【第306話:消去の閃光】
空気が変わる。先ほどまでの圧とは違う。重いのではない。薄くなる。存在そのものが削り取られていくような、嫌な感覚が戦場全体に広がった。
クロナは足を止めない。だが、踏み込む前に違和感が走る。周囲の気配が、急に軽くなる。消えたのではない。最初から無かったかのように、抜け落ちている。
「……何をやった」
低く問う。
魔王は答えない。ただ、ゆっくりと手を上げる。その動作に無駄はない。力を込める様子もない。ただ指先がわずかに動くだけ。
次の瞬間、黒い光が走った。
閃光と呼ぶには静かすぎる。音はない。風もない。ただ、一直線に黒が走る。それだけだ。
そして――
何も残らない。
光が通り抜けた先にいた兵が、消えた。倒れたのではない。吹き飛んだのでもない。跡すら残らない。血も、肉も、装備も、すべてが“無かったこと”になっている。
クロナの目が細くなる。
「……削ったんじゃねぇな」
影を伸ばす。消えた場所に触れる。そこには空間しかない。死の痕跡すらない。何かが消えたという“結果”さえ残っていない。
「消したのか」
魔王がわずかに頷く。
「不要なものを、排しただけだ」
言葉は静かだが、その意味は重い。選別でも破壊でもない。存在の否定。それだけで終わる。
鬼王が舌打ちする。
「ふざけた真似しやがる」
踏み込もうとするが、その前に二度目の閃光が走る。横に広がる黒。触れた兵たちが、まとめて消える。敵も味方も関係ない。ただ、そこにいたという事実ごと消える。
戦場にざわめきが広がる。だが声は続かない。叫ぶ間もなく、次の閃光が走るからだ。
クロナは動く。影を広げる。閃光の軌道に合わせて壁を作る。受けるのではない。触れさせないための遮断。
黒が影に触れる。
削れる。
影の一部が消える。喰われたのではない。存在を否定された。再生しようとするが、わずかに遅れる。
「……面倒な」
影を引き戻し、すぐに再構築する。完全には消せない。だが触れれば削られる。
鬼王が踏み込む。
「だったら、当たる前に潰す」
一直線に魔王へ向かう。だが、その進路を塞ぐように黒が走る。避けるしかない。踏み込みが止まる。
クロナが横から動く。影を地面に沈め、別角度から迫る。だが魔王の指先がわずかに動いた瞬間、進路上に黒が現れる。
速い。予測ではない。行動より先に配置されている。
「……先読みじゃないな」
クロナは足を止める。黒は狙って撃っているわけではない。そこにいると決まった場所に、置かれているだけだ。
結果が先にある。
だから避けにくい。
魔王が三度目の手を動かす。
今度は範囲が広い。扇状に広がる黒。逃げ場を潰すように広がる。兵たちが逃げるが、間に合わない。触れた瞬間、存在が消える。音も残らない。
クロナは踏み込む。影を一点に集中させる。防ぐのではない。貫くために。
鬼王も動く。
「止めるぞ」
短く言う。
クロナは答えない。ただ同時に動く。黒が走る。その直前、二人は加速する。消去が確定する前に、その範囲を抜ける。
一瞬だけ空いた隙間。
そこを、通す。
魔王の懐へ。
距離が詰まる。
クロナが拳を振るう。鬼王が横から打ち込む。
だが――
黒が、近すぎる位置で発生する。
回避が間に合わない。
クロナは拳を止めない。そのまま影を重ねる。触れる前に、黒そのものを喰らう。
削れる。
だが、押し切る。
鬼王の拳が叩き込まれる。
衝撃が走る。
初めて、魔王の身体がわずかに揺れる。
だが次の瞬間、至近距離で黒が弾ける。
クロナの肩が消える。
鬼王の腕の一部が消える。
痛みより先に、欠落が来る。存在が削られる感覚。再生が追いつかない。
距離を取る。
クロナはすぐに影で補う。だが完全ではない。消された部分は、戻りが遅い。
「……厄介だな」
鬼王が笑う。
「触れりゃ終わりか」
魔王は静かに見ている。
「選ばれるか、否か。それだけだ」
再び、指が動く。
黒が、今までより濃くなる。
範囲が広がる。
速度が上がる。
戦場全体を覆うように、広がり始める。
クロナは影を広げる。守るためではない。喰らうための準備。消される前に、取り込む。
鬼王が構える。
逃げ場はない。
避け続けることもできない。
なら――
正面から、壊すしかない。
黒が落ちる。
存在を消す閃光が、戦場を飲み込もうとしていた。




