【十一話】 最後に一度あいたくて
ふにゃあ、とご機嫌なあくびを零し、ミミは日向ぼっこの真っ最中。
ノラネコライフは、思ったよりも楽しいものだった。
気ままに眠り、エサをもらい、のんびりと過ごす。
城での暮らしと違ってそれなりに危険も感じる毎日だけど、あれから半月ほど経った今はすっかり慣れたものだ。人間におびえたりしないから、そんなにいじめられたりもしない。
日当たりのいいところで、ゴロゴロするだけの毎日は心地よかった。
最初はこれという居場所は無かったけど、最近はナタリーの食堂に入り浸っている。
一人で店を切り盛りする彼女は、時々ミミを膝に抱いて、ミミの話をした。
「あの子は、もう幸せになったかしらね」
ごろごろと喉を鳴らすミミを見つめ、ナタリーはつぶやく。
「ここに可愛い看板娘がいたの。花嫁になるために、がんばってた可愛い子」
自分のことを語られるのは、少しだけくすぐったくなる。そんなに、褒められるようなことをした覚えは無かった。むしろ失敗ばかりで、申し訳なく思っているぐらいだった。
「あの子、スウの花を見て悲しそうにしてたのよね」
あなただけを愛する――そんな花言葉のある、純白の花。
ミミの、言えなかった本音がこもる花。
「もしかして叶わない恋を、なんて思ったけど……あたしの、勝手な邪推だったらいいなって思うわ。あの子はいい子だもの。幸せにならなきゃ、神様を恨んじゃいそう」
膝に抱いた猫を、ミミを撫でくりまわし、ナタリーは笑う。
ミミというと、まさかの言葉に内心かなり驚いていた。自分の恋の話など、彼女には一度もしたことが無かったからだ。婚礼衣装を作っているということ以外、彼女は知らないはず。
長年の接客業で、そういうのがわかるのだろうか。
女将殿はやっぱりすごいな、とミミは思い、その膝の上でみゃあと鳴く。そしてもっと撫でてと言うように、ごろんごろんと甘えた。今でもミミを思ってくれる、彼女が大好きだ。
以来、ミミはこの食堂の看板猫になっていた。
常連は頻繁にミミのことを話題にして、その幸せを祈ってくれる。そして、自分に言い聞かせていた。自分はこんなに思われていて『幸せ』だと。願いも叶って『幸せ』なんだと。
噂に混ざって聞こえてくる、リュシアンの結婚話も聞こえないフリ。
各種尾ひれなんて、存在自体を認めたくないほど。
だって、ミミにはもう何もできない。
声を戻したところで、化け猫姫の仕事は終わったのだ。前足をぺろりと舐めながら、ミミは何度も繰り返す。今更戻ったところで、猫はただにゃあにゃあと鳴くことしかできないのだ。
そう、ここで大人しくしていることこそが、ミミの新しい仕事。
ナタリーや常連に囲まれて、ただの猫として余生を過ごす。猫の時間は早いから、リュシアンの幸せを聞かないままに死ぬかもしれないけど、それはそれで悪くない。
そんな時だった。
呪いから解放された王子が、体調を崩しているという話を聞いたのは。
常連が酔っ払って話し出した内容に、ミミは全神経を傾ける。
そんなバカな、という言葉が頭の中で響いた。
だって、呪いを解いただけなのに。
それで幸せになるはずだった、なのにどうして。
どうしてリュシアンは、彼にばかりそんな目にあうのか。
にゃあにゃあ、と泣くように鳴いて、ミミは食堂の外に出る。自然と足は、城の方へと向かっていった。あの日、たどった道を逆に進む。頭の中で、行くな行くなと声がするけど。
――うるさい。
べしんと前足で顔を叩いて、ミミは城の中へと飛び込んだ。木の枝を進んで、きょろきょろと左右を見回す。リュシアンはこの時間、確かこの辺りを散歩することが多かった。
ここで待っていれば、彼はいずれ来るだろうか。
でも、体調が悪いなら、来ないかもしれない。
そうなると部屋までいくしかないが、近寄れるのか。
化け猫姫のままだったら、こんな悩みなど無かったというのに。ミミは初めて、猫になってしまったことを、戻ってしまったことを後悔する。何も出来ない無力さは、おいしくない。
どうしよう、と迷っていると、誰かが庭へとやってくる。
それは間違いなく、リュシアンだった。愛用している黒い外套に身を包んだ彼は、ミミがいる木の傍にきて、その枝に乗っている白猫を見上げる。
「……猫、か」
あぁ、これがリュシアンの声。ミミは思わず、にゃあ、と鳴いた。そして彼が手を伸ばしたのをいいことに、ひょいと飛びつく。リュシアンの腕の中は、相変わらず暖かい。
耳の後ろやあごの下を、丁寧に撫でられる。
城の中に猫などいなかったはずだが、その手つきは妙に慣れていた。
あまりの心地よさに、ミミは自然と眠りに落ちてしまう。だから彼女は、猫を腕に抱くリュシアンが意味深に笑ったことも、彼が自分をミミだと見抜いていることさえも、気づかない。
ミミを抱いたまま、リュシアンは部屋に戻っていった。
■ □ ■
腕に抱いた、眠る白猫をベッドに降ろした。
短く呪文を唱えれば、あっという間に彼女は見慣れた姿を取り戻す。
――が、何も着ていなかったので、慌てて布団をかぶせた。理性には自信があるが、さすがに一糸纏わぬ姿、というのは非常に目に毒である。一瞬だけでもかなりのダメージが残った。
すぅすぅと眠る彼女を見て、リュシアンはふっと笑みを零す。
やっと、彼女を――ミミを取り戻せた。
彼に声を残し、魔法が解けて姿を消した化け猫姫。ずっとほしかった存在。留学する前からずっと好きだったし、帰ってきてからその思いは強くなる一方だった。
誰よりも愛していると、何度声に出したかったことか。
態度で示しても、彼女は真っ赤になって戸惑うばかりだったから。けれど、その彼女のお陰で声を得た今は、好きなだけ思いを言葉にできる。早く、彼女を赤く染めたかった。
だけどそれはミミが、傍にいるのが前提。
噂という罠で捕まえた花嫁を、リュシアンは愛しむように見つめる。
「俺は、お前を失ってまで声を欲したことなんてない」
そっと頬にキスをして、彼はゆっくりとベッドから離れた。直後、タイミングよくやってきたのは彼の妹シャルロットの侍女。その手には、特別にしつらえたドレスがある。
それは彼がミミのために作った、紛れも無いウエディングドレスだった。
ドレスというより、膝丈のワンピースに近いかもしれない。
彼は『それ』が置かれた机の前に立つ。
彼女が必死に手作りして、妹の部屋に残していった――獣人族の婚礼衣装。
妹の侍女の手でヴェールがつけられたそれは、とても美しかった。
リュシアンはさっとメモをしたためると、ヴェールの下、必ず存在に気づかれる位置にそっとしのばせる。そこにエリクが、そろそろ出番ですよ、と声をかけに来た。
「後は任せる」
「かしこまりました」
侍女に任せ、リュシアンは広間に向かった。
今日は彼が婚約者を発表する日。誰もがアドリーヌだと思っているだろうが、彼にとってたった一人の花嫁は、未だ夢の中にいる。そのうち目を覚まし、広間に来る予定だ。
彼女は来るだろう。リュシアンが呼び出せば、きっと。
そして人々の前で宣言する。
自分の花嫁は、ミミ以外にはありえないのだと。