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「由椰様、屋敷の外に散歩に行ってみませんか?」

 その日の午後。由椰が退屈していると思ったのか、風音が声をかけてきた。

「いいのですか?」

「もちろん。大鳥居の外に出なければ、屋敷の周りは自由に歩いていただいて大丈夫です。外へご案内しますね」

 風音の案内で、由椰は屋敷の外に出た。

 部屋から出口までは廊下が複雑に入り組んでいて、由椰がひとりで外に出るのは難しい。

「烏月様にお願いして、由椰様の部屋から外へ通じる扉までの道のりは迷わないようにしていただきますね」

 ひとりで外に出るときに、間違えずに部屋から出口まで行けるだろうか。

 由椰が不安に思っていると、風音がそう言ってくれる。

 屋敷の外に出ると、太陽の光がとても眩しかった。

 由椰が眠っていた祠はいつも薄暗かったし、烏月の屋敷に来てからも、外に出るのは夜明け前のお清めのときのみ。ずっとそんな生活をしていたから、陽の光を浴びるのがずいぶんとひさしぶりに思える。

「お天気がよくて気持ちがいいですね」

 由椰が額に手をかざして空を見上げていると、風音が振り向いた。

「はい。屋敷の敷地内の天気は、烏月様が一定の気候になるように保たれているのですよ」

「神様というのは、すごいのですね」

 漆黒の髪と美しい金色の目をした烏月の姿を思い出して、由椰が感嘆の息を漏らす。

「泉のほうに回ってみますか?」

 風音に誘われて、大松の屋敷の裏にある泉に向かってゆっくり歩く。

 早朝のお清めで泉を訪れるときは、まだ薄暗くて周りの景色や足元がよく見えなかった。どこか得体の知れないところへ連れて行かれるようで少し心許なかったが、太陽の照らす時間帯だと、まるで違う場所を歩いているような心地がする。

 屋敷を囲む木々が風で爽やかに揺れる音は耳に心地よく、小鳥たちの歌う声に心が和む。

 烏月の屋敷を取り囲む森は、穏やかで美しい。ここにあるもの全てをやさしく包み込んでいるようなその姿は、烏月そのものであるように思えた。

 木々の緑の香りを吸い込みながら、由椰が泉のほうへ一歩一歩足を進めていると、前を歩いていた風音がふいに止まる。

「烏月様……」

 風音が泉の前で膝をついて頭を下げる。その向こうに見えた烏月の姿に、由椰はおもわず息を呑んだ。

 泉の中に足首まで浸かり、空を仰いで祈るように目を閉じる烏月に、森の木々の隙間から柱状の光が降り注いでいる。

 空から泉に降臨してきたかのように見える烏月の姿は、神々しく、美しかった。

 由椰が呆然と立ち尽くしていると、気配に気付いた烏月がゆっくりと振り返る。

「風音か……」

「はい」

「この頃少し、山の気が乱れている」

「そうですか……」

「大鳥居の外に出るときは気を付けろ。特に、人の娘の気配を放浪者どもに気付かれぬように」

「はい」

 風音が深く頭を下げるのを確認してから、烏月が由椰に視線を向ける。わずかに首を傾けた烏月の左耳で、金色の耳飾りがキラリと光る。

 由椰がその輝きに気を取られているうちに、烏月が泉から上がってきた。

 衣擦りの音ひとつ、足音ひとつたてずに歩いてきた烏月が、由椰のそばで足を止める。ドキリとして肩を揺らした由椰を、烏月が感情の読めない瞳でじっと見つめた。

 どことなく威圧感のあるまなざしに由椰が身じろぐと、烏月が口を開く。

「屋敷の敷地内は、どこを歩いても構わない。だが、決して大鳥居の外には出るな。手足の先……、いや、髪の毛の先ですらおれの敷地内から出さないように気を付けろ」

 烏月が、低い声で由椰に念を押す。

「はい……」

 真意を読み取れないままに由椰が頷くと、ふいに、烏月の周囲で風が巻き起こる。激しい空気の揺れを感じて、由椰が顔の前に手を翳したとき、風に拐われるように烏月が消えた。

「烏月様は……」

「お部屋にお戻りになったのでしょう。泉の力を借りたとしても、山の様子全体を視るにはかなり神力が奪われるそうです」

「神力……?」

「はい。せっかくここまで歩いてきましたが、戻りましょうか。烏月様が泉の力を借りたあとは、結界が少し弛んでしまうので」

 風音がそう言って、元来た道を引き返し始める。

 すぐに後を追いかけた由椰だったが、ふと泉の様子が気になって振り向いた。

 さっきまで烏月のいた泉の水面は、木々の隙間から差し込む太陽光に照らされて神秘的な輝きを放っている。

 泉を見つめながら、由椰は最後にお清めを受けたときに聞こえてきた不思議な声のことを思い出していた。

(私が人の世に還れなかったのは、もしかしたらあの声に呼び止められたせいなのでは――?)

 そんな思いが胸に過ぎったとき、

「由椰様? どうかされましたか?」

 だいぶ先まで来た道を戻っていた風音が由椰を呼んだ。

「いえ……」

 泉に背を向けた由椰は、急ぎ足で風音を追いかける。そのときにはもう、胸に過ぎった思いは風にさらわれたように消えてなくなっていた。

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