奏でる想い、流れ出る想い
蝶模様の赤い着物を着た紅葉は、髪には牡丹の髪飾りを着け、琴の前に正座をし、座っていた。その姿はとても潮らしく、美しき日本女性の見本の様だ。洞窟内も、いつもの紅葉の部屋とは違い、広々と大勢が座れる様に家具等は退けられ、赤い敷物が敷かれている。紅葉の傍らでは、銀治が色取り取りの料理の入った重箱を、綺麗に並べていた。
ミカゲと東志、松里の三人は、ミカゲの鬼蝶を使い洞窟内へとやって来ると、目の前に見えるいつもとは違う光景に、嬉しそうな顔をさせ、感激をしてしまう。中でも松里は、自分がプレゼントをした髪飾りを、紅葉が着けている姿を目にし、ようやく生で見られ、嬉しそうにハシャギ始める。
「きゃあぁ~!めっちゃ可愛いよ!似合ってるよ!やっぱり私の目に狂い無し!」
紅葉は照れ臭そうに、頬を少し赤く染めると、三人に上がる様言った。紅葉に招かれ、三人は部屋へと上がると、先に来て準備をしていた銀治に、ミカゲは持って来た手土産を差し出す。
「銀治さん、これ。食後にでも。」
「これはどうも、ありがとうございます。ほう、『梅花堂』の鬼饅頭ですか。」
「良い意味で、鬼饅頭です。」
銀治はミカゲから鬼饅頭を受け取ると、包みの袋を開け、お皿へと並べた。
三人は紅葉の前へと座ると、「これで全員か?」と、東志が尋ねる。
「いや、後まだ一人。」
ミカゲがそう言うと、東志と松里は、不思議そうに顔を見合わせた。
「もう一人ってぇ~?」
今度は松里が尋ねると、洞窟の出口から、足音が聞こえ始める。
足音は徐々にと近づき、暗闇から人影が見え始めると、紅葉は柔らかい笑顔を浮かべた。
「よく来たな、経若丸よ。」
紅葉の言った名前を聞き、東志と松里の二人は、驚いてしまう。
「経若丸?ってぇ~紅葉ちゃんの?」
「子供って奴か?マジかよ!」
凛は浮かない表情で姿を現すと、目の前の紅葉に向かい、軽く頭を下げた。その凛の容姿に、東志と松里の二人は、更に驚いた顔をさせる。
「がっ!外人かよっ!」
東志が驚きながらに叫ぶと、「ハーフ!」と、凛は不貞腐れた顔をしながら、言い返した。
「はぁ~・・・。こりゃ意外も意外!世の中どうすっ転がるか、分かりませんなぁ~。」
呆けた顔で松里が言うと、ミカゲは可笑しそうに、クスクスと笑った。「皆同じ反応かよ。」笑いながらに言うと、凛の顔は更に膨れてしまう。
昨日ミカゲは自宅マンションへと戻った後、東志と松里に、何が起きたのかを一応説明した。岩場で起きた紅葉についての出来事や、鬼蝶の事等を。経若丸の事は、簡単に説明をしただけだったので、その容姿までは話してはいなかった。
凛も部屋へと上がると、ミカゲの隣へと正座をして座り、又紅葉に向かい、今度は深く頭を下げた。
「母上、先日の無礼、お許し下さい。鈴鹿御前には伝えて置きました。母上は本日を持って、復活なさると。」
「頭を上げよ、経若丸。お主の母を想う気持ち故、行った事。気にしてはおらぬ。」
凛はゆっくりと頭を上げると、頬をピンク色に染めながら、嬉しそうに微笑んだ。
「だから頬をピンクに染めるな、マザコン。」横からボソリとミカゲがボヤクと、凛の顔は一気に不貞腐れた顔になり、隣で座るミカゲのお尻を抓った。「いっ!」思わず叫びそうになるも、グッと堪え我慢をすると、ミカゲは凛の顔を睨み付ける。
又しても二人が睨み合いをし始めると、松里は「まぁまぁ~。」と、二人を宥めた。
「今日はせっかく紅葉ちゃんが、私等にスペシャルビッグお礼返しをしてくれるんだから、仲良くね!仲良くっ!」
松里に言われ、ミカゲは仕方なさそうに頷くと、凛はミカゲからソッポを向く様に、顔を背けてしまう。
「っとに仲悪いんだな、テメェー等。ミカゲが散々悪口ばっか言ってたけど、ここまでとはなー。」
呆れながらに東志が言うと、紅葉は可笑しそうに、クスクスと小さく笑った。
「喧嘩する程仲が良いと言う物じゃ。」
「仲良くない!」ミカゲと凛、二人揃って同時に言うと、紅葉は更に可笑しそうに笑う。銀治も嬉しそうな笑顔を見せると、「それでは、紅葉様。」と、紅葉に琴の弦を弾く、爪を手渡した。
「うむ。」紅葉は銀治から爪を受け取ると、親指、人差し指、中指の三本に付け、姿勢を正し直し、琴を弾く準備をする。釣られてミカゲ達も、姿勢を正してしまうと、皆して正座に座り直す。
紅葉は目の前に並んで座る、全員の顔を一人一人、しっかりと見つめると、軽く頭を下げ、穏やかな口調で言った。
「誠に、誠に長い年月じゃった。わしがこの場で過ごした日々は・・・。その中で、短い時じゃったが、共に過ごした主等の為に、弾きたいと思う。月日等関係無いのじゃな。例え共に過ごした日々が、どんなに短かろうが、とても楽しゅう時じゃった。礼を言う。ありがとう。」
東志は照れ臭そうに、頭を掻き毟ると、「こっちこそ、楽しかったぜ。」と、恥ずかしそうにしながら言った。
松里は薄らと涙ぐみながらも、「また会おうね。」と、微笑んで言う。凛は無言で、只ゆっくりと頭を下げると、ジッと真剣な眼差しで、紅葉を見つめた。
ミカゲは穏やかな笑みを浮かべると、紅葉の瞳を見つめながら、優しい声でそっと静かに言った。
「さよならは、まだだからね。これから紅葉は、再び生きるんだ。」
紅葉もミカゲの顔を見つめると、「そうじゃな。」と、ニコリと小さく微笑み、そっと頷く。
「季節外れじゃが、再び出会う事を願い『春の曲』を・・・。」
紅葉はそっと琴に手を添えると、ゆっくりと、右手に嵌めた爪で、弦を弾き始める。
一本一本、心を込めて弾くと、静かに曲を奏で始めた。音色は洞窟内に静かに響き渡り、皆はそっと、耳を傾ける。
紅葉の奏でる琴の音色は、とても美しい。しなやかで美しい琴の音色に、耳を澄ませ聞き惚れていると、自然と心が穏やかになって行く。まるで時間が、止まっている様に感じてしまう。揺ら揺らと舞う蝶の様に、体は揺らめき、心は寛ぐ。
音色を聞いていたミカゲの瞳からは、一つ、二つと無意識に、涙が零れ始める。自分でも知らない内に、涙を流している事に、ミカゲは驚き、そっと手で涙の粒を掬った。
「あれ・・・?何で俺・・・。」
紅葉が琴を奏でれば、奏でる程、涙は溢れ出し止まらない。自分でも止められない涙に、ミカゲはそっと両手で顔を覆った。
「九条君?」ミカゲが泣いている姿に気付いた松里は、不思議そうにそっと尋ねる。だがミカゲは、松里の声等聞こえず、紅葉の奏でる琴の音色しか、耳には入らなかった。
なんて懐かしい音色だろう。何故だか分からないが、聞き覚えの有る音色だ。とても美しく、とても懐かしい。遠い、遠い昔にも、聞いた事の有る音色だ。とても愛した、音色だ。
ミカゲはそっと顔から手を退けると、琴を弾く紅葉の姿を、涙を流しながら見つめた。その姿を見た瞬間、頭の中で記憶が溢れ出す。
「紅葉・・・。」
ポツリと紅葉の名を呼ぶと、紅葉はハッと気が付き、演奏を止めミカゲの方を向いた。紅葉は涙を流しているミカゲの顔を見ると、驚いてしまう。「ミカゲ・・・?」心配そうな表情で、紅葉はミカゲの名を呼ぶと、ミカゲは声を震わせながらに言った。
「紅葉・・・ようやく会えた。」
自分でも何故だか分からなかったが、口が勝手に動いて、喋ってしまう。心の中から気持ちが溢れ出すと、それはずっともやもやとして、ハッキリ分からなかった、自分の本当の望みだと、自然に悟る。
「すまな・・・かった。すまなかった、紅葉。愛していたのに、愛した音色だったのに・・・。俺が鬼にしてしまった。もう一度・・・一緒に人として歩みたかった・・・。後悔ばかりが押し寄せて・・・只一言・・・謝りたかった。すまなかった・・・紅葉・・・。」
ミカゲは涙を流しながら言うと、そのまま又顔を両手で覆い、肩を震わせて泣いた。ミカゲの言葉を聞いた紅葉と凛は、ハッと気が付くと、紅葉の目には涙が滲む。
「もしや・・・貴方様は・・・。」
紅葉の頬を、一筋の涙が伝うと、その後幸せそうな笑みを浮かべ、再び琴を奏で始めた。再び洞窟内に、美しい琴の音色が響き始めると、ミカゲは涙を流しながら、只無言で聞き続ける。
東志と松里は、何が何だか分からない様子で、不思議そうな表情を浮かべるも、きっと触れてはいけない事なのだと悟り、同じ様に無言で演奏に耳を傾けた。
静かに演奏が続く中、凛は悲しげな表情でミカゲを見つめると、そっと立ち上がり、音を立てぬ様、静かにその場から遠ざかって行く。その姿に気付いた銀治は、同じ様に、音を立てずに静かに立つと、凛の側へと寄った。
「経若丸様。」静かな声で、銀治が声を掛けると、凛は悲しい笑みを浮かべ、俯きながらに呟いた。
「最初から、敵う筈が無かったんだ。相手が父上では・・・敵う筈が無い。」
凛はそっと腕で涙を拭うと、幸せそうに琴を奏でている、紅葉の姿を見つめた。
紅葉は演奏を終えると、観客達に向け、深く頭を下げる。東志と松里は、一斉にパチパチと拍手を浴びせると、泣いていたミカゲも、慌てて涙を拭い、拍手をする。
目を真っ赤にさせながら拍手をすると、何故こんなにも泣いてしまったのか、自分でも分からず、ミカゲは恥ずかしそうに、顔を赤く染めた。
「あの・・・ごめん。何か知らないけど、泣いちゃって。」
松里はニッコリと満遍無い笑みを浮かべると、ミカゲの背中を、バシッと強く叩く。
「そんだけ綺麗な音色だったって事だよぉ~!音楽に感動するなんて、日常茶飯事のもう一杯っ!って感じだから、平気だよぉ~!」
「まぁ、確かに綺麗だったからなぁー。俺もちょっとうるっと来ちまったしよー!」
そう言いながら、東志は少し涙ぐんだ目を、ゴシゴシと擦る。
紅葉は嬉しそうに、ニッコリと微笑むと、愛おしそうな眼差しで、ミカゲを見つめた。
「貴方様に、再びお会い出来るとは・・・。」
ポツリと小さく呟くと、そっと指に嵌めた爪を外し、ゆっくりとその場に立ち上がった。
「どうしたの?」三人は不思議そうに、紅葉を見つめると、紅葉は今までで一番、幸せそうな笑顔を見せる。
「決めたぞ。わしは、決めた。」
紅葉は凛と銀治を呼び戻すと、全員に向け、嬉しそうな笑みを浮かべながら伝えた。
「わしは、記憶は消さぬ!また皆と遊ぶぞよ!」
その言葉を聞き、全員は嬉しそうな顔をすると、一斉に喜び始める。
「本当?紅葉!本当に?」
「くどいぞミカゲよ。決めたと言うたじゃろうに。」
ミカゲは嬉しそうに、紅葉へと抱き付くと、紅葉の頬は赤く染まってしまう。「ホヨッ!」アタフタと慌て始める紅葉だったが、ミカゲは気にせず、「よかった!よかった!」と、強く紅葉の体を抱きしめ、喜んだ。
「母上!でしたらすぐにでも、体の中に!」
ミカゲの体を無理やり紅葉から剥がし、凛が駆け寄ると、ミカゲはムッと不貞腐れた顔で、凛を睨み付ける。
「おいコラ!横から割り込むなよ!ちゃんと列に並べよ!」
「は?何それ?どこに人が並んでいるのかな?」
白けた顔をさせ、凛が言うと、ミカゲは「あれ。」と、一列に並ぶ他の三人を指差した。松里、東志、最後に銀治の順番で、紅葉との喜びのハグ待ちをして並んでいる。凛の口元は引き攣ると、一気に呆れ返ってしまう。
その後順番に紅葉とハグを交わすと、最後に一番後ろに、嫌嫌並んでいた凛が、紅葉をそっと優しく抱き締めた。
「母上・・・。決めたのは、父上の為?」
耳元で、そっと囁く凛に、紅葉はクスリと小さく笑うと、同じ様に耳元で囁く。
「そうでは無い。いや・・・そうかもしれぬな。あのお方と再び、歩めるのならば・・・。」
「そう・・・。」
凛はそっと紅葉の体を離すと、寂しげな笑みを浮かべた。
「でも、僕の事も愛し続けてくれるよね?」
紅葉は優しく、凛の頬を撫でると、「無論じゃ。」と、穏やかに微笑み頷く。
「おいマザコン!長い!」
横からミカゲが、文句を言って来ると、凛の口元は引き攣り、体中から怒りが溢れ出して来る。「何であんな奴が・・・。」ブツブツと文句を言いながらも、紅葉から離れると、ポケットの中から携帯を取り出した。
「それじゃあ、鈴鹿御前に連絡を入れるよ。準備はいい?母上。」
紅葉は大きく頷くと、凛は花火に電話を掛けた。こちらの準備が整った事を伝えると、そのまま電話を切り、紅葉の方を見つめる。
「いつでもいいって。」凛がそう言うと、紅葉は小さく頷き、皆の顔を見ながら言った。
「わしは体に入った後、鈴鹿御前に協力をせねばならぬ。不本意だが止むを得ん。だからすぐに、再び会える訳ではないじゃろう。だが安心しろ。必ずまた、会える。」
ミカゲ達は力強く頷くと、紅葉も力強く、頷き返す。
「銀治よ。主はすぐに引っ越しの準備に取り掛かれ。」
「承知致しました。」
紅葉はミカゲの側へと寄ると、そっと手を取り、優しく握り締めた。
「ミカゲよ。松里と東志を送ってやれ。全てが終わったら、再び会おう。」
ミカゲも紅葉の手を、握り返すと、ゆっくりと頷く。
「待ってるよ、紅葉。必ずまた会おう。そしたら、皆でディズニーに行こう。」
「うむ。」そっと互いに手を離すと、紅葉は掌を上へと翳した。紅葉の掌の中から、黒き鬼蝶が浮かび上がると、紅葉は意思を集中させる。
「さぁ、我が鬼蝶よ。お主の片割れの元へと、共に行こう。」
鬼蝶が光を放つと共に、紅葉の体は光に包まれ、体は形を変え、小さな光の固まりへと変わる。一瞬洞窟内は強い光に包まれると、すぐにその光は消えてしまい、光と共に、紅葉の姿も跡形も無く、消えてしまった。
「紅葉ちゃん・・・ちゃんと体ん中入れたのかなぁ?」
少し不安そうに松里が言うと、「大丈夫だよ。」と、ミカゲは松里の肩を叩く。
大丈夫だ。約束をしたのだから、大丈夫。鈴鹿御前の望みを叶えれば、きっとすぐに、紅葉は帰って来るだろう。あんなにもディズニーに行く事を、楽しみにしていたのだから。
ミカゲは主の失った紅葉の部屋を、只無言で見つめた。