【四話】 スウの花飾り
ミミの一日は、屋根の上からリュシアンを見るところから始まる。早起きして寝床を綺麗に整えると、すぐさま『いつもの場所』でじっと待つ。視線の先は新緑に包まれた庭だ。
彼は毎朝、庭の決まったところを散歩で通る。
いつも潜む渡り廊下の上は、ちょうど彼が通る場所からよく見えるのだ。まぁ、互いに相手が見えるからこそ、この辺を散歩するのはどうじゃ、などと、だいぶ前に唆したわけだが。
彼の位置や背丈でないと見えない場所。そこに伏せるように潜み、彼がこちらを見た瞬間に尻尾をゆらゆら。彼は髪をかき上げるような動作で、軽く手を振ってくれる。
ミミは尻尾を左右に振って視線に答え、くるりと身を翻す。
これがミミの朝の日課で、せいぜいシャルロットの部屋でしかあえない二人の挨拶。彼が背を向けるのを合図に、ミミもまた屋根の上からひらりと渡り廊下へ移る。
そして、人目を忍ぶように、すばやく庭へと降り立った。これから彼女は、こっそりと城下に出かける。衣食住は城任せのミミだけど、あることに関しては自力でやると決めた。
見つかったらうるさいので、早朝の人気の無い時間を逃せない。
塀を軽々と飛び越えて、ミミは最寄の道に飛び込む。
そこから何食わぬ顔で別の道に進めば、彼女はどこにでもいる獣人族の少女ミミだ。獣人族とはミミのように、猫のような耳や尻尾を持った種族だ。この町でも良く見かける。
だからこそ、ミミは違和感無く彼らの一人として、町に溶け込むことができた。
少し前から町に出没する、どこに住んでいるのか分からない謎の少女。
けれど、この界隈の住民にとってはすっかり馴染みとなった姿。だからある酒を取り扱う店の前を通りかかると、中から冒険者上がりの屈強な店主が笑顔を覗かせながら声をかける。
その傍らには、すっかりおなかの大きくなった彼の奥方。
彼女の背中には、一年前に生まれた息子がおぶわれていた。
「おぅ、ミミ! 今日も早くから元気だなぁ」
「酒屋の旦那殿も、相変わらず元気そうで何よりじゃ」
「ミミちゃん、例のヤツ、完成しそう?」
「うむ、半分くらいできておるぞ。あれくらいワシにかかれば、らくしょーじゃ」
夫妻に挨拶をした後も、ミミは道行く人々と次々と会話をする。市民が良く利用する人気食堂の看板娘として、半年前から働いている彼女の存在は、すっかり人々に知られていた。
多少口調が変わっているが、それも愛嬌ということで受け入れられている。
特に、『通勤』に使うこの通りは、顔見知りとの遭遇率も高い。
少し進むたびに呼び止められ、挨拶をする。
長い城での生活で、そういう交流はほとんどない。ヒソヒソと噂されるか、露骨に避けられるぐらいで、基本的には存在しないものとして扱われたからだ。
それが今では、あの兄妹やその周辺と、主が存命だった頃のように話をする。誰かと一言も喋らないようなことは一日として存在しない。むしろ、喋り疲れてしまうことさえある。
長い間、失っていた世界。
今はこの世界を失いたくないと思う。
おはよう、おつかれ、といった些細な言葉で、なぜか胸の奥がぽかりと暖かい。
大好きなお日様に照らされているような、じわりとにじむ心地よさ。
だから今日も、ミミはマジメにお仕事する。
彼女が向かうのは小さな食堂だ。女性が切り盛りする、地域の住民の憩いの場。
かれこれ半年ほど前から、ミミはその店でウエイトレスをしている。最初はよく失敗していたのだが、今では数皿ぐらいなら同時に運んだりもできるようになった。
「女将殿ー、おはようございますじゃ」
「おはようミミ」
出迎えたのは店主のナタリー。店の清掃中だったらしく、手にはモップがある。ミミも店の隅に立てかけてあるモップを手にして、彼女とは違う場所をゴシコシと磨き始めた。
やはり清潔な方が、お客様はよろこぶものだ。
ミミが洗濯された綺麗なベッドで、眠るのを好むように。
しばらくするとナタリーは、料理の仕込みに向かい、ミミは客席の準備。そう時間が経たないうちに朝のお客様が、腹をすかせてどどっと押し寄せてくる。
それまでにすべての準備を終えないと、お客様に迷惑をかけてしまうのだ。
料理の準備を終えたナタリーが、キッチンから出てくる。
「さぁ、今日も張り切ろうかしらねぇ」
「ワシもがんばるのじゃ」
今日も、騒がしく忙しい一日が始まろうとしていた。
■ □ ■
獣人族の婚礼衣装は、基本的に頭につけるヴェール部分だけだ。服は普段着の、華やかな色彩のものを選ぶ――と書物にはあった。その分、ヴェールを彩る紐飾りに気合を込めるのだ。
白い紐をレース状に編んで、ヴェールの本体を縫い付ける部分を作る。
獣人族は基本的に頭部の上に獣の耳があり、土台はその耳に引っ掛ける輪と、それをつなげる部分で構成されていた。耳の大きさは個別に違うので、基本的には手作りになる。
次に、それの両端にある輪から、ぶら下がって揺れる飾りを作る。
色とりどりの細紐を使い、婚礼に似合いの言葉を持つ花を編み上げるのだ。それをひも状に編んだものに縫い付けて飾っていく。ところどころ、金や銀のビーズをアクセントにして。
最初はその花を選ぶところからはじめた。城の書庫に引きこもって、ひたすら植物図鑑などを眺め続けた。良い花を、良い言葉を。七色の花に二色の白花。そして黒の花。
次の作業はその花飾りを編むことになった。
花飾りは、七色の花を模して作る。七色は虹であり、虹は神の元に通じる架け橋だといわれていた。七色の花を通じて、その加護を花嫁と花婿、その子孫に伝える意味がある。
ゆえにとにかく、たくさん必要だからだ。
となると、材料もそれなりに必要になる。衣装係からもらうのでは、わざわざ作る意味がないように思えたので、ミミは城の外で働いてお金をためて、材料を買ってきた。
職場で、城の中にある自分の住まいで。
あるいはシャルロットの部屋で。とにかくリュシアンに見つからない場所で、せっせと紐と紐を編んで編んで編んで。半年経った今は、だいぶ完成が見えてきている。
ヴェールの土台の輪のあしらう、大輪のダービアの花。
花飾りを縫い付ける紐の縫い付け部分を隠すためのもので、基本的に花嫁の髪の色に似合う色を選ぶことが多い。ダービアは、とても見事な漆黒色。白いミミの髪にとても映える。
黒には赤だ、ということですぐ下にガディネの花もあしらっている。後はバランスを見ながらボチボチ作っていく予定だ。ともかく、資金という最大にして最難関は突破できた。
あとは、これを完成させるだけ。
「ミミの旦那さんは、幸せものだねぇ」
休憩時間、せっせと紐を編むミミを見て、ナタリーは微笑む。
そうじゃろう、と答えながら、その本心をミミは彼女に告げられない。これは婚礼衣装として作っているわけではなく、ただもっと自分を見て欲しい、という思いからの製作物だ。
――別に、本当に結婚できるとは思わない。
そもそもリュシアンといえど、異国の民である獣人族の婚礼衣装など知るわけがない。
仮に知っていたとして、まさかそれが自分のためのものとは思わないだろう。
ただ、他に綺麗な衣装を知らなかったし、もってもいない。そもそも、ドレスが似合う体系でもないから、そうなると獣人族の婚礼衣装ぐらいしか、自分に似合うものがなかった。
不純な動機で作られたものでも、身につけたら少しは可愛く見えるだろうか。
そう、ただ可愛く見せたいだけだった。
どうせ――自分は不老不死の猫。
千年を生きた化け猫。
誰もが褒め称える王子様なんかと、何をとっても釣り合いなどしないのだ。
長く生きた分、ミミは自分でも笑えるほど諦めが早くなった。何かに執着することを放棄したともいえるだろう。だって、どんなに欲しがっても、乞うても、いずれ失うのなら。
最初から、何もかも諦めていたら。
「ずっと、楽じゃもんなぁ」
ぽつりとつぶやき、ミミは手元に視線を落とす。
そこにはほとんど完成した、白い花――スウの花飾りがあった。これはヴェールの本体部分にみっしりと縫い付けるためのもの。ミミの、本音がちょっとだけこもった小さな花。
その花言葉は――あなただけを愛する。
千年の時を生きてなお、たった一人しか愛さなかったならば。
きっと自分は、彼しか愛せないのだろうと、ミミはぼんやりと思っていた。