【第88話:記録守りの集落】
沈黙と風の音だけが支配する渓谷の奥――。
ユン=ノクトが示した道の先には、苔むした石碑や倒壊しかけた塔が点在する、古代の気配を湛えた地が広がっていた。空気には淡く金属じみた匂いが混じり、風が吹くたび、どこからか鈍い共鳴音が響いてくる。
「……この先に、何が待っているんだ」
クロナが静かに呟くと、背後に控えていたティナが答える。
「記録によれば、かつて“集積の時代”に築かれた知識の拠点が、この地に眠っているはず。だけど、未だ確かな姿を見た者はいないそうよ」
「そうか」
クロナは一歩を踏み出す。群れの者たち――グリムファングの選抜隊もまた、距離を保ちつつその背を追った。
やがて、山影に隠れるようにしてひっそりと佇む建物群が現れる。荒れ果てた外観ながらも、建築様式には明らかな知性と秩序が残されていた。幾何学的な文様が刻まれた門をくぐると、その先にひとつの人影が現れる。
「足を止めなさい、来訪者よ」
透明な声が響いた。姿を現したのは、灰銀の髪と深緑の外套をまとう女性。年齢は不明だが、空気に溶けるような雰囲気を纏っている。
「……君は?」
「私は“キア”。この記録守りの集落《アーカ=アルカ》を管理する者です」
彼女はそう名乗りながら、クロナの瞳を正面から見据えた。瞬間、その瞳が微かに揺れる。
「あなたの中に……異質な記録が宿っている」
「……記録?」
「ええ。あなたは“人の記録”を持ちながら、“異族の理”を継いでいる。とても稀有な存在です」
ティナが思わず前へ出る。
「この方は我らの主、クロナです。敵意がないのなら、失礼のないよう――」
「安心を。私は敵ではありません。むしろ、ようやく辿り着いたかと……。あなた方の来訪は、遠き記録に刻まれていた未来のひとつなのです」
クロナは言葉を失いながらも、その言葉の奥にある重みを感じ取っていた。
まるで――長い時を越えて、誰かがこの出会いを仕組んだかのように。
「我ら“記録守り”は、終焉の時代より命を受け、この地に記憶を封じてきました。……クロナ様、あなたにお見せすべきものがあります」
キアが指さしたのは、集落の中央にある巨大な石室。封じられた扉には、古代文字のような刻印と共に、微かに赤く脈打つ紋章が浮かんでいた。
「この扉の先に、古き知識と、“鍵”が眠っています」
「鍵……?」
「あなたが自らの“道”を選ぶための、記憶の扉。ですが開けるには、代償が必要となるでしょう」
風が吹いた。クロナはわずかに目を細め、扉に刻まれた紋章を見つめる。
その形はどこか、彼の右手に刻まれた痕に似ていた。
「……やるさ。その代償が、どんなものでもな」
彼の声に、イエガンがうなずく。
「お前が進むってんなら、俺たちが支えるだけだろ」
そして、キアがゆっくりと告げる。
「ようこそ、記録守りの集落へ。クロナ――記録に名を刻まれし、変異の継承者よ」
新たな出会いと共に、閉ざされていた扉が、いまゆっくりとその口を開き始めていた――。
先日、こちらの話に別作品の話を間違えて掲載してしまいました。大変失礼致しました。




