今日のキャッチボールは鈴宮と組むから。」
(え? 決まったのか? こんなに早く?)
焦りを顔に表さないようにしている俺の前で、近衛が「うししし。」と笑う。
「へえ、そうなのか?」
相槌を打つと、近衛はうんうんとうなずいた。空野は相変わらず窓の前にいる。鈴宮は…見当たらない。
「今、鈴宮に言って来た。そしたら『あ、はい。よろしくお願いします。』だってさ。うくくくく…。」
嬉しくて笑いが止まらないらしい。
「素直だよなあ。なあ、お前、知ってる? 鈴宮って、話しかけられるとびっくりした顔するんだぜ?」
「ああ、俺のときもそうだったな。」
今さら近衛に教えてもらうようなことではない。俺の方が鈴宮のことはよく知っているんだから。
「『あ、はい。』だぞ。素直で可愛くね? それに『よろしくお願いします。』だよ? 俺、ほかの女子にそんなこと言われたこと無いし! 何て言うのかな、俺のことを信頼してるって感じ? いや〜、どうしよ?!」
(鈴宮! こいつのことは警戒しろよ!)
彼女が近衛のことを、俺と同じレベルで信用しているのかと思うとがっかりする。
「なあ、直樹。やっぱ俺、鈴宮かも。昼休みに何かが起こる予感がする♪」
不安でいっぱいになってしまったところで予鈴が鳴って、鈴宮が廊下から教室に入って来たのが見えた。ワイシャツにグレーのベスト、チェックのスカート、紺のソックス。あごの下までの短めの髪をふわふわと揺らしながら、落ち着いた様子で席へと向かう。いつもと変わらないはずのその姿が、今朝は特に清らかな輝きに包まれているように感じる。
(何も起こらないでくれ…。)
思わず祈ってしまった。
鈴宮は教卓の前の席で椅子を引きながら、ちらりと空野を振り向いた。そして遠慮がちな笑顔を作り、小さく何かを言った。
(お?)
空野にあいさつしたんじゃないのか?!
(空野、チャンスだ! せっかくだから、もう一言くらい何か言え!)
けれど鈴宮はそれっきり前を向いてしまった。空野が机に肘をついて、ゆっくり頭を抱える。
(無理だったか…。)
まあ、できなかったことを反省しているらしい分、剛よりはマシな気がする。
剛が空野の隣から話しかけた。昼休みの練習のことを相談しているのかも知れない。
(だけど…。)
もうすでに、空野も出遅れている。のんびり昼休みを待っていても無駄だ。
担任が出席を取っているあいだ、俺はあれこれと可能性を考えてみた。
今朝の時点で俺が考えていたのは、空野を汰白から自由にしてやることだった。
汰白が中学の部活でピッチャーの経験があるなら、今回のピッチャーを頼んでみようと考えていたのだ。そして、今日からバッテリーを組んで練習したらどうかと持ちかけるつもりだった。そうなれば、空野は汰白から解放されるはずだ。キャッチャーは、空野は無理だって言えるだろうし、男のメンバーには汰白のキャッチャー希望者がいるだろう。いなければ俺がやる。部活で本格的にキャッチャーをやったことはないけれど、練習で相手をすることはあるから。で、フリーになった空野が鈴宮を誘う――という筋書きだった。俺が二人を組ませることもできるかもしれないが、やっぱりそこは空野本人が「一緒にやりたい」という気持ちを示すことが重要な気がするから。
けれど、鈴宮はすでに近衛と組むことが決まってしまった。
(どうしようかな…。)
好きだと言いながら積極的に動けない空野を、俺がそこまで手伝う義理は無いのかも知れない。空野のおばさんに頭を刈ってもらう話も、まだ具体的になったわけじゃないし。
(だけどなあ…。)
鈴宮と近衛の様子を想像すると落ち着かない。教えるという名目で必要以上に近づく近衛と、何をされてもまったく気付かずににこにこしている鈴宮が浮かんできて、叫びたくなってしまう。
(ダメだ。)
やっぱり近衛とは組ませたくない。そりゃあ、近衛が嫌なヤツというわけじゃないけれど……。
(とりあえず空野に話してみよう。)
秀才の空野のことだ。もしかしたら、名案があるかも知れないからな!
「そうなんだ……。」
休み時間に廊下で空野に近衛のことを話すと、空野はため息をついて、窓枠にがっくりと伏せてしまった。
「今日は汰白さんに指名される前に、由良ちゃんに申し込もうと思ってたんだけどなー…。」
名案ではないが、空野は空野なりに頑張ろうと思っていたらしい。でも、遠慮がなくて要領が良い近衛に先を越されてしまったわけだ。
「そんなにがっかりするなよ。まだ球技大会まで日数もあるんだから。」
あまりにも落ち込んでしまった空野を、俺はそんな言葉で慰めるしかなかった。でも、空野は力なく窓に寄り掛かったままだ。
「だけど俺、朝から緊張しっぱなしだったんだぞ? いつ言おうか、とか、チャンスを逃しちゃいけないとか思うと気が気じゃないし、なのに由良ちゃんが近くにいるとドキドキして、そっちを見るのが怖いし……。」
「……キャッチボールの申し込み、だよな?」
「その話だろ?」
「うん、まあ…、もしかしたらコクりたいのかと思った。」
空野が盛大に驚いて顔を上げた。そしてたちまち真っ赤になった。
「ななな何言ってんだよ?! 無理に決まってるだろ、そんなこと! うわ〜〜〜〜〜……。」
窓に肘を乗せて外を向き、両手で頬を押さえる空野に、俺は心の中で「だよなあ…。」とつぶやいた。あいさつするのがやっとの空野が、いきなり告白を決心するなんてできないに決まってる。
(だけど…。)
朝からいつもどおりクールで落ち着いているように見えていたけど、それほど緊張していたとは。決意を固めて来たのに先を越されてしまったとなれば、こうやって落ち込んでしまうのも無理は無い。
「やっぱり俺なんかダメなんだ…。」
空野がぼそりとつぶやく。
「言いたいことも言えない俺なんか、きっと男らしくないって嫌われてるに決まってる。」
「空野…。」
そもそも空野に言いたいことがあるってことを、鈴宮は知らないのだ。男らしくないも何も、判断するような材料がないじゃないか。
「きっと由良ちゃんは、近衛となら話しても楽しいんだ。」
「何言ってんだよ? 今朝の会話のことは教えただろう? 『はい。』と『よろしくお願いします。』だけだぞ?」
そう思い出させようとしても、俺の言葉は耳に入らないらしい。
「きっと今日の練習で仲良くなって、近衛のことを一番だって思っちゃうんだ。明日の土曜日は二人で出かけちゃったりさ…。」
「一回キャッチボールしたくらいでか? だったら俺なんかもうとっくに―――」
ちらり、と空野が俺を見た。
「近衛と直樹は違うよ。」
(俺が近衛に負けてるって言うのか?!)
一瞬カチンと来たが、空野の言った意味は違っていたらしい。
「直樹はそんなつもりじゃなかったんだろ?」
「あ、ああ、そうだけど…。」
もちろん、そんなつもりでキャッチボールをしたわけじゃなかった。
(そうだけど……。だけど……。)
自分の中に、空野の指摘に自信を持ってうなずき切れない部分があることに気付く。だけど……。
「あのさあ、空野。」
微かな気がかりを振り払い、あらためて空野に声をかける。
「……何?」
「なんでそんなに『負けた』って考えるんだよ?」
「だって、近衛が先に……。」
「だからって、鈴宮が近衛を好きになるかどうか分からないだろう? 店の品物じゃないんだから、早い者勝ちなんてことはないんだし。」
「でも…、近衛みたいに明るい性格の方が、女子には好かれそうだし……。」
「お前……。」
呆れて言葉が続かなかった。自分が女子に人気があることは自覚しているくせに、それを棚に上げて、いったい何を言ってるんだろう? どうして鈴宮のことになるとこんなに自信が無いのか、まったく意味不明だ。
(やっぱり俺がなんとかするしかないのか。)
こんな調子だと、空野は当てにできそうにない。でも俺は、近衛が鈴宮に近付くのを黙って見ているのは嫌だ。
(そうだよな。調理実習で助けてもらったんだし。)
鈴宮には恩がある。剛と空野が鈴宮を守れないなら、俺がやるしかないじゃないか!