【一話】 魔女の使い魔
ミミは猫だった。
白い毛並みの、青い瞳の猫だ。
ヒトの少女の姿に、白い猫の耳と尻尾。
拾われた時、魔女から賜ったのはそんな姿にする魔法と、ミミ、という名前。使い魔となった彼女の時間は無限となり、ミミは常に城の中に存在している最古参の住民となった。
ついた名前は『化け猫姫』。
ヒトのフリをしているだけの猫。それがミミだ。ヒトとしても猫としても不完全で、そもそも生き物の範疇に入れていいのかさえ、自分でもわからない。
時を止めたこの血肉は、魂は、きっともう正常ではないのだろう。
そんなミミの役目はというと……実は、特に無い。王族の未来を見守ってほしいとも、幸せになれとも言われなかった。ただ、元気でね、というのが、主が彼女に残した言葉。
だからミミは、のんびりと城での暮らしを続けている。
それも、もしかすると終わるかもしれないけれど。
今から数年前、この国には王子が生まれた。
待望の王子に誰もが喜んだけれど、彼は呪いを背負って生まれてしまった。かつて、魔女が放ったものは、千年経って血が相応に薄れても残っていた、というわけだ。
すでに魔女のことも、呪いのことも、語られなくなった時代。
原因は、化け猫姫ことミミのせいだと決め付けられた。
そんな力など、存在しない。
ミミのすべては魔女の恩恵だ。ヒトの姿もそうだし、今も城で暮らしていられるのも彼女が王妃として言い残した遺言のおかげ。ミミの力で成したことなど、何一つとして存在しない。
――決して城から、使い魔の猫を出さないように。
それは、外を知らないミミを守るための、最後の『魔法』だった。
何もかもが御伽噺の向こう側に消えてしまっても、時の王妃が残した言葉だけは、ミミという存在があるゆえに残り続ける。いくつかの、余計な尾ひれをくっつけて。
触らぬ神にたたりなし。
王子を呪ったとされてもなお彼女が追い出されないのは、彼女が城を出ると不幸なことが起きる、という尾ひれのせいだ。現に、追い出そうとした直後に生まれた王子が、呪われた。
そしてミミは放置された。
出て行かれないように食事を提供し、このまま飼い殺すことが決まったのだ。
しかし、ミミは別にどうでも良かった。
彼女は城という、この狭い世界しか知らない。
お腹一杯にご飯を食べられて、お風呂にも入れて、寝床も用意されている。
ここ以外に、どこにいけばいいのか。
出て行くなんてありえない、頼まれたってお断りだと。
件の王子が成長し、自分を追い掛け回すようになるまで、思っていた。
■ □ ■
おしゃべりな猫と、声を奪われた王子。
実に対照的な二人だったが、なぜか王子はミミの傍によくいた。
数年後に生まれた王女シャルロットを交えて、三人はそれなりに仲良しだった。
特に王子は、何を思ったのかやたらとミミを求めた。ちょっとした散歩はもちろん、幼い頃は夜に添い寝を求めたり、絵本を読むように頼んできたり。
留学先にまで連れて行きかねない、と周囲が不安になるほどに、執着していた。
そんな王子も、今ではすっかり大人の男……のはずだ。
なにせ八年も姿を見ていないので、あくまでもただの予想なのだが。
彼は十歳から海外の大きな学校に留学し、勉強や他国の王侯貴族との交流をしている。成績はかなり良いらしく、手紙が届くたびに国王夫妻は喜んで自慢して回っていた。
そんなリュシアンは、もうじき帰ってくるという。彼を狙う貴族令嬢にとどまらず、町娘や侍女までもが仕事を放棄して、城の中や周囲で今か今かと彼の帰国を待っていた。
しかしミミは、出迎えたりなどしなかった。
シャルロットには誘われたが、自分が出迎えてなんになると言うのか。確かに昔のリュシアンは自分に懐いてくれたけれども、あれから何年経ったと思っているのだろう。
「もうワシは、あれの中にはおらんに決まっておろうに……」
城の隅っこに座り込んで、ミミは日向ぼっこをしていた。
遠くからやけに騒がしい声がしたから、おそらくリュシアンが帰ってきた。しかしミミは我関せずと目を閉じる。そのままころんと寝転がって、ゆっくりと睡魔に身をゆだねた。
しばらくすると、かさり、と近くで枯葉を踏む音がする。
ミミは猫の耳をピクリと動かして、うっすらと瞳を開けた。
誰かの、足が見えた。
「……なんじゃ、せっかくワシが、いい気分で寝ておったというのに」
目元をこすりながら呟くのと、その足の持ち主が自分を抱きしめるのは同時だった。ふわりと品のいい香りがして、包み込むようなぬくもりに襲われる。
ミミを抱きしめたのは、見知らぬ青年だった。
黒髪を少し長く伸ばした彼は、ぎゅうぎゅうとミミを抱きしめる。寝起きでぼんやりしていた頭がはっきりしたが、余りの腕の強さにミミは逃れようとも思わなかった。
「あの……」
思わず声をかけると、やっと腕の力が緩む。
だが次は、真正面の至近距離から見詰め合うという苦行を強いられた。あまり人と関わらないミミにとって、これは苦行どころか悪夢にも等しい。正直、ものすごく恥ずかしかった。
彼はとても綺麗な目をしていた。
宝石のような済んだ緑の瞳。
……同じものを、よく城の中で見かけるような気がしたが、思い出せない。
自分を見つめ少し笑っている彼に、ミミは意を決して問いかける。
「――誰じゃ、お前は」
そういうと彼は、少し寂しそうに笑って、ミミの頭を撫でた。遠い昔、自分より小さい王子様がこの国を旅立つ日に、確か同じようなことをされたと、ふいに思い出して。
ミミは、その青年こそが、この国の誰もが待っていた王子リュシアンだと知った。