末裔の言葉
マンション前へと出たミカゲは、肩を落としながらエレベーターへと向かって行く。大きな溜息を吐きながら歩くと、力無くエレベーターのボタンを押した。
「何やってんだ俺・・・。喧嘩するつもりじゃなかったのに・・・。」
後から自分の発言に後悔をすると、謝りに行った方がいいかとも思った。しかし今更戻った所で、何を言えばいいのか、何を謝るべきなのかも分からない。そもそも自分は、間違った事等言ってはいないと思うと、尚の事、謝る意味が分からない。
「だからって、このままって訳にはいかないよな。明日にでも、感情的になり過ぎた事、謝りに行こうかな・・・。」
一人ブツブツと呟きながら考えていると、エレベーターが到着をし、足元をふら付かせながら乗り込んだ。又力無く六階のボタンを押すと、盛大に大きな溜息を吐く。
「自分勝手か・・・。俺も人の事言えないか・・・。」
六階へと到着をすると、ミカゲは覚束無い足取りでエレベーターから降り、顔を俯けながら通路を進む。何とも言えない後味の悪さに、今日はもう早く寝て、忘れてしまいたい気分だ。
ポケットの中から家のドアの鍵を取り出し、浮かない表情で顔を上げると、又しても見覚えの有る光景に、浮かない顔はうんざりと呆れ返った顔になってしまう。
ミカゲはガックシと首をうな垂れると、自分の家のドアの前で佇んでいる花火に、暗く沈んだ声で言った。
「だから花火・・・。何でドアの前で待ってんだよ・・・。」
花火はゆっくりと、ミカゲの方へと顔を向けると、「ミカゲ、お帰り。」と、相変わらずの冷めた表情で言う。
「おじさんとおばさん、まだ帰ってき来てない。」
「だろうね、お前がここに居るって事は。って・・・そう言えば、二人共今日は帰り遅いって言ってたな。」
「それより、DVD。」
「あぁ、今日東志が持って来たよ。」
ミカゲはドアの鍵を開けると、花火と一緒に中へと入って行く。そのままドアの鍵を閉めると、玄関先で靴を脱ぎながら、今日松里が尋ねて来た事を花火に伝えた。
「知ってる、メール来てた。」
玄関を上がると、二人してミカゲの部屋にそのまま向かった。
室内は窓を閉めたまま出掛けていたせいで、ドアを開けた瞬間、蒸した熱気が飛び出して来た。二人して暑そうに顔を歪ませると、ミカゲは急いで窓を開け、冷房の電源を強風にして入れる。冷房が効いて来ると、窓を閉め、快適な空間が出来上がり、二人はホッと息を漏らした。
ミカゲは東志から受け取ったDVDを、早速花火へと渡すと、花火は嬉しそうにDVDを受け取った。
「何か次、五十嵐さんが貸してとか言ってたから、見終わったら五十嵐さんに渡してね。」
「分かった。」花火は頷くと、ベッドの上に座り、嬉しそうにDVDの蓋を開け、中身を見始める。ミカゲもポケットから携帯を取り出し、ベッドの上に適当に投げると、ベッドの上に座り、隣で嬉しそうにDVDを見つめている花火に、不思議そうに尋ねた。
「お前、いつから待ってた訳?もうすぐ九時だぞ。」
「八時ちょっと過ぎ位。」
「随分遅くまで出掛けてたんだな。どこ行ってたんだ?」
花火はDVDの蓋を閉じると、そっとミカゲの方へと顔を向けた。
「お見舞い。」
「あぁ。」花火の言葉に、ミカゲは思い出したかの様な顔をすると、納得をする様に頷く。
「眠り姫のお見舞いに行ってたのか。いつも面接時間の終わりまで、居るもんな。」
花火は小さく頷くと、「眠り姫、今日も起きなかった。」と残念そうな顔をする。花火は花火で、今日は忙しかった様だ。
「しかしよく続くよな。病院まで、電車で一時間以上も掛かるんだろ?交通費だって、馬鹿にならないだろ。」
感心をした様子で言うと、花火は小さく首を横に振った。
「平気。慣れてるから。」
「慣れてるねぇ・・・。」
花火はミカゲから顔を背けると、ベッドの上で足をブラブラと揺らし始め、微かに笑顔を浮かべる。
「それに、眠り姫が目を覚ます所が見れればいい。眠り姫が目を覚ませば、花火に良い事が起きるから。」
「良い事ねぇ・・・。何かお見舞いし始めてから、ずっと言ってるけど、その良い事って何?」
ミカゲは首を傾げながら尋ねるも、花火はクスリと小さく笑い、「秘密。」と、一言だけ言う。何故かこの質問だけは、いつ聞いても、『秘密』と言う答えしか返って来ない。
花火はベッドの上から立ち上がると、クルリと体を回し、ミカゲの方へと向けた。
「それじゃあ、帰る。DVD貰ったし。」
「あぁ・・・もう目的果たしたからな。」
ミカゲは花火を玄関先まで見送ると、ドアを閉め、鍵を掛ける。その足で自室では無く、台所へと向かうと、冷蔵庫を開けた。中には予め用意をされていた、ミカゲの夕食の冷やし中華が入っている。ミカゲは冷やし中華を取り出すと、テーブルへと座り、冷やし中華を食べ始めた。
「良い事ねぇ・・・。」
冷やし中華を食べながら、花火の言っていた言葉の意味を考える。
花火は二年程前、祖父のお見舞いに行った病院先で、昏睡状態の少女と知り合った。少女と歳が近かった為か、花火は少女の事を『眠り姫』と呼び、それ以来お見舞いに通っている。それはやはり、少女が目を覚ました時に、友達にでもなりたいからだろうか。良い事とは、目を覚ませば、友達になれるからだと言う事だろうか。
「花火の心を射止めるなんて、どんな子なんだろう・・・。五十嵐さんみたいに、変わった生き物じゃないと、花火の心は中々靡かないぞ?」
ブツブツと独り言を言いながら食べていると、『変わった生き物』と言う自分の発言に、ふと紅葉の事を思い出す。
松里が花火に、紅葉の存在を喋ってはなさそうだったので、そこの所は安心したが、喧嘩別れをした事を思い出すと、自然と沈んでしまう。
「って・・・。あんな腑抜けた鬼の為に、何で俺がこんな落ち込まなきゃならんのだ。それにあれは鬼婆だ!勝手に子供と再会して、勝手に成仏しちゃえばいいんだ!」
不貞腐れた顔をすると、一気に冷やし中華を食べ尽くし、食器を洗い場へと乱暴に置いた。
部屋へと戻ると、ベッドの上に投げた携帯に、メールが届いている事に気が付く。携帯を開きメールを見て見ると、差出人は紅葉からだ。ミカゲは慌ててメールを開き、文面を見た。
「さっきはごめん・・・。これだけかよ。何がごめんなんだよ・・・。」
ミカゲは軽く溜息を吐くと、仕方なさそうな顔をし、「俺もごめん。」と、一言だけメールを打ち、送信した。
再びデパートへと出向き、紅葉への手土産を購入したミカゲは、森の入口前へと立ち尽くしていた。やはりちゃんと会って、感情任せに怒鳴り付けてしまった事は謝らねばと思い、森の入口までやって来たはいいが、中々一歩が踏み出せずにいる。
一応メールでお互いに謝ったのだが、それでもやはり会うのが気不味く思え、あのメールから二日も経ってしまった。だがこれ以上日を伸ばせば、更に会い辛くなるだけだと思い、思い切って森の前へと来てみたはいいが、いざとなるとやはり気が引けてしまう。
森の入口と睨めっこをしていると、「ち~スッス!」と言う、松里の元気な声が聞こえて来た。
「五十嵐さん?」ミカゲはふと声のした方を見ると、松里は大きく手を振りながら、こちらに向かって来ている。
松里はミカゲの元まで行くと、デパートの目の前に聳え立つ森を見て、嬉しそうな顔をさせた。
「お~!これはナイスなタイミングっ!九条君ん家まで行く手間が省けたよぉ~!」
森を見る松里の姿を見て、ミカゲは少し、驚いた表情をさせて聞いた。
「五十嵐さん、見えるの?」
「うん、普通に見えるけどぉ~?」
松里が笑顔で頷くと、紅葉からの許可書を貰ったからかと、ミカゲは自然と悟る。
「で、俺ん家に行く手間が省けたって?花火なら、今日もお見舞いで留守だよ。」
「あぁ、違う違う。」
松里は手に持っていた小さな袋を、ミカゲの目の前に差し出した。
「こないだ花火と買い物来た時、可愛い和っ!な髪飾り見付けた事思い出してさぁ~。紅葉ちゃんに似合うだろうなぁ~って思って、買って来たんだ。んで、九条君に頼んで、森まで連れてって貰おうと思ってぇ~。」
嬉しそうに話す松里の姿を見て、ミカゲの心は一瞬痛んだ。
もし紅葉が成仏してしまえば、松里のこの気持ちや記憶までもが、消えてしまうのかと思うと、やり切れない気持ちになる。
一瞬暗く顔が沈むも、ミカゲはニコリと笑顔を見せ、明るい声で言った。
「きっと喜ぶよ。食べ物以外のお土産って、始めてだからどんな反応するか楽しみだね。丁度俺も行くとこだから、一緒に行こっか。」
「おうよっ!一緒に突撃だぜぃ!」
松里は元気よく返事をすると、早速森の中へと入って行った。ミカゲも松里の後ろに隠れる様に、森へと入って行く。
正直一人では不安だったが、松里が来てくれたお陰で、心成しか心強い。二人きりよりは、もう一人誰か居た方が、気不味くはならないだろうと思った。そう思うと、松里は良い助け舟だ。
洞窟へと向かっている途中、松里はミカゲが手に持っていた袋に気が付き、不思議そうに尋ねて来た。
「むむむ?その袋はもしやっ!グラマシー・ニューヨークの?って~洋菓子じゃない?紅葉ちゃん和菓子派って、言ってなかったっけぇ~?」
「あぁ・・・そうなんだけど。ちょっとこないだ喧嘩しちゃってさ。俺らしく嫌味交えた、仲直りの品でも持って行こうかなぁ・・・って思って。」
苦笑いをしながら言うと、松里は「そなの?」と、少し驚いた顔をさせる。
「まぁ~確かに九条君らしい、仲直りの仕方だねっ!それはっ!」
そう言って、力強く親指を立てる松里に、「どう言う意味だよ。」と、ミカゲは不満そうな顔をさせた。
洞窟まで到着をすると、松里は軽くスキップをしながら、紅葉の部屋へと向かう。ミカゲは呆れ顔をさせながら、松里の後を付いて行くも、途中紅葉の姿は無いかと、キョロキョロと周りを気にしながら歩いた。
しかし、どこにも紅葉の姿は見当たらず、部屋へと到着をするが、部屋にも紅葉の姿は無い。
「あれれぇ~?留守かなぁ?」
首を傾げ、呑気に辺りを見渡す松里だったが、ミカゲは一瞬嫌な事が頭の中を過り、顔が青褪めてしまった。
しかし、落ち着いて考えれば、まだ記憶も紅葉の部屋も有るのだから、紅葉が成仏をしたと言う事は無いだろう。一人先走り、変な事を考えてしまったが、冷静になればすぐに分かる事だ。松里の言う通り、只単に留守にしているだけだろう。
「客を脅かしに行ってるのかもよ。どうする?少し待つ?」
松里は少しその場で考え込むと、困った表情をさせた。
「う~ん・・・。紅葉ちゃんが着けた姿見たいけど・・・。私もこの後、用事有るんだよねぇ~。そんな長居出来ないから、いつ戻るか分かんないなら、また今度日を改めますかなぁ~。」
「あぁ・・・そうなんだ。」
松里が帰ってしまうとなると、紅葉と二人きりになってしまう。せっかく余分な奴が一人居るお陰で、少しは気が楽だったが、松里が居ないとなると、やはり気が引ける。
「俺も・・・。居ないんなら、また日を改めようかな。土産だけ置いてって・・・。」
ポツリと呟くと、靴を脱いで部屋へと上がり、テーブルの上に買って来たお土産の袋を置いた。
「えっと・・・一応メモとか、残した方がいいよな。」
ミカゲは何か書く物は無いかと、部屋の中を見渡すと、冷蔵庫に貼って有る、マグネットボードが目に入った。
冷蔵庫からマグネットボードを剥がすと、テーブルの上に持って行き、ボードに「こないだのお詫び。ミカゲ。」と、ペンで書き込む。松里も部屋へと上がると、「私も私もっ!」と、ミカゲからペンを取り上げ、「紅葉ちゃんへのプレゼント。松里より。」と書き込んだ。松里はプレゼントの袋を、ミカゲのお土産袋の横に置くと、その前に、マグネットボードを置いた。
「あいつ携帯持ってるから、写メでも送って貰ったら?」
ミカゲが提案をすると、「いいねぇ~!」と、松里は嬉しそうに喜び、ボードに写メを送る様に書き加え、自分のメールアドレスも書き込んだ。
「これでよしっと!写メ届いたら、待ち受けにしよっかなぁ~。」
「いや・・・それはどうかと・・・。」
二人は部屋から出ると、そのまま洞窟の出口へと向かい歩き、森へと出る。紅葉の姿は無いかと、二人して森の周りを一通り軽く見渡すも、やはりどこにも見当らない。二人は諦めると、仕方なくそれぞれ、帰る事にした。
「残念だったねぇ~。」未だ未練がましくする松里に、「まぁ連絡無しで行ったしね。」と、ミカゲは適当に松里を宥めながら、森を後にする。
ミカゲと松里が森から出て行くと、洞窟付近の森の木々が、ガサガサと動き始めた。
「おいっ!銀治っ!どうじゃ?もう行ったか?」
小声で紅葉は、目の前にしゃがんでいる銀治に尋ねると、銀治はそっと木々の隙間から、外の様子を覗き込んだ。
「もう行かれたみいたいですよ。」
銀治も小声で紅葉に言うと、銀治の背中にしゃがんで隠れていた紅葉も、そっと木々の隙間から、外の様子を窺う。
「うむ、確かに行った様じゃな。」
木陰に隠れ、そっと二人の様子を窺っていた、紅葉と銀治は、ガサガサと木々の隙間から這い出て来ると、体のあちこちに付いた葉を払い除ける。
「ふぅ・・・。難儀じゃったのう。」
狭苦しい木々の中から、ようやく解放され、のびのびとした空間へと出ると、二人してホッと息を漏らす。
気持ち良さそうに、ネグリジェ姿で体育体操をする紅葉に、銀治は甚平に付いた土を掃いながら、困った表情をさせて言った。
「よろしかったのですか?お会いにならなくて。」
「構わぬ。あっ、会っても何を話せばよいのか、分からぬしな。」
紅葉は少し頬を赤く染めながら、恥ずかしそうに言うと、グルグルと大きく腕を回した。回しながら、「茶の時間じゃ!」と、足早に部屋へと戻って行ってしまう。
銀治は困った様子で、髪の無い頭を掻くと、「やれやれ・・・。」と溜息を吐きながら、紅葉の後を着いて行く。
「紅葉様。逃げていては、何の解決にもなりませんよ。」
後ろから、前を歩く紅葉に向かい、銀治が言うも、「逃げとらんわっ!」と、紅葉は半ば自棄糞の様な返事をして来る。銀治は更に困った様子で頭を掻くと、軽く溜息を吐いた。
部屋へと到着をすると、紅葉は早速嬉しそうに、松里が置いて行った袋から開けようとした。するとマジックボードのメモに気が付き、文章をマジマジと読む。
「プレゼント?なんじゃ、松里は食べ物では無いのか。」
少し残念そうな顔をするも、ボードに書き込まれている松里のメールアドレスを、早速自分の携帯の電話帳へと登録をする。
袋を開けると、中には白い下がりが付き、赤い牡丹の花の形をした、可愛い髪留めが入っていた。牡丹の花弁には模様が描かれており、その周りには、ビーズが散りばめられている。
「おぉ!これは可愛らしい!松里はセンスが良いのう。」
食べ物では無かったが、可愛らしい髪飾りに、紅葉は瞳をキラキラと輝かせると、嬉しそうな顔をさせた。
「ほう、これは素敵な品ですね。あの赤い着物に、とても合いそうで。」
銀治も髪飾りを見ると、感心をする。
紅葉は早速着けようと、嬉しそうに髪飾りを持って、部屋の片隅に有る化粧鏡の前へと座った。どこに着けようかと、あれこれと迷っていると、「あぁ、私が。」と、銀治はそっと、紅葉の後ろに座る。紅葉から髪飾りを受け取ると、左側の髪を少し束ね、そっと髪飾りで髪を留めた。
紅葉は嬉しそうに、色んな角度から髪飾りの着いた姿を鏡で見ると、「どうじゃ?どうじゃ?」と、ハシャギながら銀治に感想を求める。「とてもお似合いですよ、」ニコヤカに銀治が言うと、紅葉は更に嬉しそうに、頬をピンク色に染めながらハシャイだ。
「そうじゃっ!写メを送らねばっ!銀治、撮ってくれぬか?」
紅葉は携帯を銀治に渡すと、「喜んで。」と、銀治は紅葉から携帯を受け取り、携帯をカメラモードへと切り替える。
ピントを合わせ、準備をすると、紅葉は髪飾りがよく見える様に、少し左側に顔を向けた。
「それではいきますよぉ。はい、チーズ。」
パシャリと言うシャッター音が鳴ると、早速写真の写り具合を、紅葉はチェックする。
「うむ、良い写りじゃ。」
満足そうに頷くと、そのままカタカタと携帯を操作し、早速松里へとお礼の言葉と共に、写真をメールで送った。
「さてはて、次はミカゲの土産じゃな。」
上機嫌で、次はミカゲが置いて行った、袋の中身を取り出そうとすると、中には白い小さな箱が入っていた。不思議に思いながらも、紅葉は箱を開くと、中には生クリームが沢山乗せられた、豪華な苺のケーキが入っている。
「ホヨッ!出たなチャラ付いたヤツめが・・・。」
それまでニコニコと、満遍無い笑みだった紅葉の顔は、一気に不満な顔へと豹変してしまう。「己嫌がらせをしおって・・・。」恨めしそうな声で呟くと、箱の中のケーキを見た銀治が、嬉しそうな顔をさせて言って来た。
「ほう、これは美味しそうなショートケーキですね。あぁ、グラマシー・ニューヨークのケーキですか。あそこのケーキは高いですが、美味しいですからねぇ。」
「何じゃ?銀治は洋菓子の手先か?これは明らかに、ミカゲからの挑戦状じゃ!己の意見を曲げぬと言う、アピールじゃっ!」
意気込んで言うも、銀治は爽やかな笑顔で笑い、「いやいや。」と、楽しそうに言った。
「実にミカゲ君らしい、仲直りの仕方では有りませんか。素直に紅葉様の好物を持って来ないと言う事は、何も疾しい気持ちが無いと言う証拠ですよ。」
「そっ・・・そうなのか?」
「そうですよ。紅葉様が仰ったでは有りませんか。ミカゲ君が美味しい和菓子を持って来る時は、頼み事をする時だと。」
紅葉は「そうじゃったかのう?」と、恥ずかしそうに軽く頭を掻くと、ジッとショートケーキを見つめる。恐る恐る指で、生クリームを少しだけ掬い上げると、又指に着いた生クリームを、ジッと見つめた。
ゴクリと生唾を飲み込み、勇気を振り絞って、指に着いた生クリームを、ペロリと舌で舐める。すると、ふんわりとして甘い、始めての味に、紅葉の頬は思わずピンク色に染まった。
「ホヨッ・・・。」その甘さに、うっとりと酔い痴れていると、「如何です?美味しいでしょう。」と銀治に言われる。
紅葉はハッと我に返り、慌ててゴホンッと、ワザとらしい咳を吐くと、「まぁまぁじゃな。」と、顔を赤くさせながら言った。
「紅葉様は、和菓子でも生クリームが入った物は、食べた事が有りませんでしたからねぇ。はははっ。」
嬉しそうに笑う銀治に、紅葉は更に顔を真っ赤にさせると、そっと箱の蓋を閉じた。「どうされたのです?」銀治が不思議そうに尋ねると、「紅茶じゃ。」と、紅葉は恥ずかしそうに言う。
「これは紅茶と共に食すのが一番じゃ。が!ここには紅茶が無い。だがら・・・あれだ。ミカゲに紅茶を持って来る様、メールをする。」
紅葉の言葉に、銀治は満足そうな顔をさせ頷くと、ケーキの入った箱を、冷蔵庫の中へと仕舞った。
「それでしたら、お早目に。生物は日持ちしませんからね。」
「分かっておるわいっ!」照れ臭そうに言うと、ソッポを向き、膨れた顔をさせるが、紅葉はふと、ミカゲが言っていた言葉を思い出した。銀治もやはり、同じ気持ちなのだろうかと考えると、気になり始めてしまう。
冷蔵庫にマジックボードを貼り直し、賞味期限を書き込んでいる銀治の姿を、紅葉は恐る恐る見ると、そっと静かに尋ねてみた。
「のう・・・銀治よ。やはり主も、ミカゲと同じ意見か?忘れたくは、無いか?」
銀治は紅葉の方を振り向くと、ニコヤカに微笑みながら、優しい口調で答えた。
「そうですねぇ。私も同じでしょうか。」
「そうか・・・。」
紅葉は銀治から顔を背けると、俯いてしまう。
銀治はそっと紅葉の傍らへと寄ると、語りかける様に、俯く紅葉へと話した。
「人間と言う者は、思い出と言う物をとても大事にしたがる生き物です。ですから、例え死人で有ろうと、忘れたくは無いのですよ。嘗ては人間でした貴女様ですが、鬼になり、その気持ちを忘れてしまったのでしょうか。ですが嘗ては人間ならば、必ずまだ覚えている筈です。人間の、思い出を大切にしたいと言う、浅はかな気持ちを。」
「浅はかか・・・。確かに、浅はかじゃな。思い出等に縋る等・・・。嘗てわしは、その浅はかな想いから、身を滅ぼしたのじゃと言うのに・・・。」
紅葉は微かに微笑むと、携帯に届いた、松里からの返信メールを見る。「待ち受けにするか・・・。」クスリと小さく笑うと、一緒に送られて来た、松里の笑顔が写った写真を、携帯に保存した。さり気なくその様子を見ていた銀治は、嬉しそうな表情を浮かべると、独り言の様に再び話す。
「鬼の魂が、再び入るべく用意される体が人間なのは、全ての力有る鬼が皆、元は人間だったからなのでしょうか。今一度、人として生きるチャンスを、与えて下さっているのかもしれませんね。」
「何を戯けた事を・・・。」紅葉は軽く鼻で笑うと、呆れた表情をさせた。
「主は戯言ばかりを言う。ミカゲにも、バイトだのとふざけた事を言いおって。」
「いえ、現にバイトの様な物ですから。」
銀治は困った様子で頭を掻き毟ると、紅葉は又鼻で笑い、不敵な微笑みを浮かべた。
「よく言うわ。維茂の末裔が。代々飽きもせず、わしの監視等しおってからに。とっくに毒気は抜かれておるのじゃ。今更悪さ等誰がするか、阿呆。」
銀治は更に困ってしまうと、ヘコヘコと紅葉に頭を下げ始める。
「いやいや、私は好きで、紅葉様のお世話をさせて頂いているだけですよ。それに私の役目は、見届ける事ですから。私が生きている内に、見届ける事が出来ればよいのですがねぇ。」
「主の父も、同じ事を言うておうたわ。親子揃って阿呆じゃのう。」
「はははっ。父は早くに、逝ってしまいましたから。」
紅葉は困り果ててしまっている銀治に、「もう帰れ。」と言うと、銀治は紅葉に深く頭を下げてから、その場を立ち上がった。部屋から下りると、背を向けている紅葉に向かい、もう一度深くお辞儀をする。そのままその場から去ろうとしたが、ふと足を止め、思い出したかの様に、後ろ姿の紅葉に言った。
「そう言えば・・・紅葉様。ミカゲ君に鬼蝶を使ったそうですねぇ。身を半分に分けた、片割れだけの鬼蝶では、さぞ大変でしたでしょう。」
「記憶を覗いただけじゃ。それ位ならば、力の半減した鬼蝶にも出来るわ。」
紅葉は後ろを振り返る事無く言うと、その後は黙り込み、ネットをやり始めてしまう。
銀治は微かに微笑むと、静かに紅葉の部屋を後にした。