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 由椰が再び烏月と顔を合わせることになったのは、大松の屋敷に連れてこられて九日目のことだった。

 風夜と風音に連れられてきた部屋で烏月の前に跪くと、輝く金の瞳をした美しい神様が、由椰のことをじっと見おろしてきた。

「七日間、泉の水で清めても、人の世に還らない――、か」

 抑揚のない声で言う烏月に、「さようにございます」と風夜が申し訳なさそうに頭を下げる。

「ふたりと泉の力を以てしても還れないということは、この者のほうになにか原因があるのかもしれない。現世でなにか悪いことをして業を背負っているか、この娘として生きた現世に未練を残しているか、あるいは……。現世に未練がなさすぎるのか……」

 由椰をヒヤリとさせたのは、烏月の最後の言葉だった。

 誰に必要とされることなく生きてきた由椰には、たしかに人の世での暮らしに未練はなかった。

 生贄として麓の村を出たときも、死ぬことが悲しいとも苦しいとも思わなかった。

 自分など、いてもいなくても変わらない。命を与えて慈しんでくれた母にだけは申し訳ないと思ったが、生贄として死ぬことが自分の価値であるならそれでいいと思った。

 祠の中で運良く生き延びたあと、烏月に人の世に還れと言われたが、次の世に特別な期待も持てない。

 できることならば、人の世になど還らずに消えてしまいたい。由椰の心のどこかに、そんな気持ちがあるような気がする。

 だから、本来在るべき場所に行くこともできないのか。

「この娘の処遇はどういたしましょうか」

(何処へ行くこともできない。ここから消えることすらできない私は、どうすればよいのでしょう)

 烏月に向かって訊ねる風夜の後方で、由椰はきゅっと唇を噛む。そんな由椰を見下ろして、烏月は静かに息を吐いた。

「しばらく、ここに置いて様子を見るより仕方ないな」

 烏月の言葉に、由椰は驚いて顔をあげる。

「良いのですか?」

 烏月の言葉に驚いたのは、風夜も同じであったらしい。彼の紫の瞳は、主人を前に大きく見開かれていた。

「良いもなにも……。泉の水で清める以外に、この娘を人の世に還す方法を探すしかないだろう」

「それでは、私は引き続き、由椰様のお世話係としてお側に仕えさせていただきます」

 烏月の前に一歩進み出て言ったのは、風音だった。

「そうだな。この娘のことは風音に任せよう」

 烏月はうなずくと、初めて会ったときと同じように由椰の前で膝をついた。

 感情の読み取れない、けれど美しい金の瞳が、戸惑う由椰の目をまっすぐに見つめる。それから、烏月は由椰のほうに手を伸ばしかけ、すぐにおろした。

 気のせいかもしれないが、差し伸べられた指の長い綺麗な手が由椰の頬に触れようとしたかのようで、おもわず心臓がドクンと跳ねる。

 無言で見つめ返す由椰に、烏月がわずかに唇の端を引きあげた。

「心配しなくていい。きっと、少し長く眠り過ぎたせいだろう。この屋敷でしばらく過ごしていれば、人の世での未練も思い出せる」

「はい……」

 由椰を見つめる烏月の瞳は笑ってはいなかったが、その表情は美しく、そこはかとない慈愛に満ちていた。

 烏月の言葉に流されるままに頷く由椰だったが、胸の中には不安が燻っていた。

 烏月の言うように、自分は人の世での未練を思い出せるのだろうか。

 考え込む由椰に、風音が微笑みかけてくる。

「由椰様、もうしばらく一緒にいられるようで嬉しいです」

 まだ出会ってほどないが、風音は初めからずっと由椰に優しい。風音の好意的な言葉が、居場所のない由椰にとって少しの救いになった。


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