【二話】 呪いの王子
呪われていなくとも物静かだっただろう王子リュシアンは、十八歳という年齢よりずっと大人びていて。昔のような、すぐに落ち込んでしょんぼりしていた弱さもなくて。
正直、髪や瞳の色ぐらいしか、一瞬では共通点を見つけられなくて。
――誰じゃ、お前は。
と、思わず口にしたミミを、誰も文句は言えないと彼女は思う。
リュシアンは、海外に留学できる程度には頭がいい。大概の国の言語を習得し、学校も首席で卒業してきたという。世界的に見ても、リュシアンという王子は極めて優秀な時期国王だ。
そんな王子は。
「……」
「のぅ、リュシアン……そろそろ、仕事に戻ったらどうじゃ」
以前と同じように、ミミの傍にいたがった。
いつの間にかミミ用に用意されていた部屋にやってきては、お茶を自分で入れて向かい合わせで飲むという時間。ミミは断りきれずに、おとなしく彼の前に座っているが。
「ほら、お主は、王にならねばいけないからの」
と、何度も『早く帰れ』を伝えるが、彼は少しも聞いてくれない。まるで八年間、一緒にいられなかったのを取り戻そうとするかのように、ずっとミミの傍にいる。
周囲の視線も痛い今日この頃、何とかしなければならない。
これ以上、リュシアンの道を黒くするわけには、いかないのだから。
呪われた王子、というレッテルは常に彼について回る。王族にして次の国王となる高貴きわまる身分でありながらも、彼は未だ縁談らしい縁談が決まっていないそうだ。
主に、声を奪う呪いを理由に断られているという噂がある。
そんな王子はいくら優秀でも嫌だ、と。
唯一、彼との結婚に乗り気なのはリュシアンの幼馴染の令嬢だが、その令嬢を妹姫は女狐と呼んで毛嫌いしているし、王子も避け気味だ。
それらは、いつしか『化け猫姫の呪い』と呼ばれるようになった。
声が出ないのも、縁談が決まらないのも。
全部城の化け猫姫のせいなのだと。
しかし、留学から帰ってすでに半年ほど。
いい加減、化け猫姫を罵ってばかりではいられない。
早くしなければ、彼につりあう縁談相手の数はどんどん減っていく。現に、有力候補だった隣国の第二王女などは、姫の位を投げ捨てて意中の騎士と駆け落ち同然に結婚した。
それは、こちらの国から縁談の話を持ち込んだ、その数時間後の話だ。
まぁ、それは呪いとは関係ないのかもしれないのだが、そんな感じに候補の噂が上がるたびにそれに逃げられる、というのを何度もこの半年ずっと繰り返している。
彼には、ミミにかまっているヒマなどないのだ。
ないのに、彼はここに来る。
ミミをひざに乗せて抱きしめたり、撫でたり、完全に猫扱いだ。いや、元々は猫なのだから何の問題も無いと言えば、無いのかもしれないけれど。でも今は少女の姿だし。
「のぅ、リュシアン」
何度目かの問いかけを、ミミはしてしまう。
「お主、結婚する気はないのか?」
「……」
リュシアンは、不思議そうな目をした。なぜそんなことをわざわざ問う、とでも言いたいのだろうか。問わせるのはお主の言動のせいじゃ、と思いながら、ミミはため息をこぼした。
■ □ ■
あれから四年。
二十二歳になった彼は、やっぱり縁談が決まっていない。
もう、彼には結婚する気は無いのではないか、とミミは不安になっている。さすがに公務が忙しくなって、以前ほどミミのところには来ないけれど、変わりに妹をよく訪ねる。
ミミが、頻繁にシャルロットの部屋で、昼寝をしていると知っているからだ。
目が覚めた時に彼の腕の中にいる、というのは心臓に良くない。
リュシアンはさらに大きくなり、小柄なミミの抵抗は何の意味も成さなくなった。むしろ疲れるだけなので、最近はもうされるままに、撫でられたり抱きしめられている。
「もう、なるようになればよいのじゃ」
「……?」
「あぁ、何でもない、何でもないから――その、もっとやるがよい」
ゆらゆら、と尻尾を揺らして目を細める。後からリュシアンに抱きしめられ、頭を撫でられるのは悪くない。悪くないから、悪い。味わうほどに、もっともっとしてほしくなる。
それをシャルロットが、ニヤニヤとした笑みをもって見ているのも。
彼女の侍女が、目を細めて微笑んでいるのも。
背中を向けているゆえに見えないリュシアンの表情が、妹さえめったに見ないほどの喜びに満ちているのも。なるようになれ、と見ないことにしているミミは、気づかないままだ。
仮に気づいたところで、どうにかなるというわけでもないが。
「さて、リュシアン。仕事に戻りますよ」
と、そこに一人の青年がやってくる。彼――エリクは、リュシアンの側近であり、シャルロットの婚約者でもあった。彼もまた頻繁にこの部屋を訪ねるが、今日は『仕事』らしい。
エリクを見て一瞬で表情を明るくしたシャルロットは、一瞬でシュンとする。
それはリュシアンも同じで、名残惜しそうにぎゅうぎゅうされた。
苦しい、とうめくと何とか解放されたのだが。
「……う」
くるりと身体を回されたかと思うと、そのまま額にキスされる。
どこで教わったのか、留学から帰ってからの彼の親愛表現は過激になった。今のところ、親しい人がいるところでしかされないが、毎回さよならのたびにされるのは恥ずかしい。
しかし文句を言おうにも、恥ずかしさから真っ赤になって固まっている間に彼は部屋を出て行ってしまうのだ。いい加減慣れればいいのだが、とても慣れる気がしない。
見れば、シャルロットが羨ましそうに、ミミを見ていた。
何だかさらに恥ずかしくて、ミミは開いていた窓から飛び出す。シャルロットの部屋は二階にあるのだが、ミミはまさしく猫のように軽やかに地面に着地してみせた。
「あ、猫姉様どこに――」
「散歩じゃ」
窓から身を乗り出す王女に手と尻尾を振って、ミミはある場所へ向かう。
城の外階段を駆け上がって、渡り廊下の屋根を目指した。ここはあんまり人目につかないワリに眺めが良くて、この城の中で特に気に入っている場所だった。
そんな屋根の上からこっそりと覗き見るのは、すでに執務を行う部屋に入っているリュシアンの姿だ。その背中しか見えないものの、仕事をする彼の姿はなかなかにかっこいい。
時々、エリクと何かについて話し合っているのが見えた。
未来の王として、彼は着実に歩みを進めている。
自分の青い瞳の中に、そんな彼の姿を映すのがミミは好きだった。頭を撫でられるのも、抱きしめられるのも、彼にしてもらうことのすべてが、好きで好きでたまらなかった。
千年も生きれば――この衝動の名前がわかる。
ミミという名の化け猫姫は、呪われた王子様に恋をしたのだ。