第17話 足りなかったもの
――“戻す人が、いません”。
その言葉が、静かに胸に沈んでいた。
「……」
宴は終わった。
人の流れは途絶え、広間は急速に静けさを取り戻している。
だが。
その静けさは、安堵ではない。
ただの、空白だ。
「……殿下」
グレンの声が、静かに響く。
「来客の退場は完了しました。負傷者も、現時点で重篤な者はおりません」
「……そうか」
短く答える。
それ以上の言葉は、出てこない。
「……」
床には、まだ片付けきれていない食器や布が残っている。
本来であれば、すぐに整えられるはずの光景。
だが。
誰も、動いていない。
いや。
動けていない。
「……」
アルトレインは、その場に立ったまま、動かなかった。
何をすべきか。
何から手をつけるべきか。
それが、わからない。
「……」
その時。
「……片付け、始めます」
小さな声が、響いた。
エルナだった。
「……」
彼女は、ゆっくりと歩き出す。
倒れた椅子を戻し、散らばった布を拾い上げる。
その動きは、ぎこちない。
慣れていない。
だが。
止まらない。
「……」
周囲の侍女たちが、顔を上げる。
誰も動かなかった空間に、初めて“動き”が生まれる。
「……手伝います」
一人が言う。
「私も……」
もう一人。
少しずつ。
少しずつ。
人が動き出す。
「……」
だが。
遅い。
明らかに。
「……」
アルトレインは、それを見ていた。
理解している。
これは。
“再開”ではない。
ただの、手探りだ。
「……」
その時。
「……違う」
エルナが、ぽつりと呟いた。
「……?」
誰かが振り返る。
「違います……これじゃ……」
彼女の手が止まる。
視線が、広間全体へ向く。
「……足りない」
その一言で。
空気が変わる。
「……」
「順番が……ない」
エルナは、言葉を探すように続ける。
「何からやるのか、誰がやるのか……決まってない」
それは。
単純な指摘だった。
だが。
致命的だ。
「……」
アルトレインは、わずかに目を細める。
それは。
今まで、意識すらしていなかったものだ。
「……」
エルナは、一歩前に出る。
「……まず、重いものから片付けてください」
周囲の侍女たちに向けて言う。
「通路を空けないと、動けません」
「……は、はい」
動きが変わる。
少しだけ。
だが。
確実に。
「次に、食器を分類します。割れているものと、使えるものを分けてください」
「……」
指示が通る。
初めて。
「……」
アルトレインは、その様子を見ていた。
そして。
理解する。
「……」
これだ。
足りなかったものは。
「……」
“決める人間”。
「……」
エルナは、動き続ける。
「そこは後でいいです。今は通路を優先してください」
「その布は、まとめて一箇所に」
「……」
小さな指示。
だが。
それが、全体を動かす。
「……」
アルトレインは、ゆっくりと息を吐く。
理解してしまった。
完全に。
「……」
今までは。
“もっと上のレベル”で、それが行われていた。
もっと広く。
もっと速く。
もっと正確に。
「……」
だから。
誰も気づかなかった。
「……」
「……殿下」
エルナが、こちらを見る。
「……何だ」
「……」
少し迷い。
それでも、言う。
「……できません」
その一言は、静かだった。
だが。
はっきりしている。
「……何がだ」
「……同じようには」
一拍。
「……無理です」
視線が、落ちる。
悔しさが、滲んでいる。
「……」
アルトレインは、何も言わない。
否定できない。
それは、事実だからだ。
「……」
その時。
「……ですが」
エルナが、もう一度顔を上げる。
「……わかりました」
「……何がだ」
「……何が足りなかったのか」
その言葉で。
場が、静まる。
「……」
「……“同時に見る”ことです」
ゆっくりと。
だが、はっきりと。
「全部を、同時に見て……調整していた」
「……」
アルトレインの目が、わずかに動く。
「……だから」
エルナは続ける。
「一つずつじゃ、追いつかない」
その理解は。
完全だった。
「……」
アルトレインは、ゆっくりと頷く。
「……ああ」
それだけ言う。
それで、十分だった。
「……」
その時。
「殿下」
グレンが、静かに言う。
「報告がございます」
「……言え」
「王宮外にて、同様の混乱が発生しております」
空気が、止まる。
「……何?」
「本日参加していた各家において、帰還後の対応に支障が出ております」
「……」
理解する。
これは。
王宮だけの問題ではない。
「……」
「“調整”は、王宮内に限られていなかった可能性があります」
静かな一撃だった。
「……」
アルトレインは、言葉を失う。
どこまでだ。
本当に。
「……」
その問いに、答えはない。
だが。
一つだけ、確かなことがある。
これは。
終わっていない。
むしろ――
広がっている。
「足りなかったもの」が、言葉になりました。
そして、それは王宮の中だけの話ではなかったようです。
ここから、問題はさらに広がっていきます。
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