初めての洋菓子
蝶の模様が施された、赤い着物に袖を通すと、純白の帯を締める。帯の結び目を後ろへと回すと、金色の帯紐を括った。襟元を綺麗に整え、そっと化粧鏡の前へと座り、牡丹の形をした髪飾りを、髪の左側へと留める。鏡の前に置いて有る、真っ赤な口紅をそっと唇の上に塗ると、ジッと鏡で自分の姿を見つめた。
「よしっ!パーフェクトじゃ!」
見事に完成された、『鬼女紅葉』の姿に、紅葉は小さくガッツポーズをする。これで準備は完璧に整えた。後はミカゲが、紅茶を持って来るのを待つだけだ。
数日振りに会うと言う事も有るが、仲直りをする機会でも有る為、せっかくならば、正装をし、松里から貰った髪飾りを着けた姿を、見せてやりたいと思った。この姿を見れば、きっとミカゲも喜ぶだろう。この日の為に、部屋も綺麗に銀治に掃除をさせた。新しいお茶菓子も、冷蔵庫の中に眠っている。ミカゲから貰った、ショートケーキだ。賞味期限は今日まで。
紅葉はそっと立ち上がると、古代側の洞窟をジッと見つめた。そして今か今かと、ミカゲの姿が現れるのを待つ。
しばらく待ち続けていると、洞窟の奥から、コツコツと足音が聞こえて来た。その音を耳にした紅葉は、自然と嬉しそうな表情になる。胸の鼓動もトクトクと高鳴り、少し緊張した趣で、近づく足音を聞きながら、洞窟の先を見つめた。
ゆっくりと人影が見え始めると、紅葉は髪飾りを軽く直し、着物の裾も丁寧に整える。コホンッと軽く咳を吐くと、「あーあー。」と、小さく発声練習をした。
ミカゲは方手に小さな袋を持って、紅葉の部屋の前へと到着をすると、着物姿の紅葉に驚いてしまう。何より髪には、松里から送られて来た写真で見た、髪飾りを着け、潮らしく立っている紅葉の姿は、始めて見た時とは別のイメージで、儚げで美しい。
思わず頬が赤くなってしまうと、そっと視線を逸らし、誤魔化す様に紅茶の入った袋を差し出した。
「あっ、あの・・・これ。紅茶、パックのやつしか家になかったけど・・・。」
紅葉はそっと、差し出された袋を受け取ると、柔らかく微笑み、「構わぬ。」と、穏やかな口調で言った。
しかし、体がウズウズと疼き始めると、もう我慢の限界だと言わんばかりに、突然紅葉は潮らしい態度から急変し、勢いよくミカゲへと抱き付いた。
「ホヨッー!駄目じゃ我慢出来ぬ!久しいのうっ!久しいのうミカゲよ!主が来なんだせいで、退屈しとったわ!会いたかったぞよー!」
「ちょっ!」喜びを抑えきれず、紅葉はスリスリと、嬉しそうにミカゲの頬に頬擦りをし始めてしまう。慌ててミカゲは、自分の体から紅葉を引き離そうとするも、紅葉はしつこく抱き付いて来る。
「止めろよ!摩擦が痛いんだよ馬鹿!」
何とか体から離そうともがいていると、目の前に紅葉の顔が迫り、ミカゲは思わず頭突きをした。「うがっ!」その頭突きは予想外に強烈にヒットし、紅葉は両手で額を抑えると、後退をしながら、ゆっくりとその場にしゃがみ込んでしまう。
「あぁ・・・ごめん。」ミカゲも軽く痛む、自分の額を手で摩ると、紅葉は額を抑えたまま、恨めしそうな目で見つめて来た。
「おのっ・・・己・・・。にっ・・・二度も、ダイレクトアタックをする・・・とわ・・・。」
涙目になりながら言うと、ミカゲは苦笑いをし、「だからごめんって。」と、頭を掻きながら謝った。
「てか、いきなり抱き付いて頬擦りして来る方が悪いんだろーが。そして何故遊戯王ネタだ。」
白けた顔をさせてミカゲが言うと、「いや、最近動画見て。」と、紅葉は答える。互いに無言で顔を見合わせると、二人して、ブッと噴き出してしまい、可笑しそうにケラケラと笑い出した。
「何だよこのいつもの流れ。緊張してたのが、馬鹿みたいだ。」
可笑しそうにミカゲが言うと、紅葉も笑いながら言った。
「わしもじゃ。緊張しておったが、要らぬ心配じゃったな。」
一気に二人は緊張が解けると、ホッと安堵してしまう。
重苦しい空気が漂うかと心配していたが、以前と変わらぬ穏やかな雰囲気に、安心感から心は軽くなる。言葉を持たずとも、自然に二人は仲直りをすると、早速お茶の準備に取り掛かった。
ミカゲは冷蔵庫の中から、ケーキの入った箱を取り出すと、箱の中からケーキが倒れない様に、そっと優しくお皿の上に置いた。紅葉はミカゲの持って来た、紅茶のパックを湯呑の中に入れると、お湯を注ぐ。
「すまぬな。マグカップは無くてのう。」
紅茶はパックが入った湯呑を、二つテーブルの上に置くと、ミカゲは湯呑を一つ、自分の方へと寄せる。
「別に何でもいいよ。それより、摘み食いしたな。上の生クリーム抉れてるぞ。」
「そっ!少々毒味をしただけじゃ。」
紅葉は少し頬を赤らめながら、ソファーの上に腰を落とすと、ミカゲの隣に座った。
ミカゲはクスリと小さく笑うと、ケーキの乗ったお皿を、紅葉の前へと差し出す。「どうぞ召し上がれ。」と言うと、紅葉は目の前のケーキを、真剣な眼差しで見つめた。
「よっ・・・ようし!いざ勝負じゃっ!」
何と戦っているのかは、よく分からないが、紅葉は手にしたスプーンを、ギュッと力強く握り締めると、恐る恐るケーキを掬い上げる。
「ホークは無いが、スプーンは有るのか・・・。」ミカゲは全く関係無い所に興味を示していると、隣に座る紅葉が、ケーキの欠片が乗ったスプーンを、目をギュッと強く瞑りながら、口の中へと放り込んだ。
紅葉は目を瞑ったまま、モグモグと口を動かし、ケーキを食べると、ゴクリと飲み込む。すると力んでいた顔は、一気に緩くなり、頬をピンク色に染めると、幸せそうな表情を浮かべる。
「ホヨ・・・。」
しばしその場で酔い痴れていると、隣に座るミカゲに、興奮しながら言った。
「何じゃ?このふわっとして、とろっとして、甘ああぁ~い感じわ!ホッペがトロケそうじゃ!」
始めて体験するケーキの味に、紅葉の興奮は止まらない。
「体が浮遊するようじゃ!ほわほわして、ふわふわして、口の中にエンジェルが居る!」
目をキラキラと輝かせながら言って来る紅葉に、ミカゲは苦笑いをすると、軽く引いてしまう。
「エンジェルって例えは、始めて聞いたな・・・。まぁ、美味しいだろ?」
「美味いっ!」
紅葉は元気よく答えると、その後も何度も、「美味いぞ!これはイケる!」と言いながら、一気にケーキを食べ尽くしてしまった。
「ふぅ・・・。」紅葉は満足そうに、湯呑に入った紅茶を啜ると、まだ残るケーキの甘さの余韻に浸る。散々あれだけ、チャラ付いたやつと洋菓子批判をしていたにも関わらず、すっかり気に入ったご様子だ。
ミカゲは満足げに紅茶を啜る紅葉を、呆れた表情で見つめると、「またお取り寄せの種類が増えそうだ。」と、ボソリと一人呟いた。
「しかしやはり、湯呑では味気無いのう。紅茶はティーカップでないと。ティーカップセットでも、注文するかのう。」
ズズズッと、紅茶を啜りながら言う紅葉の言葉に、ミカゲはやはりお取り寄せが増える、と確信をする。
「和菓子派じゃなかったの?」
ミカゲも湯呑に入った紅茶を飲みながら尋ねると、紅葉は嬉しそうな顔をして、答えて来た。
「何を言うておる。様々な味にチャレンジした方がよかろう。チャレンジ精神は大事じゃぞ。」
「簡単に掌返したな。生クリームに魂を売り渡したか。」
何故か気に喰わないと思ってしまい、ミカゲは不貞腐れた顔で、幸せそうな顔をしている紅葉を見つめる。すると紅葉の着ている、赤い着物に目が行くと、ふと昨日の夢の事を思い出した。
あれから花火からは、連絡は来ていないし、電話を掛けても出なかった為、確認が出来ていないが、眠り姫が紅葉の体なのかもしれない。その事を紅葉に伝えようかとも思ったが、又喧嘩になってしまうのは避けたかった為、夢に出て来た赤い蝶の事を、聞いてみようと思った。
「あのさ、紅葉。実は昨日、変な夢見たんだけど・・・。」
「変な夢?夢はいつだって変な物じゃ。」
呑気に紅茶を啜る紅葉に、ミカゲは少しムッとした表情をすると、ギュッと紅葉の頬を抓った。「ひはひっ!ひはひっ!」痛そうにもがく紅葉に、「真面目な話!」と、ミカゲは言うと、紅葉は何度も大きく頷く。パッと紅葉の頬から手を放すと、紅葉は痛そうに、頬を摩りながら聞いた。
「それで?真面目な変な夢の話とは、何じゃ?」
「いや・・・何か最初に見てた夢が、途中で全然違う夢に切り替わったんだけど。その時に、赤い蝶が横切った気がしたんだ。早かったし一瞬だったけど・・・。あの蝶って、もしかしたら鬼蝶だったのかな?って思ってさ。」
「赤い蝶?」一瞬紅葉の眉がピクリと動くと、そっと湯呑をテーブルの上に置いた。ゆっくりとミカゲの方へと顔を向けると、少し不機嫌そうな表情を浮かべる。
「その赤き蝶、間違いなく鬼蝶じゃな。」
「やっぱり鬼蝶だったの?」
ミカゲは驚いた顔をさせると、やはり眠り姫は、紅葉の体なのではと、更に確信してしまう。
しかし、こちらを見る紅葉の表情は、浮かない様子だ。何やら不満そうな顔の紅葉に、ミカゲは不思議そうに首を傾げ、尋ねた。
「何?何でそんな不機嫌そうな訳?」
紅葉はソッポを向くと、不貞腐れた顔で言って来る。
「別にぃ~。ちょっと気に入らない奴の事、思い出したって言うかぁ~。」
「何その中途半端な今時の喋り方。似合って無いよ。」
白けた顔をさせてミカゲが言うと、紅葉はゴホンッと、ワザとらしい咳をして、苛立つ様に言った。
「それで?誰の夢に飛ばされたのじゃ?ピンポイントでミカゲの夢に入り込むとは・・・。何を企んでおるのやら。」
「ピンポイント?」ミカゲは紅葉の言葉に、不思議そうに首を傾げると、「何でも無い。」と、紅葉は適当にあしらった。
ミカゲは不可解そうな顔をしながらも、誰の夢かは分からないが、一人知っている人物が出て来た事を話す。すると紅葉は、軽く舌打ちをすると、気に喰わない様子で独り言の様に言う。
「あ奴め、やはり体を手に入れおったか。いつまでも未練たらしい女じゃ。」
「何?何の話?」
不思議そうにミカゲが聞くと、「何でもないわいっ!」と、紅葉は怒鳴った。突然紅葉に怒鳴られたミカゲは、当然怒り、紅葉の頬を引っ張る。
「おいコラ!何八つ当たりしてんだよ、馬鹿。」
「ふまぬ。すまぬっ!」慌てて紅葉は謝ると、ミカゲは「よしっ!」と、紅葉の頬から手を離す。
紅葉は頬をさすると、頭を軽く下げ反省するが、何かが違う様な気がし、又も慌てて叫んだ。
「ってだから違うじゃろうに!わしは主の話を、聞いてやっておるのじゃぞ!」
「だからって、八つ当たりすんなよ。何?赤い蝶の事、何か知ってるの?」
改めて赤い蝶について聞いて見ると、紅葉はまだ少し、不満そうな顔をさせながら話した。
「赤き鬼蝶は、鈴鹿御前が有する鬼蝶じゃ。」
「鈴鹿御前?ってぇー・・・確か人間と結婚して、一緒に鬼狩りをしたって言う?」
紅葉は大きく頷くと、不貞腐れた顔をして、淡々と説明し始める。
「言うたと思うが、鬼蝶はそれぞれ能力も異なる。わしの黒き鬼蝶は、その者の意思に依り、記憶を支配する。対する赤き鬼蝶は、その者の意思に依り、存在を支配する。つまりは人探しには、打って付けの鬼蝶と言う事じゃ。赤き鬼蝶を使い、身を隠していた鬼を見付け出し、バッサバッサと倒しておった。言うならば鬼の敵の鬼。」
「あぁ、だからそんなに機嫌悪いのか。」
ミカゲは納得をすると、何度も大きく頷く。
「何故鈴鹿が、主の夢の中へと入り込んだかは知らぬが、目的が有ったと言う事に違いはない。」
「目的・・・。」
ミカゲはジッと、その場で考え込み始めた。紅葉は真剣な顔をして、何かを考えているミカゲを、不思議そうな顔をして見つめるも、付け加える様に言った。
「気を付けろ、ミカゲよ。鈴鹿は主の存在を、とうに支配しておる。例え主が、中央アフリカに住むピグミー族に紛れ込んでいようが、すぐに見付け出されてしまうぞよ。」
「何だよそのマイナーな民族の例えは。」
せっかく真剣に考えていたと言うのに、紅葉の下らない例え話のせいで、一気に拍子抜けしてしまう。だがとうに支配をされていると言う言葉には、流石に少し不安を覚える。
「ねぇ、その存在を支配されると、何か不味い事でも有るの?居場所がすぐバレる以外に。」
不安そうにミカゲが聞くと、紅葉は口元をニヤリとさせ、不敵な笑みを浮かべた。そしてからかう様に、顔をニヤニヤとさせながらミカゲに言う。
「そうじゃなぁ~・・・。二十四時間監視カメラで、様子を見られている様な物かのう。見たいと思うた時に、主が今何処で何をしているのかを、見る事が出来る。トイレの時も、見られていたかもしれぬのう。ホッホッホッ!」
高らかに笑い声を上げる紅葉に、ミカゲは冷めた表情で、透かさず突っ込んだ。
「紅葉さん紅葉さん。って事は、今この瞬間も、見られてるかもしれないって事じゃないですか?笑ってるけど、会話バレバレって事じゃねー?」
「ホヨッ!」ミカゲに指摘され、始めて重大な事実に気が付くと、紅葉は余りの驚きから、口をパクパクと金魚の様に開いた。
「ななななななっ!何とっ!」紅葉は薄らと額に汗を掻くと、「気付くのおせぇーよ。」と、冷たい視線でミカゲに見られてしまう。
「しっしかし、案ずるな!一人の者の存在を深く支配する時は、他の者が疎かになってしまう。それ故、二十四時間盗撮が出来る相手はお一人様限定じゃ。ここはわしの結界も張って有るしのう。主は深く支配されておる訳では無い!多分っ!」
「あっそう。」
ミカゲは冷たく言い放つと、ズズズッと紅茶を啜った。
鈴鹿御前が、何の目的の為に自分の存在を支配し、あの夢を見せたのかは分からないが、少なくとも敵では無いと、ミカゲは思った。なんせ紅葉の体の在りかを、教えてくれたのだから。そう思うと、例え覗き見をされていようが、余り気にならない。
やたらと落ち着いているミカゲに、紅葉は不思議に思うと、声を小声にして、そっと尋ねた。
「随分と余裕じゃな。何故じゃ?」
「は?」突然小声で話し始める紅葉に、先程自分で言っていた、案ずるなと言う言葉は何だったのかと思い、呆れてしまう。ミカゲは軽く溜息を吐くと、話そうかどうかと迷ってはいたが、一応話して見る事にした。
「いや、きっと鈴鹿御前は、俺の事助けてくれたんだと思って。」
「あ奴が?」
不可解そうな顔をする紅葉に、ミカゲは一度軽く深呼吸をすると、今回は感情的にならない様、落ち着いて話す。
「俺、紅葉の体見付けたかもしれないんだ。夢の中で見たんだよ。項に、黒い蝶の痣が有る女の子。今の紅葉と、歳も同じ位で、顔もそっくりだった。でもまだ、現実の方では確認して無いんだけどね・・・。」
「体か・・・。」
ミカゲの話を聞き、紅葉は顔を俯けてしまう。
余り体の話はしたくは無かったが、ミカゲの顔は真剣で、逃げられそうに無い。一層の事、包み隠さず話してしまった方が、ミカゲも納得をし、楽なのかもしれないと思った。
「のう、ミカゲよ。わしは体等、最初から求めてはおらぬのじゃ。」
「求めて無いって、どうして?」
驚いた表情を見せるミカゲに、紅葉は俯けた顔を上げ、そっとミカゲの方を向いた。
「主の言う通り、わしは身勝手じゃ。鬼は死しても体を換え、長く生きる事も出来るが、わしはそれを望んではおらぬ。我が子にもう一度一目会い、成仏をして楽になりたいのじゃよ。いかんせん、毒気を抜かれてしもうたからのう・・・。鬼として生きるのに疲れたのじゃ。」
悲しげに微笑む紅葉を見て、ミカゲはそっと顔を俯けた。だがもう一度顔を上げた時、真剣な眼差しをし、強い口調で言った。
「だったら、人間になればいいよ!銀治さんが言ってた。人間として生活を送ってる、鬼も居るって!紅葉も人間になって、経若丸を探し出して、人間として、一緒に生きればいいじゃん!」
「人間か・・・。」
紅葉は小さく笑うと、目を細め、懐かしむ様に遠い目をした。
「銀治も同じ様な事を、言うておったのう。鬼が再び入る体が人なのは、今一度人として生きるチャンスを、与えられているのじゃと。それはわしも、嘗て人じゃったから・・・。」
「銀治さんが・・・。」
紅葉はミカゲの顔を見て、ニッコリと笑うと、そっと優しくミカゲの頭を撫でた。ミカゲは恥ずかしそうに、紅葉から視線を逸らしてしまう。そのまま紅葉は、ミカゲの頭を自分の体の寄せ、そっと胸の中で抱きしめると、囁く様に、ミカゲの耳元で言った。
「条件付きじゃ。それならば、主の話しに乗ってやってもよい。」
「条件って?」
ミカゲは顔を赤くさせながらも聞くと、紅葉は一瞬間を置いてから、静かに言う。
「わしは自らの記憶を、全て消し去る。無論、経若丸に会った後じゃがな。」
「そんなっ!」
ミカゲは慌てて、紅葉の肩を掴んで体を起こすと、悲しそうな顔をさせた。
「何で?何で消しちゃう訳?経若丸と、もう一度一緒に生きれるんだよ?」
紅葉はミカゲの頬に、そっと手を当てると、真剣な口調で言って来た。
「人になると言う事は、鬼の力を捨てると言う事でもある。ならば記憶も、持っていてはならぬ。経若丸ならば、鈴鹿の鬼蝶を使えばすぐに見付かるじゃろう。変わりに、わしはあ奴の願いを叶える事になるじゃろうがな。」
「鈴鹿のって・・・あの赤い鬼蝶。じゃあ、俺は?俺との約束はどうすんだよ?ディズニーに連れてってやるって約束は?」
紅葉はニッコリと微笑むと、今度は明るい口調で言う。
「無論、守って貰うぞよ。経若丸と会い、ディズニーに行ってから、記憶は消し去る。」
「そんなのズルイよ。」
ミカゲはガックシと首をうな垂れると、一気に体の力が抜け、掴んだ紅葉の肩から手を落とす。
「だが、主等の記憶は残るのじゃぞ。ミカゲの望みは、これで叶う。」
「違うよ・・・。俺の望みはそんなんじゃ・・・。」
言い掛けている途中、ハッと自分で自分の気持ちの疑問に気が付いた。
自分の望みは、何なのだろう。どちらの記憶も残り、紅葉が体を手に入れ、経若丸と共に過ごせる事だと思っていたが、本当の自分の望みは、そんな事では無い様な気がした。ならば何なのかと、今一度考えて見るが、ハッキリと分からず、もどかしい気持ちになる。
「どうしたのじゃ?」不思議そうに、首を傾げながら尋ねて来る紅葉に、「いや、別に。」と、ミカゲは顔を背けた。
「不服か?」
紅葉が尋ねると、ミカゲは小さく頷く。「思いっ切り不服だ。」そう言うと、又真剣な表情をさせ、紅葉の顔を見つめた。
「俺さ、藍川さんの気持ち分かったんだ。」
「藍川・・・おぉ!いつぞやの。」
ミカゲは大きく頷くと、少し寂しそうな表情を浮かべながら、話す。
「忘れる事はさ、確かに楽だよ。忘れられないよりも。忘れられなくなる方が、ずっと悲しいから。でも一番悲しいのは、忘れてしまう事でも無くて、忘れられない事でも無くて、忘れられてしまう事なんじゃないかな。だから藍川さんは、俺に記憶を残したんだ。忘れられてしまうって事は、それだけ悲しい事だから。」
ミカゲはそっと俯くと、紅葉の手を握った。
「俺達が紅葉の事忘れちゃったら、紅葉が悲しい想いをする。紅葉が俺達を忘れちゃったら、俺達が・・・悲しい想いをする。だから、どっちも覚えていないと、駄目なんだ。」
紅葉は微かに微笑むと、そっとミカゲの手を、握り返した。
「難しいのう・・・。」
しばらくは、お互い無言で、只そっと手を握り合った。紅葉の手は、とても冷たい。ミカゲの手は、とても温かい。冷たい手と温かい手が合わさると、丁度良い体温になり、とても気持ちが良かった。
ミカゲはそっと紅葉から手を離すと、顔を上げ、紅葉が着けている髪飾りに手を添えた。
「明日さ、東志と五十嵐さん呼んで、また皆でモンハンやろう。五十嵐さんには、髪飾り着けた姿、ちゃんと見せてあげないといけないしね。」
「そうじゃな。」
紅葉が小さく頷くと、ミカゲはソファーから立ち上がった。
「今日は帰るよ。本当に紅葉の体か、確認しなきゃいけないし。」
「送ろう!」
慌てて紅葉も立ち上がると、「別にいいよ。」と、ミカゲは小さく笑う。
ミカゲはもう一度、しっかりと紅葉の顔を見つめると、真剣な口調で言った。
「明日皆と過ごして、その時少しでも紅葉が、忘れたくないって思ったら・・・・。そしたら、その時は記憶消すの、止めてくれる?」
紅葉は俯くと、しばらくその場で考え込んだ。ゆっくりと顔を上げ、ミカゲの顔を見つめると、一瞬戸惑うも、ニコリと微笑みを見せる。
「よかろう。」
紅葉の返事に、ミカゲは嬉しそうに笑うと、紅葉に小指を差し出した。
「指切り。」
紅葉も小指を差し出すと、一瞬躊躇するも、小指を互いに繋ぎ、指切りをする。そっと互いの小指を離すと、ミカゲはニッコリと笑い、そのまま部屋から下りて行く。
帰って行こうとするミカゲの後ろ姿を見て、紅葉は慌てて、声を掛けた。「のうっ!」ミカゲは後ろを振り返ると、紅葉は柔らかい笑顔を浮かべながら言った。
「明日、わしから皆にプレゼントをする。お礼じゃな。楽しみにしておれ。」
ミカゲは笑顔で頷くと、紅葉に手を振り、その場を後にした。紅葉も小さくミカゲに手を振ると、その後悲しそうな笑顔を浮かべながら、遠ざかるミカゲの後ろ姿を見送った。