【第317話:鬼王の決断】
魔王の前に立つ鬼王の巨体が、戦場の中央で静かに呼吸していた。
大地は既に何度も砕かれ、空気には焦げた魔力の匂いが漂っている。
それでも鬼王は一歩も引かず、魔王を睨み続けていた。
魔王の掌がゆっくりと前へ向く。
その瞬間、空間そのものが歪んだ。
圧縮された闇の魔力が一点へ収束していく。
次の瞬間、それは放たれた。
光でも炎でもない。
ただ「存在」を押し潰すような波動だった。
黒い奔流が一直線に鬼王へ叩きつけられる。
衝撃が戦場を貫いた。
大地が抉れ、後方の山肌が崩れる。
そして鬼王の身体をその波動が飲み込んだ。
数秒後。
煙がゆっくりと晴れていく。
鬼王は、まだ立っていた。
だがその姿は先ほどとは違っていた。
肩から先——両腕が消えていた。
血も、骨も、肉もない。
ただ「そこにあったはずの存在」だけが消えている。
鬼王は肩口を見下ろす。
そして小さく息を吐いた。
「……なるほどな」
身体がふらりと揺れる。
それでも鬼王は膝をつかなかった。
魔王はゆっくりと歩み出る。
その一歩ごとに空気が沈むような圧が広がる。
「終わりか、鬼の王」
静かな声だった。
だがそれは、この戦いの結末を告げるには十分だった。
鬼王は空を見上げた。
荒れた雲の隙間からわずかな光が差している。
その視線がゆっくり横へ動いた。
クロナを見つける。
「……クロナ」
クロナの影がわずかに揺れる。
胸の奥に嫌な予感が走る。
鬼王は苦笑した。
「どうやら、ここまでらしい」
クロナは一歩踏み出そうとして止まった。
言葉が出てこない。
鬼王は続けた。
「だから提案だ。クロナよ、我を喰え」
クロナの思考が止まった。
世界が一瞬だけ音を失ったようだった。
「……何を言っている」
ようやく出た声は低く震えていた。
鬼王は豪快に笑う。
腕を失った身体のまま、まるでいつも通りのように。
「お前の力だろうが。喰えば強くなるんだろ。なら今ここで使え」
クロナの影が激しく揺れた。
地面を這う影がまるで迷うように形を変えていく。
強い奴を喰う。
それは力を得る最短の道とわかっている。
だが同時に…クロナの頭にはミナの顔がちらついていた。
魔王の足音が近づく。
一歩。
また一歩。
逃げ場はない。
魔王はクロナを見下ろした。
「どうした、喰影王」
その呼び名が静かに響く。
クロナの拳が震える。
影が足元で渦巻く。
鬼王はそんなクロナを見て、少しだけ優しく笑った。
「早く決めろ。時間はそうない」
鬼王の身体からはまだ血が流れている。
命は確実に削られていた。
魔王の影がすぐそこまで迫る。
クロナの心は、激しく揺れていた。




