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第2話 悪役令嬢の罪状

 王宮の扉が閉まる音は、思っていたよりも軽かった。


 ――あっけない。


 そう感じたのは、きっと私だけではない。


「リディア様!」


 背後から呼び止める声に、私は足を止める。

 振り返ると、見慣れた侍女が息を切らして駆け寄ってきた。


 エルナ・リース。

 まだ配属されて日が浅い、少しばかり真面目すぎる少女だ。


「お待ちください、その……本当に、行ってしまわれるのですか?」


「ええ」


 私はあっさり頷いた。


「見ての通りです」


「ですが……っ」


 言いかけて、エルナは口を閉じる。

 言葉を選んでいるのだろう。

 その間にも、背後の大広間からはざわめきが漏れ続けている。


 祝宴は続いているらしい。


「……あのままで、よろしいのですか」


 ようやく絞り出された言葉は、予想していたものとは少し違った。


「“あのまま”とは?」


「その……殿下のお言葉です。リディア様が、これまでなさってきたこと……」


 そこでまた言葉が詰まる。


 言えないのだ。

 信じきれていないから。


「悪いことだと、思いますか」


 私が問うと、エルナははっと顔を上げた。


「それは……」


 迷う。

 当然だ。


 周囲は皆、同じ結論に至っている。

 冷酷な悪役令嬢。傲慢な支配者。不要な存在。


 それでも彼女は、即答しなかった。


「……わかりません」


 絞り出すように、そう言った。


 いい答えだ。


「そう」


 私は一度だけ微笑む。


「それで十分です」


 エルナは目を見開いた。

 おそらく、責められると思っていたのだろう。


「わからないままでいてください。無理に理解しようとすると、たいてい間違えます」


「ですが、それでは――」


「ええ。困りますね」


 私はさらりと肯定した。


 困るのだ。

 これから先。


 その意味を、彼女はまだ知らない。


「リディア様は……どうして、何も仰らなかったのですか」


 少しだけ踏み込んできた。


 良い兆候だ。


「反論すれば、覆せたはずです。あの場で」


「覆す必要がありませんでしたので」


「……え?」


 エルナが瞬きをする。


「結果は同じです。早いか遅いかの違いでしかありません」


 理解されるとは思っていない。

 だから説明もしない。


 けれど、完全に無視するわけでもない。


 この距離がちょうどいい。


「それに」


 私はほんの少しだけ、声を落とした。


「機能しないものを無理に維持しても、歪みが大きくなるだけです」


「機能……?」


 エルナがその言葉を繰り返す。

 意味を探るように。


 だが、そこまでだ。


「さて」


 私は話を切り上げる。


「あなたは戻りなさい。これから忙しくなりますよ」


「忙しく……?」


 その瞬間。


 遠くで、何かが落ちる音がした。


 甲高い金属音。

 誰かの小さな悲鳴。


 エルナがびくりと肩を震わせる。


「……今のは」


「厨房の方角ですね」


 私は即答する。


 時間的に、ちょうど仕入れ帳の確認をしている頃だ。


「行ってきます!」


 エルナは反射的に駆け出そうとして、しかし途中で足を止めた。


 迷っている。


 私を追うべきか、職務に戻るべきか。


「エルナ」


 名前を呼ぶと、彼女はすぐに振り返った。


「はい!」


「あなたの仕事はどちらですか」


 一拍。


「……王宮の、仕事です」


「正解です」


 私は頷く。


「行きなさい」


 エルナはぎゅっと拳を握りしめ、それから一度だけ深く頭を下げた。


「……失礼いたします!」


 今度こそ、迷いなく走っていく。


 いい選択だ。


 その背中を見送りながら、私はゆっくりと歩き出す。


 馬車寄せまでは、あと少し。


 だが、足を止めることになる。


「……帳簿が合わないって、どういうことだ!」


 廊下の角を曲がった先で、怒声が響いた。


 厨房付きの管理官だ。

 顔を真っ赤にして、帳簿を叩きつけている。


「いえ、その、これまではすべてリディア様の方で……」


「リディア様はもういない!」


 当然だ。


 だからこそ、今こうして騒いでいる。


「数字が合わないのはお前たちの管理不足だろう! なぜ今まで問題がなかった!」


 管理官の怒声に、周囲の侍女たちは怯えている。


 なぜか。


 簡単な話だ。


 今までは“問題にならなかった”からだ。


「……ああ」


 小さく、誰かが呟いた。


「席順の変更も……まだ終わっていない……」


 別の方向から、慌ただしい足音が近づいてくる。


「東棟の来客室で衝突が! 同じ席に二組の貴族が――!」


「はあ!? そんなことあるはずが――」


 ある。


 あるようにしていたのだから。


 私は立ち止まり、少しだけその光景を眺める。


 混乱はまだ小さい。

 火種の段階だ。


 だが、これが連鎖する。


 帳簿。

 席順。

 来客。

 人事。


 すべてが微妙に噛み合わなくなり、やがて大きな歪みになる。


「……なぜだ」


 管理官が呟いた。


「なぜ、急に……」


 急ではない。


 ただ、表に出ただけだ。


 私は踵を返す。


 もう十分だ。


 これ以上見ていても、得るものはない。


 馬車寄せに出ると、夜気が先ほどよりも冷たく感じられた。


 御者が私を見るなり、慌てて扉を開ける。


「お帰りですか、リディア様」


「ええ」


 私は短く答え、馬車に乗り込む。


 扉が閉まる直前。


 遠くから、再び悲鳴が聞こえた。


 少しだけ、大きくなっている。


 予想通りだ。


 馬車がゆっくりと動き出す。


 王宮の灯りが、少しずつ遠ざかっていく。


 あの場所は、これから忙しくなるだろう。


 誰かが気づくまでに、どれくらいかかるか。


 三日。


 長くても、五日。


 それが限界だ。


「……本当に」


 ぽつりと、言葉が零れる。


 誰に聞かせるでもなく。


「よく回っていたものです」


 自分で言っておきながら、少しだけ可笑しくなる。


 回していたのは、私なのだから。


 けれど、その事実を知る者はほとんどいない。


 知らなくても、構わない。


 ――構わなかったはずだ。


 馬車の窓に映る自分の顔は、いつも通り無表情だった。


 ただ一つだけ、違う点があるとすれば。


 ほんの少しだけ。


 静かすぎること。


 王宮から切り離されたことで、ようやく止まった歯車がある。


 それが何なのかは、まだ考えない。


 必要になれば、いずれわかる。


 馬車は夜の街へと滑り出す。


 その背後で。


 王宮の均衡は、静かに、確実に崩れ始めていた。

王宮の「小さな崩れ」が始まりました。


まだ誰も気づいていませんが、歪みは確実に広がっています。

次話では、もう少しはっきりと“おかしさ”が表に出てきます。


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