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第16話 紅の朝顔

       -16-


 夜店のライトが辺りを明るくしているところまで辿り着いた時のこと、私たちは車椅子を押している健太君と出くわしてしまう。


 彼と私は、ほぼ同時にお互いのことに気が付いた。


 健太君と目が合う。私は反射的に動いていた。咄嗟に浅田さんの手を放してしまう。


 浅田さんの戸惑う様子が横目にも分かる。


 私たち違うのよ、と思えば、何が? と考える。弁解を、と考えると、何を? と思う。


 なぜこんなにも動揺しているのか、私は為す術もなく立ちすくんでしまった。


「――佐藤菜月さんですよね?」


 混乱する状況下で名前を呼ばれた。私は慌てて声のする方を見た。


「え、ええ、そうです」


「吉田詩織です。以前、病院でお会いしたことがありますが、覚えていらっしゃいますか?」


「ええ、はい、分かります」


 どこか険のある口調。責められているように感じて身をすくめた。


「あんた、確か高木先生のとこの」


 あたふたする私を助けるように、浅田さんが会話に割って入ってきた。


「高木健太です。御社で顧問をさせていただいている高木の息子です。あなたの会社にも何度かお伺いしています」


「知ってるよ、俺は浅田竜矢だ。あの会社の工場で働いている」


「存じております」


「た、高木君も、花火大会に来てたんだね。私達もね、私達も、って、あれ?」


「失礼ですけど、浅田さんは、佐藤さんの恋人なのですか?」


「えっ?」


 彼女の視線と言葉が胸に刺さった。と、その時、浅田さんが再び私の手を取った。


「まだ、そんなんじゃねえ、でも、俺は菜月のことが好きだ」


「――えっ?」


 すぐさま、浅田さんを見る。


 浅田さんは真っすぐに健太君の目を見ていた。


 健太君も応じて見返している。


「そうですか、まぁでも、お揃いの浴衣を着ているところを見れば、満更でもないといったところでしょうか?」


 詩織さんが口を挟んだ。


 あたふたする私を蔑むような目で見ていた。


「これは、会社のもんに押し付けられたもので、借りもんだよ。菜月も別に着たくて着てるんじゃねえ」


 浅田さんが視線を移し、詩織さんに経緯を話す。


 このようなな状況でもちゃんと話の筋を通す人柄に感心もしたが、その正直さには少し呆れた。


 ――ん? いやいや、ちょっと待て、待って。


 うっかり聞き流してしまいそうになったが、バカ正直云々と考えている場合ではない。


 今はもっと重大なことがあったぞ。


 確かに今、言ったぞ。浅田さんは私のことを好きだと言った。


 私の視線は、行ったり来たり。降ってわいたシチュエーションの不調和に戸惑う。


 この緊迫した状況下で、私は詩織さんに敵愾心を向けられている。


 浅田さんは詩織さんと目を合わせたまま動かない。


 緊迫感に耐えかねて下を向く。


 ピリピリとした空気が痛い。


 どうしたらいいのか。私は、この場面で、何をすればいいのか。


「ちょ、ちょっと、浅田さん」


 ともかくと仕切り直す。浅田さんの腕を引いた。


 とりあえずでもここは、自分の事よりもこの場を何とかしなくてはならない。


 ――ああ、告白が……。大切な言葉が、霞んで火事場の中に消えていく……。


 だが、その様なことを考えている場合でも無い。


 浅田さんは詩織さんから目を離さなかった。


 それで仕方なく健太君を見る。


 彼は黙って下を向いていた。


 なので、なぜ何も言わないのかと強く目で問いかける。


 私の視線に勘づいて彼は顔を上げた。


 だけど彼は、深夜の木々のように静まったままで何の反応も示さなかった。


 池上夫妻に見せた凛々しい姿はここにはない。


 私は意思を見せない健太君に不満を募らせた。


「先生、行きましょう。どうやら私達、お邪魔をしちゃったみたいだし」


 その場の空気に耐えきれなくなったのか、詩織さんがフンと顔を背ける。


 ――先生か……やはり恋人ではないのか。


 彼女を見て、健太君を見る。伏せる瞳はどこか寂しげに曇っていた。


 私は、彼の瞳を真っすぐに見た。


 少しだけ躊躇する仕草を見せたが、健太君は口を堅く結び、捨てるように視線を逸らしてしまった。


 詩織さんに促され彼は車椅子のハンドルを操作する。


 彼女に向けて笑顔を作る健太君は、私には一言も語らず去ってしまった。


 見送る背中は何も訴えてはこない。


 帰り道、私は浅田さんに尋ねた。


「もう、なんだって、若い女の子に対して、あんなキツイ眼を向けるのかな」


「……」


 無言が返る。


「聞いてる? 浅田さん」


 彼を見ると、厳しい目が遠くを見ていた。


「ムカついたんだ。どうしようもなく、あの子、いや、あの子と高木君を見ていたら」


「え?」


「あれはダメだ。上手く言えないけど俺には分かる」


「そう、なの、かな?」


「よくなってきてたんだがな。以前はもっと、すべてを諦めているような目をしてたんだ。変われない理由、それはきっとあの子の事だろう」


「そうなの?」


「勘だがな、きっとそうだ」


「そう、なんだ。それにしても、浅田さんは人の事をよく見てますね」


「目についちまうんだ。俺もそうだったからな」


「え?」


「あ、ああ、なんでもない。俺の事はいいんだ」


「う、うん」


「菜月はさ、前を向いていただろ。あ、ごめん。前の会社を辞めたときの事情ってやつを、その、谷本のおばちゃんから、ちょこっとだけ聞いてた」


「大丈夫よ、隠しても仕方ないことだし、事実だし、もう終わった事だもん」


「それだよ」


「え? 何が?」


「終わらせなきゃダメなんだ。人はいつまでも不幸の中に浸ってちゃダメなんだ」


「……浅田さん」


「結局のところ、自分を救えるのは自分だけなんだよ。己で、ひとりで立ち上がらないと」


 不幸な出来事は大なり小なり誰にでも降りかかる。追い詰められることもある。でも、不幸な顔を見せていても誰も救ってはくれない。

 

 静かに語るその声には説得力があった。


「人生を幸福に導けるのは自分自身、か……確か前にも……」


 誰の言葉だったのか思い出そうとして、思い出せない。


 私は、そうかもしれないね、と曖昧に相槌を返していた。


 竹を割ったような性格で、仲間からも信頼されて一目置かれている浅田さん。


 少しやんちゃ坊主ではあるが、それも彼の持っている純粋さの一面である。


 普段から底抜けに明るい彼にも暗い影が見えた。


 人は皆、何かを抱えて生きているのかもしれない。


 不幸に見えないのは、その人が見せないようにしているからなのだろう。


 彼も、同じような苦しみを乗り越えてきた。気遣い、優しさ、だからこそ彼は。

 

 会社に近づくと外まで賑やかな声が聞こえてきた。


 この日も考えさせられるような事が色々と起こった。


 高木健太の仄暗い瞳の色を思い出す。


 あのとき彼は何を考えていたのだろうか。


 車椅子から睨み上げる吉田詩織の怒り目は――あれは嫉妬? なんで?


 そもそも私は彼女の恋敵ではない。


 それに、あの場での私と浅田さんは恋人のように見えていたはず……。


 なのになぜ、彼女は、浅田さんに恋人なのかと尋ねたのか。


 詩織さんが健太君に好意を抱いていることは確かだが、彼女の敵意を孕んだ態度にはそれ以上の、何か別の思いが込められていたようにも感じた。


 浅田さんはあの二人はダメだと話した。


 二人共々に不幸に浸っていると、彼らの本質を見抜いていた。


 手助けは出来るが、本質的に救う事は出来ないと話した。


 それでも、私は周囲の人々によって救われていた。


 私の帰るところにはこのようにちゃんと温かい明かりが灯されている。


 ――私にも何か出来る事はあるだろうか。彼らのために何か。


 あの二人が抱える苦悩とは何だろう。


 ……もしかすると、以前、奈々実さんが言いかけて止めたことに関係するのだろうか。


 腕組みをしながら、上を向き、下を向き。


 これまでの出来事を次々と心に浮かべる。私は考えの整理に没頭しながら歩いていた。


 いったい……彼らに何が。


 なにげに運ぶ足が、皆が待つ明かりの方へ向かおうとしたその時だった。


「危ない! 菜月!」


 名を呼ぶ大きな声。急に肩の辺りに強い衝撃を感じると、私は横へ飛ばされた。


 目の前を強い光が通り過ぎていく。


 衝突音を耳が捉えたのは、傾く視線の先で宙に飛ばされた浅田さんの姿を見た直後だった。


 ――自動車が……え、なに?


「浅田さん!」


 急ぎ浅田さんの元に駆け寄る。


「浅田さん! 浅田さん! しっかりして! なんで! どうして! 浅田さん」


「よ、良かった。菜月、怪我は、ないみたいだな……」


「なんで! どうして!」


 騒然とする現場――闇夜に回る赤色の回転灯が時々に人々の悲壮を浮かび上がらせる。


 救急車のサイレンはどこか別の世界で鳴っているように私の耳に届いていた。


 ありえない。こんなことは、あってはならない。


 呆然として俯く私が見ていたもの、それは浴衣に描かれた朝顔だった。


 本来は濃紺の生地に白く映えていたはずの純白の朝顔が浅田さんの血によって赤く染め上げられていた。


 残り時間 234日と22時間23分49秒



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