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第4話 ミッション発動

       -4-


四月六日


 昨夜の寝つきの悪さと、今朝の目覚めの悪さ。起き抜けに昨夜のことを思い返してみたのだが……。


『最高の相手を与えるわ。お好きなように選びなさい』ってどんなロマンス小説よ。――いや、違うな。これはそんな生易しいものではない。小説のようなハッピーエンドは約束されていない。失敗すれば私の恋心は消滅してしまう。しかし、本当にこんなことが、この世の中に起きるのか? そもそも、神様って実在するの? ……やっぱりありえないわ。妖精を見たなんてバカバカしい。


 私は、これは悪い夢か与太話として片付けようとした。けれども、なかったことにしようとすると、唐突にVRのように画面が浮かび上がった。


 ――なんだこれは。


 私の視界の斜め上に浮かぶメッセージウィンドウ。

 眉をひそめると次の瞬間、そのPOPな画面に言葉が浮かぶ。


『与太話ではありません! 真面目にやってよね。でないと、マジに一生恋ができなくなっちゃうよ♡』


 ――もう認めざるを得ない。昨夜の出来事は現実だった。


 しかし、文体が緩い上にハートの絵文字ってどうなのだろう。確かに神の使いとか言ってたよね。

 ぽっかりと空いている口に気付き、これではいけないと頬を叩く。私は心を落ち着かせて、昨夜、妖精が話したことを思い返した。確か、取説があったな……。


 瞬間、私の意を汲みとってか、新たなメッセージが表示された。


 「最高のCOIコイをするためのお約束」の文面。私は、可愛らしい花の絵文字が添えられたその表題を見て呆れる。仕方なしに「期限はいつまでだっけ」と考えると、ここで別枠の表示が現れた。『364日』……一日減ってる。これってあれだよね? 


 それはイベントの期限。つまり残りの日数を表示しているのだろう。あの妖精が強制的に起動させた? これはしてやられた。っておい! いくらなんでも勝手すぎるだろ。これが神の使いのすることか。まったくもって、ご丁寧なことだ。


 とはいえ、これは、困ったことになった。

 恋を忌避する私に降りかかった最悪の事態。ミッションが私の気持ちを無視して発動した。

 ……男を与える、さあ、恋をしなさいって、できるかぁ!


 私はどうなってしまうのか。不安は募る。

 ――それでもだ、今すぐにこの現状をどうこうすることは不可能よね。であれば、ここはいったん落ち着いて、なんとか普段通りの日常を取り戻すことが先決。




 私はいつもより元気よく出社した。


 「おはようございます!」


 運よく決まった再就職。始まった新生活。私はもう前を向こうとしている。前の会社の残務も、部下が快く引き受けてくれたので後顧の憂いはなかった。ミッションはミッション、仕事は仕事だ。


「今朝も早いねー、菜月ちゃん」


 ガハハハ、と大きな口をあけて笑う白髪頭の上司。山本やまもと正明まさあきさんは、私を我が子のように扱う。私の心を救ってくれているのは、この会社の人の温かさだろう。このような居場所を得られなければ、私は、きっともっと人間を信じられなくなっていた。


  朝の日課、仕事の書類を整理する。ファイルを鞄に入れ、外回りの支度をする。

 ――そういえば、と何気なくタイムリミットを気にすると、残り日数の横にデジタル表記で時計の表示が現れた。


「おいおい、秒まで表示するってなによ」

 刻一刻と刻みを進める時計は、いかにも急かした感じだった。


 ――あははは。


 もうぐうの音も出ない。笑い飛ばす気力さえ失せるわ。まったく、どうしろっていうのよ、呟いてから、頭の上を手で払いのける。


「どうしたの、菜月ちゃん、虫でもいた?」

 何かとお世話になっている事務員、谷本たにもと美津子みつこさんが陽気な声で話しかけてきた。


「菜月ちゃんは、若けぇからな、虫もよってくるってか」

 屈託のない笑い声。山本さんは、そのまま、視線を移し谷本さんをからかった。


「あら、若い子だけじゃないわ。熟女も案外モテるものよ、それにね、私もまだまだ恋する乙女よ」

 受けた谷本さんは、軽い調子でポーズをとった。微笑ましい光景を見ていて肩から力が抜けた。


 ――そう、これが現実よ


 私は気持ちを切り替えて仕事に取りかかった。さてと、今日はどこに行くのだっけ? スケジュール表を確認しながら効率的な外回りのルートを考える。もちろん、イベントのことは忘れてはいけない。逃れられない。どうするか。あのペナルティーはヤバい。これってマジの脅迫だよね。神様からのギフトなんてよく言ったわ、こんなの呪いと変わらないわよ!


 ――確か「恋の機会と、複数の対象者を」とかなんとか書いてあったけど、と考えたとき。


『キンコーン♪ 最良の相手を与えます』


「うわっ、音まで鳴り出した!」

 驚きのあまり思わず声が漏れ出た。


『キンコーン♪ 通知音は変えることが出来ます。好きな曲を思い浮かべるだけでいくらでも変更が可能です』


 ――駄目だ、私。絶対おかしい。


 この世でただ一人。こんな妙ちくりんな事情を抱えて生きていくのか。私は軽い眩暈を起こすと同時に頭を抱えた。


 いつ何時、通知音が鳴るか分からない。

 いちいち反応して不審者に見られてもいけない。

 これから何が起きるのか。仕事前に不安が募るけれど、むやみに考え込むのはダメだ。惑わされて仕事が疎かになってもいけない。やるべき事はきちんとしよう。仕事、それが第一だ。まずはリセットだ。平常心を保て。


「では、行って参ります!」

 どこかぎこちない動き。大きな歩幅で歩いている自分に気付いた。


「ダメ、気負い過ぎだぞ」と考えながら外へ出る。


 するとそこで、ちょうど事務所に入ってきた男性とぶつかってしまう。

 その男性は、高木たかぎ健太けんた君。

 私の目の前で、あたふたしている青年。彼はこの会社の顧問弁護士の息子である。


「ご、ごめんなさい」


「い、いえ、こちらこそ、ぼーっとしちゃってて、すみません」


「あ、いえいえ、こちらも同じです。ちょっと考えごとをしながら歩いていたもので」


 私は心ここにあらずを反省して、深く頭を下げた。

 ――まったく、なんてこと、早々にやってしまったではないか。

 私は床に散乱した書類を拾い上げながら顔を上げた。

 これは……何かの調査票? マーケティングとか?


 ふと、目と目が合った。すると彼は、慌てた様子で書類をかき集めた。

 なんとか場を取り繕うと、彼は眼鏡を持ち上げ、ぎこちなく笑顔を作ってみせる。


 そんな彼を見て思った。いかにも人が良さそうな好青年だが、少しおどおどしていて気が弱そう。まぁ、対象外ね。そもそも年下だし。――ハッとする。

 無意識に彼を値踏みしていたことに気が付いた。頭が痛くなった。これではまるで、恋人を求めてがっついている女みたいではないか。先程の気合いはどこへいったのやらと肩を落とした。


 なにやってるんだか、とため息をついたその時だった。

 やられた。

 完全に不意を突いてミッションが発動した。


『キンコーン♪ 第一待ち人を発見しました!』


「げっ!」


 やって来た。

 通知が来た。


 何の前触れもなく。まったくもってこれは如何なものか。私を、盛りのついた猫とでも言いたいのか。今の私にとって、恋愛はまさに猫に小判だ。なんて皮肉なことだろう。



残り時間  364日と11時間3分41秒




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