2.緑の炎
その夜。いつもと、違うことが、一つ。
『……よ、………に、………まえ』
ロールプレイングゲームの、神殿に近い見た目の場所。同じローブを纏い、顔を隠した人々が等間隔に、魔法陣のようなものを囲んでいる。薄暗い部屋を照らしているのは、緑の篝火。
風もないのに揺れる炎からは、重いタバコのような、髪が焦げたような独特な匂いがしており鼻を刺激し、口に苦い味が広がる。
地面は不自然に揺らいでいて、呼吸のたびに重力が変わっているかのよう。肌に触れる空気は湿気と言えないほどに水気を帯び、まるで深海に沈んだかのような感覚が全身を包む。
非現実感溢れるその光景に、鏡花は夢か、とぼんやり考えるが、すぐに目が覚めることはない。
聞きなれぬ言葉が繰り返されるたび、魔法陣からは篝火と同じ緑の光が溢れだし、ぐらぐらと足元が揺れる気がする。呪文のような言葉は鏡花の頭に反響し、少しずつズレながら幾重にも幾重にも重なっていく。
不協和音を聞かされているような、黒板を目の前で引っ掻かれているような、近くで道路工事が行われているような。そんな言いようのない不快な音が、耳元で響き、頭に指を突っ込まれて、鍵盤のように叩かれている気分になる。
覚醒夢なら、自分の意思で、ある程度コントロールできるはず。なのに、その夢は鏡花を追い詰めるばかりで。
「…………、は、ぁ……、何、だったの……?」
あまりの気持ち悪さに飛び起きれば、寝る前と同じ自分の部屋が鏡花の目に映る。疲れているから、悪夢を見たのだろうか。そうやって、その日は自分を納得させたものの。
『……よ、…が…に、……たまえ』
その日から、同じ悪夢が毎日毎日、夜も、昼も、眠る度に繰り返されるようになり。次第に、眠っていなくとも、頭の中に響き続けるようになり。
『……よ、我が…に、応…たまえ』
日に日にひどくなる頭痛と眩暈。耳鳴りに不眠。見なくなるどころか、日増しに鮮明になって行く悪夢に、鏡花は流石に不味いと思い。
吸収合併後、初めて休暇を取って早退し、病院へと向かう途中。病院前の、大きな歩道橋を降り始めた、その時だった。
『聖女よ、我が声に、応えたまえ』
夢で聞こえていたのと、同じ声が。はっきりと告げるのを聞くと同時に、ぐわん、と頭が殴られたような衝撃に、階段が揺れて見えた。
あ、と手すりに手を伸ばしても、その手は何にも触れずに、バランスを崩す原因になっただけで。
つま先が、階段の淵の滑り止めを通り過ぎたのを感じながら、ゆっくり、下の道路が近付いてくる。
眼前に迫るコンクリートの道路を見ながら、鏡花は、墜ちる先は悪夢の場所だと、どこか確信めいた予感を抱きつつ。重力の加速に負けて、意識を手放した。




