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幼い頃に母を亡くしたあと、村の長の家に引き取られた由椰に、自分のために何かを選ぶ権利など与えられなかった。
雨の降らない日が続き、田畑が干からびて、神無司山に生贄を出すことが決められたときも。その生贄が由椰に決まったときも、由椰はあたりまえのように神無司山の神様の魂を捧げることを受け入れた。
誰も由椰の意志や気持ちを聞こうとはしなかったし、由椰自身も村長が決めたことに「逆らう」という選択肢があるとは思いつきもしなかった。
だから、わからない——。
「答えられないのなら、すぐにでもここを去れ。目障りだ」
「ですが……」
咄嗟に由椰が顔をあげると、烏月がため息とともに憂いをたっぷりと孕んだ声を零した。
「他人のために魂を捧げるなど、どうかしている。消えてしまいたいのは、おれのほうだ。もう何百年も前から……」
「え……?」
「だいいち、おれは三百年も現世にとどまり続けていた古い魂は喰らわない。おとなしく人の世に還るといい」
烏月は静かに立ち上がると、冷たくそう言い放って由椰のそばを離れた。
「風夜、この娘を直ちに屋敷から追い出せ」
烏月が黒い翼を持つ紫の瞳の男、風夜に命じる。
「かしこまりました」
「あ、ちょ……、烏月様!」
泰吉と呼ばれていた栗毛の男は、風夜を横目に見て舌打ちすると、速足で部屋から出て行く烏月を追いかける。
風夜とともに部屋に取り残された由椰は、ひざまずいたまま途方に暮れた。
帰れと言われても、どこへ帰ればいいのだろう。生贄として追いだされた自分に、帰る場所などどこにもない。
村の人たちだって、「村を救うための生贄」という名目で体よく厄介払いした由椰が戻ってきては困るだろう。
黙ってうつむいていると、烏月を追って部屋を出て行った泰吉が戻ってきた。
「……で? この娘はどうするんだ? 烏月様は追い出せとおっしゃったが、そのお言葉通りにこのまま屋敷から出すわけにはいかないんだろう?」
風夜が、由椰に気怠げな眼差しを向けながら泰吉に尋ねる。
「そりゃ、そうだろ。烏月様は、一週間でこの娘の魂を清めて人の世に戻せとおっしゃっている」
「やはり、そうか。不自然なカタチで何年も現世にとどまっていた魂を、今さら人里に返すわけにはいかないからな」
「そうだな。それに、麓の村だってとうの昔になくなっているし……」
「おい、泰吉。そのことは……」
風夜が、由椰を気にしながら泰吉の言葉に制止をかける。だが、由椰はそれを聞き逃さなかった。
「それは――、麓の村がなくなっているとは、どういう意味でしょうか。さっき出て行かれた方は、三日前に雨が降ったと……」
「……」
由椰がそろりと視線をあげると、泰吉と風夜がそれぞれに、気まずそうな、憐れむような目で見つめてきた。
「あ、の……」
由椰の心臓が不穏な音をたてる。ふたりの男を戸惑い気味に見つめ返すと、風夜が面倒くさそうにため息を吐いた。
「だから、初めに言っただろう。『やはり人違いだった』などという話は通用せぬ、と」
「そんなこと言われても、仕方ねーだろ。どのみち、ほっとくわけにはいかないんだから」
「わかっている……」
ふたりで少し言い合ったあと、風夜が由椰に視線を向けた。腕組みをして立って顎を少し突き出すようにして見下ろしてくるその男は、烏月のそばでは恭しくかしこまっていたくせに、由椰に対してはやや高圧的だ。