42.遅参
ドート伯爵の屋敷を出立して、約二時間。代り映えのしない景色に飽きたらしい輝夜が、足を伸ばしながら御者台に向かって尋ねた。
「次の街まで、どのくらい?」
その顔に、昨夜の恐怖は浮かんでいない。目覚めた輝夜に、鏡花がそれとなく確認したのだが、輝夜は何も覚えていなかったのだ。
極度のストレスから自身を守るため、記憶を消したのだろう、というのが御門の見解だ。
覚えていないことに鏡花達は安心したものの、何の気ない発言で唐突に記憶が蘇るかもしれない。そう考えたのだろう、御門は、いつもより少しだけ長い間の後、淡々とした口調で答えた。
「一気に国境まで向かうからな。七日は掛かる」
「長いと?」
「十日だ」
「うわ、やだなぁ……」
それまで、伯爵から受け取った物資で食いつなぐか、道すがらで採取するか、商人と出会えたタイミングで調達するしかない。
「僕らが歩けば短くなるよ」
「無理だって。オレも鏡花ちゃんも体力無いもん」
多少歩いたところで、翌日には筋肉痛に悩まされるし、下手すれば足の皮が剥けるだろう。現代の交通網や靴に守られていた鏡花たちの足は、この国の人々ほど丈夫ではない。
それに、国境で売るために京が仕入れた品が重さの大半だ。二人が歩いたところで、荷台を引く馬の負担に大きな差はない。
「移動中は料理できないし……」
「見張りでもしてろ」
「僕ら、後ろは見えないからね」
えぇ、と輝夜は口を尖らせながらも、荷台の後ろに移動し見張りを始める。
鏡花は輝夜の後ろ姿をじっと見て、少し考えてから、その隣に移動した。ぴくり、と輝夜の肩に一瞬だけ力が入り、すぐ脱力する。
「鏡花ちゃん?」
どうしたの、と甘い声で問いかける輝夜。此方を見ずに答える姿に、鏡花は小さく息を吐き、肩を預けて返す。
「隣で本、読んでていい?」
『魔法陣入門』を見せると、輝夜はにこりと微笑んだ。
「もちろん、いいよ」
ドート伯爵の屋敷で見かけた照明具、気になってたんだよね。そう言う輝夜に、鏡花は頷いた。
貴族の屋敷というだけあって、あの屋敷には幾つか魔法式の道具があったのだ。残念ながら、照明の下、本を読むことは叶わなかったが。
穏やかな旅の間、読み進めていこう。鏡花は本を丁寧に開く。召喚の儀に用いられた魔法陣を理解するために、まずは基本的な知識を得るのが最優先だ。
最初のページに記されている魔法陣を指先でなぞり。本文に目を落とした。
◇
大きな問題が起こることなく、一週間。他の場所には寄らず、淡々と最短距離を進み続けた鏡花たちは、遂に目的の街に辿り着いていた。
国境を守る全線基地、サダルオービム。街全体が防衛施設となっている、特殊な場所だ。
「うわ、物々しい雰囲気……」
「王都とは別の意味で、立派な壁だね」
そびえたつ城壁は、王都のものとは違い、武骨で厚い。装飾を兼ねた者でなく、実用重視であることが一目で伝わってくる。そんな城壁の上には、幾つもの監視台や砲台が設置されている。
一応、第二王子であるアイベルクとドート伯爵から、街に入るための許可証は貰っている。しかし、この肌を刺すような空気感だ。
「すんなり入れると思う?」
輝夜の問いに鏡花は視線を落とし、京は肩をすくめ、御者台に座る御門が深々と溜息を吐くのが聞こえた。
そして、少しの間の後。
「……よし、八月一日」
「やっぱり僕かぁ」
こういったものは、第一印象が大切だ。最も人当たりの良い京に任せるのは間違っていない。京は一度、軽く咳払いをして、馬車の速度を落とすよう御門に指示した。
かくん、と速度を緩めた馬車が、一瞬、縦に揺れた。
「止まれ!!」
門番の鋭い指示。鏡花は、馬車から降りるべきか考えたが、鉱床を任されたのは京だ。下手に動かない方が良い、と輝夜と二人、荷台でじっと様子を伺う。
「目的は」
威圧的なその声に、京は商人らしい、ハキハキとした答えを返す。
「この街への物資の補給が主な目的です。必要であれば、簡単な治療も行えますが」
「構成は、商人、料理人、回復師か……」
それぞれの職業は、矛盾はない設定である。
良い所の商人が、前線まで何の用だ、という批判的な色はあるものの、物資の補給が必要なのは事実。需要のある所に高く売りに来た、というのは商人として間違っていない。
「許可証は」
「第二王子殿下ならびに、ドート伯爵より許可をいただいております」
料理人は兎も角、一時的でも回復師が訪れるのは、街にとっても悪いことではない。それに、ドート伯爵の許可証にはゴブリン討伐についても記されている。
高位の者からの身分の保証と、魔物討伐の実績。商人としての立場を裏付けるための物資も載せてあるので、問題はないと思われたのだが。
「残念だが、お前らが街に入る理由はない。日が暮れる前に引き返すんだな」
既に、勇者様たちが到着している。その一言に、鏡花は顔が引きつるのを感じた。




