【六話】 水面下で広がる戦い
シャルロットからどうにか逃げ出し、ミミは庭の片隅に身を潜めていた。ずっと目を使っていたら疲れたし、今日はこの青いセルスティの花飾りを編んだら、終わりにしよう。
進行度は、大体八割といったところ。
後は好みの向くまま、飾り紐を伸ばしたり花やビーズを飾ったりだ。リュシアンは華美なものを好まないから、ほどほどにしなければいけないだろう。
しかし、ほどほど過ぎると、他の令嬢に埋もれてしまうかもしれない。
実に悩ましいところだ。
リュシアンがどんな反応をしてくれるだろう。驚くのか、褒めてくれるのか。これというオシャレをしたことが無いミミに、彼はどんな言葉を、態度で伝えてくれるのだろうか。
「ふむ、こんなところかの」
花飾りを紐に縫いつけ、今日の成果を見る。
エヴァリナ、イールディオ、ライリス。それぞれ緑と藍と紫の花だ。その合間にミーザの黄色やマリアールの橙を散らして、華やかさをアップしている。
それらを引き立てるように、ウィス・ティリアの灰色が添えられている。なぜ灰色なのかというと、この世界の花々は最初は全部灰色だったという伝承からきているそうだ。
それを神様が憂い、世界に色を与えたと。
なので結婚式や出産といった、神に感謝する出来事の時には、必ず神の名を冠したこの花を使うのだ。ミミも、お菓子のような甘い香りのする、ウィス・ティリアの花が好きだ。
そういえば、そろそろウィス・ティリアとスウの花が咲く季節。城の中庭にも群生しているところがあったから、そのうち見に行こうかと思い、荷物を手に立ち上がった瞬間。
「どこに行くの、リュシアン」
あまり聞きたくは無い、ある令嬢の声が聞こえた。
そっと物陰に身を潜めて、様子を伺う。声はすぐ近くからしたから、今出て行ったらほぼ確実に鉢合わせしてしまうからだ。何より彼女が呼んだのが、リュシアンというのが気になる。
長い茶髪を揺らし、赤いドレスを着ている少女――いや女性が見えた。
あれはアドリーヌ。貴族の生まれで、リュシアン達とは幼馴染になる令嬢。そして、シャルロットがもっとも毛嫌いしている、そう社交界で噂の男爵令嬢より毛嫌いしている人物だ。
彼女は用事が無くとも城にやってきては、リュシアンの傍にいる。
「アドリーヌ嬢、どうしてここに?」
リュシアンの隣にいたエリクが、主に代わって問いかける。彼はシャルロットの婚約者でもあるが、同時にリュシアンの側近を務めている。剣術にも長けているので、護衛も担当しているという話だ。事実、留学には彼が同行し、寮の部屋も同じにしてもらっていたという。
呪いで声を失った彼の意思を的確に汲み取って、『通訳』するのも彼だ。
「あら、わたしがここにきてはいけないと? 相変わらず、あなたもわたしを嫌うのね」
「用事も無いのに、頻繁に来られてはあらぬ噂を立てられますので」
「ふふ、わたしは気にしないわ」
「……」
「ほら、リュシアンも気にしないって。それに噂ぐらいいいじゃないの。彼に嫁ごうなんていう令嬢なんていないのでしょう? 名乗り出ても曰く付きだって、よく聞く話だわ」
そしてアドリーヌは、リュシアンの腕を抱えて。
「そう、わたしが彼の婚約者候補の筆頭。だから会いに来るのよ」
くすくす、と笑うアドリーヌ。シャルロットがこの場にいたら、エリクの剣を奪って切りかかったかもしれない。だからエリクも、アドリーヌが城に来ることを嫌がっているのだが。
もちろん噂の問題だってある。
アドリーヌの家は国でも一番の貴族で、彼女が名乗りを上げれば他は勝負の場に出ることも無く引き下がってしまうのだ。彼女の存在もまた、リュシアンの縁談が乏しいことの一因だ。
「これから休憩なんでしょう? じゃあ、わたしも一緒に行っていいでしょ?」
「……リュシアン」
二人から視線を向けられたリュシアンは、静かにうなづいて歩き出す。
向かうのは彼の部屋ではなくて、おそらくはサロンか何かだ。部屋に案内してほしかったらしいアドリーヌは、少しだけ不機嫌そうな様子を見せるが、静かに彼の隣を歩いていく。
そして三人がいなくなった後、どこからか様子を見ていた侍女が集まった。
城の中で掃除など雑務を担当している、若い侍女達だ。
「アドリーヌ様、大胆ねぇ」
「もう、殿下のお相手は彼女で決まりなのかしら。だとすると」
「えぇ……姫様、荒れるでしょうねぇ」
「でもまぁ、アドリーヌ様が出てきた以上、他に縁なんてないだろうし。姫様だって子供ではないのだからすぐに諦めなさるわ。それにアドリーヌ様、とてもよい方だもの」
「姫様も、いい加減兄離れなさったらよろしいのにねぇ」
彼女らは次々とアドリーヌを褒め称え、それぞれに仕事へ戻っていく。ミミは、隠れていた場所から動けないまま、膝を抱えてじっとしていた。聴いた言葉を、頭の中で繰り返して。
「……婚約者、か」
シャルロットほどではないが、ミミもアドリーヌが苦手だ。拾われたばかりの頃に魔女をいじめていた、城にやってくる貴族達に似ているからだ。姿形ではなく、その言動と裏表さが。
幸いにも彼女には、王子という最高権力者が味方でいてくれた。彼女だけを愛する彼がいてくれた。そして授かった命や、彼を愛することですべてと戦う決意を胸に宿したけれど。
ミミには、そんな味方はいない。
一人で戦って、一人でがんばるしかない。
あの日、魔女が寿命を終えた瞬間から、ミミはずっと一人だった。
一人でいいと思っていた。
誰かと一緒になれるわけがないと、思っていた。わかっていた。婚礼衣装なんて作ろうと何も変わったりしない。ミミは化け猫姫で、王子様と結ばれる物語なんて存在しないことを。
リュシアンが好きなんだと、気づいた時から。
「わかっていたはず……じゃ」
そう、全部わかっていたはずだった。
自分がしている行為の、おぞましいほどの自己満足さも。そこから何も、生み出されるわけではないことも。わかっていたはずだった。自覚して、それでも、と手を伸ばした道なのに。
なのに、なぜ悲しいと思うのか。
自分以外が彼の傍にいる、それを腹立たしいと思うのか。
何という浅ましさ。
見るに耐えないほどの我侭。
だけど、少しだけ安堵する思いもあった。
ほら、やっぱりこの化け猫姫は、おぞましいヒトならざる存在だった。間違っても猫姫と呼ばれるような身分でもなければ、猫姉様などと姫君に慕われるに値する存在でもない。
美しい海の妖精さえも、愛する王子と結ばれなかったというのに。
薄汚い化け猫に、そんな物語など巡ってくるわけがない。