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第5話 歓声の中の違和感

 その棘は、消えなかった。


「殿下、こちらの書類を――いえ、先に来客の件が……」


「待て、順に話せ」


 アルトレインの声は冷静だった。

 だが、周囲の動きは明らかに鈍っている。


 報告が重なる。

 優先順位が決まらない。

 判断が遅れる。


 その一つ一つが、些細な遅延となって広がっていく。


「西棟の貴族同士の衝突ですが、収まりません! どちらも席の正当性を主張しており――」

「ならば一時的に別室へ」

「別室もすでに埋まっております!」


「……」


 アルトレインは言葉を失う。


 なぜだ。


 なぜ、こんな単純な調整ができない。


 これまで、同じ規模の宴はいくらでもあったはずだ。

 同じような問題も、きっとあった。


 だが。


 ここまで混乱したことは――


「殿下」


 セレナが静かに声をかける。


「一度、場を落ち着かせましょう。皆が焦っているだけですわ」


 優しい声音だった。

 その通りかもしれない。


 焦りは判断を鈍らせる。


「……そうだな」


 アルトレインは息を整える。


「まずは来客の衝突を――」


「殿下!」


 また別の声が割り込む。


 今度は侍女だ。


 顔が青い。


「北棟にて、食事が足りておりません! 配膳が遅れており、すでに不満が――」


「まだ追加できるはずだろう。厨房は何をしている」


「それが……」


 侍女は言葉を詰まらせる。


「仕入れの帳簿が合わず、食材の配分が――」


 同じだ。


 席順も、帳簿も。


 すべてが、少しずつ噛み合っていない。


「……」


 アルトレインは無意識に、視線を動かす。


 広間のあちこちで、小さな混乱が起きている。


 だが、誰も全体を見ていない。


 それぞれが、それぞれの問題に対処しようとしているだけだ。


「……宰相」


 呼ぶ。


 グレンはすぐに応じた。


「はい」


「優先順位を決めろ」


「承知いたしました」


 短い返答。


 だが、動かない。


「どうした」


「確認を」


 グレンは淡々と続ける。


「現在の問題は、来客の衝突、食材不足、帳簿不整合、侍女配置の偏り。この四点でよろしいですね」


「……ああ」


「それぞれの影響範囲は異なります。優先順位を決めるには、全体の把握が必要です」


「だからそれを――」


「時間が足りません」


 即答だった。


 アルトレインの言葉を、静かに遮る。


「……」


 まただ。


 同じ感覚。


 何かが足りない。


 明確に。


「殿下」


 グレンは一歩だけ近づく。


「現状、最も影響が大きいのは来客の衝突です。次に食材、次に帳簿、最後に人員配置」


「ならばそう動かせばいい」


「はい」


 頷く。


 だが。


「その判断を、現場が共有できておりません」


「何?」


「各部署は、自分の問題を優先しております。全体の優先順位が伝わっていない」


 当然だ。


 誰も“それを伝える役目”を担っていないのだから。


「……伝えろ」


「誰が」


 短い問い。


 アルトレインは言葉に詰まる。


「……お前が」


「可能です」


 グレンは頷く。


「ですが、すべての部署に同時に伝達する手段がありません」


「使者を出せばいい」


「出しております」


 すでに。


「ですが、情報が錯綜しており、指示が上書きされている状態です」


「……」


 状況は、さらに悪い。


 指示すら、統一されていない。


「……なぜだ」


 小さく、アルトレインは呟く。


 誰に向けた言葉でもない。


「なぜ、こんなことに……」


 答えはない。


 ただ、沈黙だけが返る。


 その中で。


「殿下」


 別の声が割り込んだ。


 低く、落ち着いた声。


 グレンではない。


 別の人物だ。


「……ミレイユか」


 黒髪の令嬢が、まっすぐ歩み出る。


 ミレイユ・クラウス。


 かつてリディアと対立していた貴族の一人だ。


「現場を見てまいりました」


「どうだ」


「……混乱しています」


 簡潔な報告。


 だが、その表情は険しい。


「予想以上に」


「具体的に言え」


「はい」


 ミレイユは迷わない。


「帳簿の不整合は、単なる記録ミスではありません。食材の割り当てそのものが、複数箇所で重複しています」


「重複?」


「はい。本来は一箇所に割り当てるべきものが、二箇所に同時に割り当てられている」


 アルトレインは眉をひそめる。


「そんなことが可能なのか」


「通常は、ありません」


「ならばなぜ」


「……調整がないからです」


 その一言で、空気が止まる。


 誰もが、その言葉を理解している。


 だが、認めたくない。


「……調整だと?」


 アルトレインが低く言う。


「はい」


 ミレイユは頷く。


「各部署の決定が、互いに干渉しているにも関わらず、それを修正する者がいない」


 静かだった。


 だが、はっきりとした断定。


「それは……」


 アルトレインは言いかけて、止まる。


 思い出す。


 つい先ほどのやり取り。


 ――どなたに、その役割をお任せになりますか。


「……」


 言葉が出ない。


 代わりに。


 別の声が、割り込んだ。


「ですが、それは本来、必要のない仕組みですわ」


 セレナだった。


 穏やかな笑顔のまま、言葉を続ける。


「各部署が適切に動いていれば、そのような“特別な調整”は不要のはずです」


 正しい。


 理想としては。


「……そうだ」


 アルトレインも頷く。


「今までが異常だったのだ。あの女が、余計なことをしていただけで――」


「余計、ですか」


 ミレイユが、わずかに眉を動かした。


「何だ」


「……いえ」


 彼女は一瞬だけ言葉を止める。


 そして。


「確認ですが」


 まっすぐに、アルトレインを見る。


「これまで、この規模の宴で、同様の混乱はありましたか」


 静かだが、鋭い問いだった。


「……」


 アルトレインは答えない。


 答えられない。


 記憶にない。


「……偶然だ」


 ようやく出た言葉は、それだった。


「今回は偶然が重なっただけだ」


「そうかもしれません」


 ミレイユはあっさりと引いた。


 だが。


 その目は、納得していなかった。


「……宰相」


 アルトレインが呼ぶ。


「この状況、どれほどで収束する」


「最短で、半日」


 変わらない答え。


「……長いな」


「はい」


「だが、それで収まるのだな」


 確認。


 祈りにも近い。


 グレンは一瞬だけ沈黙し。


「……現状では」


 そう答えた。


 また、同じ言葉。


 曖昧な肯定。


 だが、その意味は。


 先ほどより、はるかに重かった。


「……現状では?」


 アルトレインが繰り返す。


 グレンは、ゆっくりと視線を上げた。


「はい」


 そして。


「これ以上、問題が増えなければ」


 広間のどこかで、グラスが落ちた音がした。


 次の瞬間。


「殿下! 南棟で――!」


 新たな報告が、飛び込んでくる。


 問題は、増えている。


 すでに。


 止まらない。


 その事実だけが、静かに広がっていく。

少しずつ「構造」が見え始めてきました。


誰も明確に言葉にはしていませんが、確実に“何かが足りない”と気づき始めています。

そして、それを最初に認めるのは誰なのか。


続きが気になったら、ブックマークや評価で応援していただけると嬉しいです。

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