表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/15

【三話】  恋する猫

 数年ぶりの再会に、ミミはしばし何も言えなかったことを、今でも覚えている。

 頭の中に残っているリュシアンは、どこか大人しくて華奢な子供だった。再会すると、自分など軽がると抱き上げられそうな、立派な成人男性へと変貌していた。

 もう本当に、誰だ、と思わず口に出てしまうほど。


 最初は、だからだろう、と思っていた。


 ふとした瞬間に彼を目で追いかけてしまうのは、あまりの変貌にまだ自分が戸惑っているからに違いないと。それ以外の理由も、他意も、在るはずがないのだと……思い込むように。

 おかしいな、と思ったのはいつだっただろうか。

 彼の傍に自分じゃない、女がいたのを見た時だったか。

 胸の底から何か不快な熱がこみ上げ、思わず叫んで彼の傍に行きたくなった。そうしなかったのは彼が、彼女をあからさまに拒絶しているのに、駆け出す前に気づいたからだ。

 あぁ、彼はあの令嬢が嫌いなのか。

 そう思ったら、こみ上げていた何かがすっと下がった。

 一人になったリュシアンの傍に、何気ない顔をして近寄ってみた。そのままいつものように頭を撫でてもらったら、こみ上げていたものの残滓は完全に消えてしまう。

 ミミは、決してバカではない。書物を読むのも嫌いではない。

 だからこの気持ちの揺れ動きの名前を、知っていた。


 ――恋をしてしまった。


 ミミに呪われたということになっている、声をなくした王子様。味方など一人として名乗り出ないであろう、自分には不相応な想いを抱いた。抱いてしまっていた。

 自覚すると、苦しさは増した。

 言いたい、言えない、言うわけにはいかない、言う資格がない。

 葛藤は更なる葛藤を呼びつけて、こみ上げる熱の苦味で笑顔すら失いそうで。

 だから、ミミは言った。


『ワシはお主を、呪ったかもしれん猫じゃ。近寄れば、今度は声ではなく、命さえ奪うかもしれんが……それでもよいのか、リュシアン王子。妹にすべての重責が向かうぞ?』


 脅すような、突き放すような言葉を。

 そうしなければ、ミミがダメになりそうだった。彼から離れなければいけないのは、わかっているのだ。自分が傍にいることで、彼が余計に縁談を逃していると知っている。

 なのに自分からはどうしても離れられなくて。

 だから、彼に離れていってほしかった。

 なのに――。

『……』

 その言葉に彼は、かすかに不思議そうな表情を浮かべた。

 それがどうかしたのか、とでも言いたそうな。

『だからの、ワシはワシのせいで、お主の婚期が遅れるのではないか、と……』

 ぼそぼそとつい本音を漏らしてから、ミミは慌てて訂正する。

『い、いやいやいや、違う。ワシはお主など心配しておらん! 嫌いじゃからな! 大っ嫌いじゃからな! しかしそんな相手でも、主の子孫に死なれるのは気分が悪いだけじゃ!』

 いいからワシから離れるのじゃ、とミミは叫んで、立ち去ろうとした。

 けれど、それより先にリュシアンの腕が伸びる。

 すっぽりと腕に抱かれ、ミミはじたばたともがくが、ただ疲れるだけだった。

 必死に何かを言おうとするミミだが、言葉が出てこない。何か、何か彼の逆鱗にでも触れるような言葉を。渦巻く思いを抹殺できるような、自分にとって劇毒物となる呪文を。


 しかし、そんな妙案が混乱する頭にポンと浮かぶはずも無く。

 ミミは彼の腕の中で、次第に動きを弱めていった。

 諦めたのではなく、単純に疲れたのだ。

 じっとしたミミに満足したのか、それとも安堵したのか。リュシアンはミミの首筋にその顔をうずめてきた。彼の息が肌にかかって、ピーンと耳や尻尾が硬直する。

 一瞬で、ミミの頭の中はさらなる混乱の海に、容赦なく叩き落されていた。

 まるで恋が叶ったかのように、その腕の中は暖かくて優しい。

 勘違いをしそうに、なる。

 彼が何をしたいのかわからなくなる。


『わ、わわ……ワシは、ワシ、は。リュシアン、ワシ、えっと』


 腕の中で身じろぐことさえもできずに、じわりと布越しに温もりを感じる時間。それは彼の側近となっている、エリクが呼びに来るまで続いた。正直、もう少しゆっくり呼べと思った。

 離れていく彼の服の端っこを、ミミは思わず掴んでしまう。

 彼女の行為に驚いたのか、リュシアンは少し眼を見開くようにしていたが。

 ふ、とめったに見せない笑みを向けたかと思うと、ミミの額に口付けてきたのだ。

 今思い出すだけで顔がほてって仕方がない。正直なところ、いっそ額でないところでも良かったと思ったりもするのだが、やっぱりそれはそれで困るので額で良かったと思いなおす。

 ともかく、ミミにとってアレは大きな転機となった。

 彼に嫌われてはいないのだとわかって、少しだけ欲が出てきてしまった。


 もっと、見てほしい。

 撫でてほしい。


 あと、言葉にならなくてもいいから、可愛いと思ってほしい。


 子ども扱いしないでほしい。

 綺麗だって、大人だって思ってほしい。


 それらを叶える方法を、ミミは偶然にも少し前に書庫で見つけている。気まぐれで手に取った書物に書かれていたものが、その欲を感じた瞬間に頭の中へと浮かび上がってきたのだ。

 まるで、これこそが願いを叶えるための手段だと、ミミに伝えるように。

 そしてミミは働き始めた。

 ミミが知る中で、もっとも美しい衣装。



 ――獣人族の婚礼衣装の、ヴェールを彩る紐飾りを作るために。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ