第14話 最初の責任
――必要になったときに、渡すように。
その言葉だけが、場に残った。
「……」
ローレンツの背が、ゆっくりと遠ざかる。
誰も引き止めない。
引き止められない。
それほどまでに。
あの箱の中身は、すべてを変えていた。
「……殿下」
誰かが呼ぶ。
だが、アルトレインは答えない。
視線は、手元の書類に落ちたままだ。
「……」
一枚、めくる。
日付。
部署。
問題。
修正。
そして。
その“差分”。
「……」
もう一枚。
さらにもう一枚。
同じだ。
すべて。
違う問題。
違う部署。
違う時間。
だが、やっていることは同じ。
――“崩れる前に直している”。
「……」
アルトレインの指が、わずかに止まる。
そこに書かれていたのは。
“来客導線調整”。
修正前:東棟集中
修正後:三棟分散
「……」
今日、起きた問題と同じだ。
だが。
それは“起きる前”に処理されている。
「……」
次のページ。
“食材割当補正”。
修正前:過剰在庫
修正後:再配分
「……」
さらに次。
“人員配置補助”。
修正前:偏在
修正後:再配置
「……」
全部だ。
全部。
今日、自分たちが“対応した”こと。
それが。
すべて。
“先にやられていた”。
「……」
アルトレインは、ゆっくりと息を吐く。
胸の奥が、重い。
押し潰されるように。
「……殿下」
グレンが静かに声をかける。
「……ああ」
ようやく、顔を上げる。
「……見たか」
「はい」
「……」
それだけで、十分だった。
すべて共有されている。
「……」
広間は、静まり返っていた。
誰もが、同じものを見ている。
同じ事実を。
同じ現実を。
「……これは」
ミレイユが、低く言う。
「……証明、ですね」
「……ああ」
アルトレインは頷く。
言い逃れはできない。
「……」
セレナが、ゆっくりと口を開く。
「ですが」
その声は、まだ整っていた。
「それは、過去の話ですわ」
視線が集まる。
「今は、もう――」
「今も同じです」
ミレイユが遮る。
はっきりと。
「……」
セレナの眉が、わずかに動く。
「証明されたのは、“今までどうだったか”ではありません」
ミレイユは続ける。
「“今なぜ崩れているか”です」
静かな対立だった。
だが、確実にぶつかっている。
「……」
アルトレインは、そのやり取りを見ていた。
そして。
初めて、口を開く。
「……やめろ」
低く。
だが、明確に。
「……殿下?」
「……」
アルトレインは、書類を閉じる。
ゆっくりと。
「……これは」
一拍。
「事実だ」
その言葉で。
すべてが止まる。
「……」
「言い換える必要も、否定する必要もない」
誰も何も言わない。
言えない。
「……」
アルトレインは、視線を上げる。
そして。
初めて。
はっきりと言った。
「……俺の判断ミスだ」
空気が、固まる。
「……殿下」
グレンが、わずかに目を細める。
それは驚きではない。
確認だ。
「……あの場で」
アルトレインは続ける。
「何も見えていなかった」
静かな声だった。
だが。
逃げていない。
「……」
「機能を、理解していなかった」
それがすべてだ。
「……」
沈黙。
誰も、言葉を挟まない。
その必要がないからだ。
「……」
アルトレインは、深く息を吸う。
そして。
吐き出す。
「……」
軽くはならない。
当然だ。
だが。
初めて。
“前に進める”。
「……宰相」
「はい」
「現状の報告を」
「承知いたしました」
グレンが一歩出る。
「来客の再配置は完了。ただし、局所的な衝突は継続中。帳簿は部分的に修正済みですが、過去の残存指示が影響を及ぼしています」
「……」
「人員配置も同様に、“余白”が失われた影響で即応性が低下しております」
「……」
「総合的に見て」
一拍。
「現状は“維持不能ではないが、持続不可能”な状態です」
「……そうか」
アルトレインは頷く。
的確だ。
そして。
致命的だ。
「……」
その時。
「殿下!」
再び、声が飛び込む。
「何だ」
「東棟で、来客の一部が退場を拒否しています! “説明を求める”とのことです!」
「……」
ついに来た。
外への影響。
「……人数は」
「十数名です! ですが、全員が上位貴族で――」
「……」
逃げられない。
ここから先は。
「……」
アルトレインは、ゆっくりと歩き出す。
「殿下?」
「……行く」
「お一人で?」
「構わん」
短く答える。
迷いはない。
「……」
広間の空気が変わる。
これは。
“責任”だ。
初めての。
「……」
アルトレインは、扉へ向かう。
その背を、誰も止めない。
止められない。
「……」
扉の前で、足を止める。
一瞬だけ。
そして。
振り返らずに言う。
「……宰相」
「はい」
「……終わらせる」
何を。
とは言わない。
だが。
意味は、十分に伝わる。
「……」
グレンは、静かに頷いた。
「承知いたしました」
扉が、開く。
その先には。
怒りと、不満と、疑問を抱えた貴族たちがいる。
そして。
そのすべてを。
受けるのは、自分だ。
「……」
アルトレインは、一歩踏み出す。
もう。
逃げない。
ついに「責任」を取る側に回りました。
ここから、ただの崩壊ではなく「選択」の物語になります。
次話は、いよいよ“外の評価”とぶつかります。
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