【第30話:境界の対話】
森の奥、霧が薄く立ち込めるなか、クロナは小高い岩の上から様子を窺っていた。
風の流れが変わっている。
獣の気配ではない。規則的に、硬質な音を響かせる複数の足音――武具をまとった人間の気配だった。
「……来たか」
つぶやきながら、クロナは仲間のゴブリンたちに目配せする。
彼らは指示通り、遠巻きに潜みつつも臨戦態勢をとっている。
やがて、森の開けた場所に、銀の鎧に身を包んだ騎士たちが現れた。
中央に立つ人物――整った顔立ちの若い男が、堂々とした足取りで前に出る。
「異形の者よ。お前がこの森の主か」
その声に、クロナの耳がぴくりと動いた。
威圧的ではない。だが明らかに、上からの調子。
「主……ってのは、ちょっと違うな。俺はただ、ここで仲間と生きてるだけだ」
クロナはゆっくりと歩み出る。その姿を見た騎士たちがざわめく。
ゴブリンの面影を残しながらも、明らかに人とは異なるその神秘的な姿に、戸惑いが広がる。
中央の男――団長格らしき男が眉をひそめた。
「……話が通じるとは思っていなかった。だが好都合だ。ならば話そう。お前の存在が人里に不安を与えている。森に収まっているうちは良いが、これ以上近づくなら――排除も辞さない」
「それは、脅しか?」
「忠告だ。……それに、森の異変。お前が関係しているのではないのか?」
クロナはほんの一瞬、口をつぐんだ。ミナの力を受け継いでから、森とのつながりは確かに深くなった。それが人間にどう見えるのかまでは考えていなかった。
「森は、俺たちの家だ。変えたくて変えたわけじゃない。でも……守りたいとは思ってる」
クロナは静かに言う。その言葉には、闘志よりも静かな決意がこもっていた。
騎士団長はしばし黙り込み、クロナを見つめた。
その目には、判断を下す者の重さが宿っている。
「……貴様のような存在を、我々は“災厄”と呼ぶ。だが、お前が災いか否か……それはまだ、こちらも決めかねている」
クロナは、わずかに口元を上げた。
「なら、勝手に決めつけるのはやめてくれ。俺たちも、誰かを傷つけたいわけじゃない」
「……ふむ。ならばひとまず、森から出ないことを約束しろ。それが守られるなら、我々も動かない」
「……いいだろう。だがそっちも、森を荒らすな」
しばしの沈黙の後、騎士団長は頷いた。
「一時の休戦、というわけか。……名を聞こう。交渉相手として」
「クロナだ」
名乗ると同時に、風がざわりと揺れた。
森が、それを肯定するように。
騎士団長は少しだけ目を細め、背を向ける。
「覚えておこう、“クロナ”。次に会う時、互いに剣を交えずに済むことを祈る」
そのまま、騎士団は森を後にした。
残されたクロナは、緊張の糸を解きながら深く息を吐いた。
仲間たちが姿を現す。彼らの目には安堵と、僅かな驚きが入り混じっていた。
「……話して、済んだんだな」
「今はな。でも――油断はできない」
クロナは空を見上げた。
まだ遠く、遥かに先の空。そこには、ただ青が広がっていた。




