今日も世界は平和です。
「戦闘員Iさん、労災申請の書類です。記入してから、また提出お願いします」
「イー…?」
「記入する箇所ですか?ここと、ここと…」
たくさんある欄のどこを記入するのかわからないみたいだから、鉛筆を取り出し、記入してもらう部分に丸をする。
「あとはここです。お手数ですが、二枚目の書類にも判子をお願いします」
二枚目の書類を捲り、指し示せば戦闘員Iさんは頷く。
「イー?」
「そうですね…住民を襲おうとしたら登場したレッドに飛び蹴りを食らって左肩脱臼で、いいと思いますよ?」
記入欄の一ヵ所を指して首を傾げるIさんに説明する。
理解したIさんは空欄に負傷箇所は左肩、怪我の具合は脱臼と書き出す。
あとの部分はわかるようで、書類の端を揃えて脇に抱える。
そして大袈裟なくらいに、丁寧にお辞儀をしてくれた。
「いえいえ。お大事に」
「イー!」
戦闘員特有の返事をし、戦闘員Iさんは書類を受け取って帰って行った。
「おー、慣れてきたね」
斜め向かいの席の事務員Aさんが、ニカッと笑う。
「いえいえ、まだぜんぜんですよ!労災申請の書類はしょっちゅうですから、さすがに慣れましたけど」
あと、戦闘員さんたち特有の言語も訳せるようになった。
「“まだ”だってさ。Aさんも、さっさと子守りから抜け出したいのになぁ〜?」
ニヤニヤしてる事務員Dさんを、思いっきり睨む。
しかし奴はニヤケ面のまま自分の身体を抱き締め、『こわい、こわい』とほざいてる。
「気にしちゃダメヨ〜Dは、ショーガクセーだから、仕方ないネ!」
隣に座った事務員Bさんは、ぽやぽやと笑ってる。
ところで『ショーガクセー』って、小学生のこと?
「別に、子守りなんて思ってないよ。確かに、こーいう数字の大きいものをやってくれるようになったら、助かるけどね〜」
「うわっ、ゼロがひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ、いつつ、むっつ…」
Aさんのやってる仕事を覗けば、すごい額のものを扱ってる。
これを間違えれば、どれほどの損害が出るのだろう。
考えるだけで、頭が痛くなる。
「ちなみに、これは何ですか?」
「この間うちの怪人と、向こうのヒーローたちが戦った商店街あるでしょ?あそこ、立ち退きが決まってたんだけど、まだ残ってた人たちがいてね。これを機会に、移動してもらったんだって。その謝礼」
どこの地上げ屋だよっ!!
確かにうちの会社、裏では悪の秘密結社やってるけど、表は普通の会社なんだからバレてスキャンダルになるようなことはやめて。
「さっきからCは何やってんだよ?」
事務員Cさんは、Dさんにいわれて慌てるけど、その拍子に本を落とした。
それを、本人よりも先にDさんが拾い上げる。
「仕事中に週刊誌なんて読んでんなよ。なになに…『人気絶頂のアイドルグループの××ちゃん、深夜のデート(ハート)お相手は大手玩具メーカーの御曹司さま?!』って、うちの営業部長じゃねーか!!」
ひぃ〜スキャンダルが、こんなところにも!!
「いいだろ、別に。これはビジネスなんだから」
って、いつ現れたんだ渦中の人。
営業部は別の階なんだけど。
「ビジネスと、いいますと?」
「この娘がいるグループとキャラが被ってると、迷惑がってる方々がいてね?やっぱり、アイドルは異性関係を突かれると弱いよ。ブログ炎上してるし」
うーわー、芸能界のドロドロを垣間見た気がする。
営業部長、若いしモデル並にスタイルいいし、影のある(ように見える)イケメンだし、記事にも書いてあるけど社長の息子さんで次期社長だし、こういう人にいい寄られたら気分いいだろうな。
うん、だけどさ。
「悪の秘密結社の幹部さまが、こんなことしてるなんて、ロマンがないよ」
きっと、これも謝礼が出るんだよな。
「趣味と実績兼ねてるからね。第一、ロマンだけじゃ組織の運営費稼げないし。Cくん、またこういう依頼聞いておいてね!」
そろそろと逃げ出そうとしていたCさんは、びくっと飛び上がった。
お・ま・え・か!
「だって、だって!秘書課の人たちに追い出された依頼人さんたちが、どうしてもってすごんできて〜」
ベソベソ泣くな、あんたは事務員でも悪の秘密結社の構成員でもあるんだよ。
あと、いい年した男が『だって、だって』とかいうな。
高校卒業したばっかの私でも、仕事中はいわないよ。
バッターン!!
「そこまでだ、ダークプリンスっ!!」
ドアを蹴破る勢いで来た人物に、みんなの視線が釘付けになった。
赤茶色の髪に、スポーツをやってそうなガタイのいい、さわやかなイケメンである。
ただ、身に着けているのは真っ赤なジャケットとジーンズで、とても会社に来る格好じゃない。
そもそも、うちの社員じゃないし。
「部長、人と会う予定があったのですか?」
「いや、この時間はない」
“ダークプリンス”っていうのは、幹部さまの名前だ。
最初はまんまの名前に笑いを堪えていたが、今はさすがに慣れたし、普段は普通の名前を名乗っている。
Aさんが困った顔をするのは、たぶん邪魔だからだろうな。
普通は、応接室に通すものだしなぁ。
でも、このお客さまは応接室に通す人じゃないみたいだ。
「何しらばっくれて、普通の人間のフリをしてるんだ!俺のこと、わかるだろっ!レッドだ!!」
「どちらのレッドさまでしょうか?」
わー…にこやかに笑いながら、ザックリ切り捨てたよ、幹部さま。
基本、女性の名前しか覚えないと普段から豪語してる幹部さまだけど、さすがに毎週遭遇してる相手ぐらい覚えてるよね?
毎度、お互いにマスク越しだけど。
あーあ、ショックで赤い人がプルプル震えてるよ。
「きっ、昨日だって会っただろ!それに、いくらこっちがマスク着けてても、声でわかるだろうがっ!!」
昨日はちなみに、私たち非戦闘員は会社が休みだった日曜日だ。
「気色悪いこというな。男と好き好んで会うか。女に生まれ変わって出直して来い」
いや、聞きようによっては変な誤解を受けかねないなセリフだけど、突っ込みどころはそこ?
しかし幹部さま、安定の女好きですね!
あっ、赤い人のプルプルがもっと大きくなった。
「…昨日の“出動”後、桃子という女の子と一緒にどこかに出掛けなかったか?」
その名前を聞いてすぐ、誰のことかわかったらしく幹部さまは合点いったようだ。
「あぁ、ピンクの子ね。戦闘のことで落ち込んでいたから、慰めてただけだよ。まったく、あんなに落ち込んでる子を放置するなんて、リーダーとしても男としてもなってないな」
『やれやれ』と、肩を竦める幹部さまに、赤い人はついにぶちギレた。
「敵の幹部が何いってんだー!!」
…ですよねー。
そもそもの原因が、何説教してんのって話だ。
しかも、自分の仲間である…更にいえば恋人が先日の戦闘において指揮をとってた男と一緒にいたってことみたいだし。
「うちの桃子を誘惑しといて、なに正論いってんだっ!だいたい、悪の秘密結社がごく普通に会社経営してるなんてどうかしてるっ!!」
ギャーギャー赤い人は、文句をいい連ねてる。
いいたいことは、よくわかるよ。
だって私も、最初はなんの冗談かと思った。
だけど、面接してくれた社長が威圧感バリバリな秘密結社の総帥さまであれば、信じないわけにもいかない。
まあ、裏は兎も角、表は普通の会社でそこで働く人たちはみんなイイ人たちだし、お給料もいいしね!
と、いうわけで。
「あっ、もしもし警察ですか?」
受話器を上げて、まず電話だよね。
ーーーー
『今日の昼頃、大手玩具メーカーに不審な男が入り込みましたが、すぐに警察に取り押さえられました。男は自分は正義の味方だと言い張っており、要領を得ないとのことです』
「ここって、お姉ちゃんの会社だよね?大丈夫だった?」
「大丈夫かピョン?」
ニュースを見ていた妹と妹のペットなうさぎモドキが、納豆を混ぜる手を止めて心配そうにこちらを見詰める。
私は冷奴を口に放り込んでから、二人を安心させるように笑う。
「大丈夫。いつも通り、平和だったよ」
事務員E…円藤 恵理。妹と妹のペットと暮らしている。両親はそれぞれ海外にいて、放置されてたところを祖母に育てられる。祖母亡き後、大学に行くのを諦めて働くことに。