【第82話:動き出す群れ】
朝露がまだ乾ききらぬ地面を、複数の足音が踏み鳴らしていた。
牙部隊の訓練場では、獣人とゴブリンたちが息を切らしながら剣や槍を交えている。その様子を、クロナは高台から黙って見下ろしていた。
「――随分と、形にはなってきたな」
その声に応じて現れたのはイエガン。牙部隊の指導役も務める、信頼厚い獣人族の戦士だ。
「牙部隊だけでなく、爪も目も、それぞれ責任者を立てたことで動きやすくなった。最近は〈目部隊〉が近隣の獣人村からの情報も拾い上げ始めている。……それで、今日はどうするつもりだ?」
クロナはしばし黙し、それから問い返した。
「イエガン、お前の目に――この群れは“まだ”危ういか?」
「……ああ。確かにそれなりに回ってはいる。だが、それは“外敵がいない間”の話だ」
イエガンの視線が鋭くなる。
「一度でも大規模な襲撃を受ければ、牙部隊は今の規模では対応しきれん。爪も備蓄に余裕はない。目も、交渉先は限られている。今はただ、ギリギリで維持されているに過ぎん」
「やはりそうか」
クロナは深くうなずき、地面に地図を広げた。そこには周囲の地形と、既知の村落や危険区域が詳細に描かれている。
「次の一手として――牙部隊を一時的に再編し、精鋭だけで“巡回小隊”を作る。外敵の早期発見と、周辺の小規模なモンスター討伐を担わせたい」
「なるほど。いわば“遊撃部隊”だな。牙部隊の中でも、特に動きの軽い連中を選ぶべきだろう」
イエガンは腕を組んだまま、すぐに思案へと入る。
クロナはその姿を信頼の眼差しで見つめながら続けた。
「それと、〈目部隊〉に任せていた調査の件――例の、北東の山間の地図に載っていない集落跡。そろそろ踏み込むべき時期だと思ってる」
イエガンの眉がわずかに動く。
「あそこか。瘴気の残滓が多く、足を踏み入れた者も数少ないという場所だな」
「ああ。だが、今のままでは俺たちの拠点も限界がある。新たな資源、新たな土地。必要なんだよ、俺たちには」
クロナの眼差しに、かつての“人間”だった名残はすでにない。ただ、生き残り、群れを導く者としての決意だけが宿っていた。
イエガンはしばらく無言だったが、やがて静かにうなずく。
「……わかった。牙部隊の選抜は俺に任せろ。ただし、その調査――お前も同行するんだな?」
「当然だ。……俺が先頭に立たなければ、この群れは真に変われない」
その言葉に、イエガンは小さく笑った。
「そうだな。ようやく、“王”らしいことを言うようになったじゃないか」




