【第309話:血煙の果てに灯る牙】
衝撃が地を砕いた。
巨躯の拳が振り下ろされ、爆ぜた土塊が周囲を穿つ。だがイエガンは半歩だけ身を逸らし、最小限の動きで衝撃圏を抜けた。重い。速い。単純だが、それだけに厄介だ。
四本の腕を持つ異形が咆哮する。鼓膜を震わせる音圧。それでもイエガンの視線は冷え切っていた。
「力任せか。嫌いではない」
低く呟き、刃を構える。牙部隊長として幾多の前線を潜ってきた。真正面から叩き潰す敵は、読みやすい。
二撃目。横薙ぎ。
刃を合わせるのではなく、流す。角度を逸らし、力を逃がす。腕に痺れが走るが無視した。懐がわずかに空く。
踏み込む。
黒炎が刃に宿る。クロナから与えられ、喰らい、昇華した力。今や己の一部だ。
一閃。
分厚い皮膚が裂け、血が噴く。だが浅い。筋肉が異様に硬い。
巨躯が笑った。次の瞬間、三本目の腕が死角から伸びる。
回避が間に合わない。
衝撃。
身体が弾き飛ばされ、地を転がる。肺の空気が押し出され、視界が揺れた。
――立て。
即座に膝をつく。痛みは後だ。呼吸を整え、敵の位置を捉える。
異形が迫る。踏み込みだけで地面が沈む。
「……ここで止める」
それが役目だ。
黒炎をさらに高める。
皮膚が裂け、血が滲む。出力が限界を超えている証だ。それでも止めない。
突進。
真正面から来る。
イエガンは動かない。
深く息を吸う。視界が澄む。敵の重心、踏み込みの癖、腕の軌道――すべてが線となる。
「穿て」
踏み込みは一歩。
最短距離。
黒炎が爆ぜ、刃が一直線に走る。
胸郭を貫いた。
確かな手応え。だが同時に、最後の力を振り絞った腕が振り下ろされる。
避けない。
左肩で受ける。
骨が軋む音がした。それでも刃を押し込む。
「倒れろ」
黒炎が内部から炸裂した。
巨躯の動きが止まる。血が逆流するように溢れ、三本の腕が力を失う。
崩落。
地が揺れ、静寂が落ちた。
イエガンは刃を引き抜き、数歩下がる。呼吸が荒い。左肩は感覚が鈍い。だが立っている。
倒れた異形を見下ろし、短く吐息を漏らした。
「……牙は、まだ折れていない」
戦場の奥で、別の衝撃が走る気配がする。主の戦いは続いている。
ならば、自分も止まらない。
血を拭い、再び刃を構えた。
黒炎は、まだ燃えている。




