【第90話:記録の目覚め】
記録符の輝きが、空洞の天蓋を照らしていた。紋章のひとつひとつが脈動するように明滅し、まるで意思を持つかのように、浮かび上がっては新たな情報を開示していく。
ティナは目を細めながら符文の動きを追った。
「これ……ただの歴史書きじゃない。“視点”が残されてる。過去の記憶そのものよ」
その言葉に、クロナとイエガンも碑の前へと歩み寄る。
「記録を見せるだけでなく、“体験させる”気か。随分と手の込んだ贈り物だな」
イエガンが鼻を鳴らす。だが、その声音に侮りはなかった。
「視覚、聴覚、感覚。全部、ここに刻まれてるわ。これを読むってことは……そのまま“中に入る”のと同じこと」
ティナが振り返る。
「クロナ、あんたが先に入る?」
「いや、俺だけでいい。お前たちは外で警戒を頼む」
そう言ってクロナは記録符へと手を伸ばした。その瞬間、碑文が淡く膨張し、周囲の空間が揺れる。
視界が、闇に沈む。
そして――映像が始まった。
* * *
そこは、広大な森林地帯だった。風の音が澄みきっている。鳥の声、獣の咆哮。命が満ちた世界――だが、それは今の時代では見られないほど“豊かすぎる”自然だった。
中央にそびえる尖塔。その前に集う者たちは、異形の獣人たち。だがその姿にはどこか気品があり、まるで儀式を執り行う聖職者のようでもあった。
その中に、一人の若い獣人――狼に似た長耳の男がいた。
装いは今のグリムファングに酷似している。だが、クロナは直感した。
(違う……これは俺じゃない)
その男は群れの長として、前に立ち、こう宣言した。
「名なきものに名を与えるは、血を与えることに等しい。我らはここに誓う。語られぬ記録を守り、継ぎ、未来へと託す」
――その声が、まっすぐに胸に届く。
場面が変わる。
森が燃えていた。光の奔流が空を裂き、塔が崩れていく。叫び声、命の断絶。
だがその最中、あの長耳の男は倒れ伏しながらも、記録符を祭壇へと運び込む。
「誰かが……必ず辿り着く……“牙”と“目”を持つ者が……」
視界が暗転し、映像は消えた。
* * *
クロナが目を開けた時、周囲の者たちは無言のまま彼を見つめていた。
「どうだった?」
ティナが、真剣な瞳で訊く。
「――俺たちは、たしかに最初じゃなかった。だが、最後にもならない。“繋がっている”ってことだ」
クロナの声は静かで、どこか確信に満ちていた。
「グリムファングの名は、俺がつけた。だけど、その意味は……もっと遠くに続いてた」
イエガンが腕を組み、ふっと息を吐いた。
「過去を背負う気はねぇが、拾ったなら捨てはしねぇさ。で? これからどうする」
クロナは微かに笑い、前を見据える。
「道は開かれた。この記録が残されていたってことは、まだ何かが“動いてる”ってことだ」
そして、空洞の奥に続く、未踏の通路を指差した。
「……行くぞ。まだ、すべては終わっていない」




