【第2話:喰らうということ】
腹が、鳴っている。
それはもう、空腹という言葉では足りなかった。
内側から胃が焼けるような痛みに変わり、目の前の景色すら歪んで見える。
それでも圭は、森の中を這うようにして進んでいた。
どこかに食えるものがあるはず。
本能が、そう命じている。
(……落ち着け……これは“俺”じゃない……)
彼の中にある理性は、まだ辛うじて残っていた。
虫を見てよだれを垂らした自分が怖かった。
だが、次第にその“恐怖”すら薄れてきていることに、もっと恐怖を感じていた。
「……!」
地面の上に、奇妙な音を立てて動く何かがいた。
丸い甲羅を背負い、無数の脚で這い回る、森の昆虫。
《シェルバグ》とでも名付けたくなるその虫は、のろのろと地面を歩いていた。
それを見た瞬間、圭の体が勝手に動いた。
腕が伸びる。
指が甲羅に噛みつくように食い込み、虫がキィキィと鳴いた。
(やめろ、こんなの……! 食えるわけが——)
【スキル《飢餓本能》が発動しました】
「っ……う、あぁあぁぁっ!」
抗いきれなかった。
気がつけば、そのまま虫を地面に叩きつけ、引き裂いていた。
茶色い体液と砕けた甲羅の破片が手につく。
臭い。腐った鉄のような匂い。だけど——
「……うまい……?」
自分でも信じられない。
だが、口の中は唾液で満ちていて、手は止まらなかった。
一口、また一口。
柔らかい筋肉、脂の乗った腹部、脚の間のゼラチン質——
圭は喰らい続けた。
——やがて、すべてを食い尽くしたとき、彼はようやく呼吸を整えた。
「俺……何を……」
手は血と粘液で汚れていた。
それを拭う術もない。けれど、胃の中は、温かかった。
不思議なほど、満たされていた。
【経験値を獲得しました】
【《消化強化》を習得しました】
「スキル……本当にゲームみたいな世界なのか……?」
まだ混乱している。
だが一つ、はっきりしたことがある。
——ここでは、食わなければ生きられない。
そして、食えば“強く”なれる。
それはあまりにも、原始的で、そして——正直だった。
(俺は……これからも、こうして喰らって、生きていくのか?)
目を伏せたまま、圭は黙ってその場に座り込んだ。
けれど、風の音とともに、また別の小さな影が木々の間を走っていくのが見えた。
——もう、後戻りはできない。
それが、黒川圭という男の“最初の食事”。
そして、彼が“ゴブリンとしての生”を受け入れ始めた一歩だった。